部屋で寛いでいるブチャラティを、ナランチャが呼びに来た。
 客だという。
 階下に降りてみれば、そこにいたのは毎日釣りに来る丘の上の子供。
「おまえ……?」
 パイナップル頭の子供は、目にうっすら涙を浮かべた状態で、ブチャラティの姿を認めるなり床に膝をつく。
「お願いします! 今夜一晩でいいんで、ここに泊めてください!」
 いきなり何を言い出すかと訝るものの、まあ、部屋も余っていることだから、別にいいかと思う。
 ただ気になるのは、なんだってこんな近所の家に泊まりに来るのかということで。
「厳しい兄貴分と喧嘩でもしたのか?」
 生前に一度だけ会ったスーツの男は、このパイナップルに異常にきつく当たっていた。それを思い出し、ついにあのスパルタに耐えられなくなったのかと想像する。
 が。
「いいえ……兄貴は関係ないっス。関係ないわけじゃないけど、直接は関係ないんスよ」
 不十分な言葉の中に、関係関係と三回も同じ言葉が入られると、正直、全く意味がわからない。
 いつまでも床に座り込んだままのパイナップルがさすがに気の毒だったので、ブチャラティは手を貸す。
「ほら、もう立て。何だって泣きそうな顔してるんだ?」
「どうもっス」
 ブチャラティの手を取り、やっと立ち上がったパイナップルは、そのまま一緒に家の中に入る。
「さあ、ここに座れ」
「ありがとうございます……」
 礼を言われるような関係ではなかった気もするが、本人が以前に『過ぎたことだ』と笑って言っていたのだから、その辺りを気にするのはやめよう。
「それで、どうして家に帰らないんだ?」
 泊まりたいという人間を泊めるだけなのだから、事情など聞かなくてもいいのだろうが、どうもこの子供の様子、先程から見るに、何か聞いて欲しくて仕方がないといった風でもある。
 ブチャラティはナランチャに温かい飲み物を持って来るよう指示し、パイナップルが落ち着くのを待つ。
 内心、アバッキオがいなくて良かったと思いながら。
 アバッキオは今、アヴなんとかという子供が近くに来ているので、彼のところに行っていた。
 そのアヴなんとかという子供は、普段はどこにも定住せず、この世界のあちこちをふらふら放浪しているらしい。旅の土産話など聞きたがるようなアバッキオではなかったと思うのだが、何の気紛れか、今日は彼の所へ行ってしまった。
 だから今、この小さな家にいるのは、自分とナランチャの二人きり。
 それにしても。
 このパイナップル、いつまでも黙って俯いたまま、一向に話し出す気配がない。
 本当に仕方のないことだが、ブチャラティの方から口火を切るしかなさそうだった。
「兄貴分のことで何かあったのか?」
 さっき、直接関係はないが全く無関係というわけではないと言っていた。
 ということは、兄貴分の話題をとっかかりに、なんとか話も進ませられるのではないだろうか。
「……兄貴は悪くないんス」
 弱々しい声が返る。
「……兄貴のせいじゃないんス。オレがマンモーニだから悪いんス……」
 なんだか愚痴っぽくなって来た。
「なーブチャラティー? 何もないから、水でいい?」
 グラスになみなみと注がれて来たのは、ブチャラティが地中を掘り返して汲み上げた地下水。
「ああ、それでいい」
「はい、水」
 パイナップルの前に、どんとそれを置き、ナランチャはどこかへ姿を消す。
 聞いても面白くない話だと本能でわかっているのか、逃げたようだ。
「……リーダーが帰って来なくて、誰も喧嘩の仲裁してくれなくて、オレ、ただおろおろしてるだけで……気が付いたら兄貴もいなくて……」
 なんだ、リゾット・ネエロはあれきり帰っていないのか。
 挨拶に行った際、リゾットがいないことで玄関先で随分待たされたことを思い出す。
 結局まだ一度も顔を合わせていない。
 パイナップルは顔を歪め、ついに泣き出す。
「リーダーも兄貴もいなくて、そのせいでホルマジオも帰って来なくなって……今度はイルーゾォまでいなくなって……」
 相変わらず、チームワークの悪い連中らしい。
「メローネは気味悪いし……ギアッチョはイライラしてるし……ソルベとジェラートは何考えてるのかわからないし……オレ、オレ、もう……」
 一旦言葉を切り、パイナップルはグラスに手を伸ばすと一気に飲み干す。
「冷たくて美味いな、これ。……兄貴探しても見つからないし、リーダーもホルマジオもイルーゾォも見つからないし、家にいるとなんか空気重いし……」
「もう一杯飲むか?」
「いただきます。……オレ、もう限界だし、なんで兄貴オレを置いて行ったのかわかんないし……」
 自分の横に置かれていた水差しから、差し出されたグラスにもう一杯注ぐ。
「マンモーニだから悪いんス……皆帰って来ないし……折角また九人揃って……今度こそ仲良くやって行こうと思ってたのに……こんなんじゃ……」
 再びグラスの中身を一気に空ける。
「オレまで逃げ出したら、兄貴が帰った時に誰も出迎えてやれないってわかってるけど……でももう無理だし……だから……」
 話すのと泣くのと、グラスを突き付けるのが同時に行われる。
 ブチャラティは無言でまた水差しに手を伸ばす。
「だから……今夜はここに泊めてください」

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