オランウータンの手当てが終わった頃を見計らい、診療所の奥からひょっこり顔を出したのは。
「……帰ったな?」
「帰ったよ」
 数日前から住み込みでアルバイトに来ていた子供は、オランウータンを連れて来たパイナップル頭を遠目に確認すると同時に、奥の部屋に籠もってしまった。
「オレがいることは?」
「聞かれなかったからね、言ってないよ」
 趣味で開業している医者は、意味無く採血したオランウータンの血を興味深く眺めながら答えた。
「三日後に来るように言ったから、また来るけどね」
 幼い笑顔に邪な企みを乗せる医者は、素早く白衣を脱ぎ捨て、バイトの子供を振り返る。
「それより……これ、一滴あげようか?」
 オランウータンの血液。
 ちらつかされたバイトの子供は、満面の笑みで頷き問い返す。
「一緒に遊ぶ?」
「勿論だ。どんな子供が生まれるのか、楽しみだねぇ」
「じゃあ準備する」
 露出の激しい変わった服装の子供は、愛想良く自分のスタンドでもあるマシンを取りに隣の部屋へ駆け込んで行った。
 診療所では、アルバイト募集の張り紙を出していたわけではない。
 散歩中に偶然迷い込んで来た子供が、「ドクターとは話が合いそうだ」と気分を良くして以来、時折茶飲み友達として付き合っていた。それが数日前、いつもと同じようにふらりとやって来た時、「アルバイトさせてもらってもいい? できれば住み込みで」と唐突に言い出した。
 受け入れなければならない理由は無かったが、断る理由も無かった。
 いても邪魔にならなければいいだろうということで、医者はあっさり承諾し、その日から彼は居着いている。
 ただ。
 住み込みのアルバイトということになってはいるが。
 今のところ、これと言って、アルバイトらしい働きはしていない。
 言うなればただの居候。
 医者も医者で、趣味でやっている仕事なので、毎日が暇と言えば暇。遊び相手が出来た程度にしか考えていないので、特別問題は無かった。
「メローネ、夕飯は何にする?」
「さっきの猿が忘れて行ったエビでいいんじゃない?」
 オランウータンが持っていた網からこぼれ落ちた物だが、気づいていても教えてやるような親切な人間はここにはいない。
 平然とそれを自分達の物にしていた。
「ところで、さっきのあの子、家族じゃないのかい?」
「ああ、あれ。うちのパシリ。でもあいつが来たからって帰ったりしないよ」
 どんなつもりで家を出ているのかわからないが、メローネは丁度窓から見下ろせる丘に建つ白い洋館の方を見遣りながら呟いた。
「……なんか、昨日からギアッチョもいないんだよねーあの家。ソルベもジェラートも、一昨日から帰ってないみたいだから……空き家になってるなあ」
 この医者、実は観察眼に非常に優れていたりする。
 メローネがどうしてこの診療所を選んでここにいるのか、その理由だけは察していた。
 山頂にあるここからならば、彼の家の全景を常に視界に収めることができる。
 毎日窓から見下ろすメローネ。
「心配なら探しに行けばいいのに……」
 意外に仲間思いのこの子供は、けれど少々ひねくれているところがあるらしく、自分から動くことはない。
 ただ毎日、家の様子を窺うだけ。
「ドクター、セッコ呼んで来るから、晩飯にしよう」
 帰りたくなったら自分から帰るだろう。そう思い、医者は今日も、唯一の患者と住み込みの押しかけ助手と共に食卓につく。

「25.レッスン開講」へ
天国Menuへ
モバイルTopへ