10.

 炎を上げる船内を走った。
 沈没するかもしれない船。
 最悪の場合、ポルポには逃げられ、自分達だけが取り残される危険性もあった。
 急がなければ。
 前を行く男は、それまでとは別人のような軽やかな動きで障害物を乗り越えて行く。
 先程までは、それでも余裕を見せていたということか。
 と。
 男が突然立ち止まる。
「どうし……」
「鉢合わせちまったぜ」
 男の肩越しに見遣れば、数名の部下を引き連れて移動する巨体。
 今朝、ブチャラティに不快な任務を与えた張本人。
 目が合うと、ポルポは暗い瞳を細めた。
「ブチャラティ」
 けして逆らわない従順な男に呼びかける、いつもの声色。
 だが。
 もう、従うことはできない。
 ルカの死に顔が浮かんだ。
 銃を構え、ブチャラティはただ静かにポルポを見つめる。
 ブチャラティの気配を読み取ったか、男は静かに一歩下がる。
 譲ってくれるというわけか。
「どうして逆らうんだい? 組織を守ることしか考えないおまえが?」
 口元に笑みを浮かべ、ブチャラティは答える。
「守る価値のある組織なら、何があっても守り抜く。だが……あんた達の組織は、無い方がよっぽどましだ。守る価値の無い組織だ」
 ブチャラティは、ポルポに最後の言葉を語りかける。
「さよなら、ポルポさん」
 引き金を引いた。
 同じタイミングで、横に立つ男も、ポルポの部下を全て斃す。
 男の早撃ちに、彼等は対応できず、ただゆっくりと崩れ落ちて行く。
「ありがとう」
 死体を見下ろし、ブチャラティは男に感謝の言葉を告げる。
「珍しく息が合ったな」
「半日以上一緒にいるんだ、そろそろわかるだろ」
 男は苦笑し、舎弟を促す。
「さ……次はディアボロだ」


 だが。
 三人が進もうとした矢先。
 天井部分が落ち始めた。
「このマンモーニのせいで……」
 男は愚痴を零しながら、後ろを振り返る。
 退路は無事。
 だが、ディアボロがいると思しき方角は。
「別の道を探すか?」
「そんな暇はねぇ……突っ込むぜ」
「正気か?」
「当然だろ!」
 男は楽しげに笑い、懐を探る。
 取り出したのは。
「ダイナマイト……?」
「ほら、行くぜ!」
 景気良くそれらを放り投げ、行く手を塞ぐ瓦礫を破壊する。
「……なんて男だ」
 そんなものを使うなんて。一歩間違えば、自分達が生き埋めになるかもしれない。
 だが男の足は止まらない。
「遅れるなよ、ペッシ!」
 ブチャラティはちらりと後ろを見遣る。
 気弱な舎弟も、びくびくしながら着いて来ている。
 きっとペッシは、この男が行くと言えば何処へでも着いて行くのだろう。無理だと思いながらも、兄貴が行くのならば行けると信じて。


「おい! まだ氷持ってるか!」
「もう無い」
 爆発の影響で船内は異常な暑さだ。僅かな氷は生温い液体と化している。
「仕方ねぇ……おまえらは向こうから回れ。オレはこっちに行くから!」
「向こうって……」
「このまま上に出ろ。ヘリで逃げられたら元も子もねぇ」
「あんたはどうするんだ?」
「スタンド使いながら、このまま進む。奴がまだこっちにいるなら、網にかかる」
「だが……」
 どう見ても、この先は崩れ落ちている。
 進むのはもう不可能だ。
「オレは行けると思ったらどこまでだって行くんだよ! だからって氷持ってないおまえらを巻き添えにもできねぇ。別行動だ」
 ブチャラティはその時、男の片腕が、右胸をずっと押さえたままだということに気づいた。
 強く押しつけるような腕。
 その下は。
 ジャケットの厚みさえも越えて、黒い液体で染まっていた。
「あんた……」
 その出血で、ここまで走って来たのか。
 見れば、男の額に浮かぶ汗も、ただ全力疾走したための物とは少し違っている。
「上に出ろ。オレが合流できなくても待つなよ? 勝手に脱出しろ。オレはオレで逃げるから心配はいらねぇ」
 それがどういう意味なのか。
 わからないはずがない。
 ブチャラティにも、ペッシにも。
「……オレ達は待つ。あんたが来るまで、絶対に」
「行け。時間が勿体ねぇ」
「だが……」
 更に言葉を紡ごうとしたブチャラティの腕を、ペッシが掴む。
「行きましょう」
 気弱な、頼りない舎弟。そんなペッシの目が、鋭く細められていた。
 自分が何を言っても、無駄なのだと知った。
 せめて。
 ブチャラティは右手を男の胸元に当てた。
「あ?」
 ジッパーで、出血だけは止める。
 だが傷の内側まではフォローできない。
 肋骨や肺、その辺りがどうなっているのか、ブチャラティにはわからない。
「気ぃ回しすぎ」
「そういう性分なんだ」
「ありがとよ」
 男はそう呟くと、再びダイナマイトの束を取り出し、また走り出した。
 今度は、ブチャラティは着いて行けなかった。
 崩れる船内は、一メートル離れてしまえば、もう後ろに続くことは不可能だった。


 上へ。
 それさえも困難だった。
 生きている人間は、最早自分達しかいないのではないか。
 それでも、昇った。僅かに残ったハシゴを伝い、場合によってはスタンドを使って。
 そして。
 あと一歩。
 あと少し。
 見上げた先には、星空があった。
 外は、もう目の前だった。
「ペッシ、行けるか?」
 ブチャラティは傍らの舎弟に呼びかけた。
 だがペッシは小さく笑った。
「これは登れねぇよ……一人じゃあ」
 確かに、ブチャラティがジッパーを取り付けられそうな物は残っておらず、自力で上へ行くのは不可能。
 何か策はないか。
 考え込んだブチャラティに、ペッシは一つ息を吐いた。
「兄貴の言った通りだ……死ぬのがちょっとだけ遅くなっただけだった」
「何を馬鹿な……まだ行ける」
「あんたは行ってくれ」
 ペッシは何処からともなく釣り竿のような物を取り出した。
「おまえもスタンド使いか……」
 ペッシは頷き、そして針をブチャラティの手に刺した。
「……?」
「上へ放り投げる。ちょっと手荒だけど、あんたならなんとかなるだろ」
「……おまえはどうする?」
 そんなことをしたら、ペッシは。
 取り残されてしまう。
「朝死ぬはずだったオレが、夜まで生きられたのは、夜にしなきゃいけないことがあったからだと思う」
 ペッシは笑いながら続けた。
「兄貴がオレを夜まで生かしてくれた。その兄貴が、あんたに逃げろって行ったんだ。だからオレも、あんたを逃がさなきゃ」
「ペッシ……」
「あんたなら、いい組織が作れるよ。新しい、良い組織作ってくれよ……ルカみたいな奴が命懸ける価値のある組織をさ」
「ペッ……」
 言葉は途切れた。
 ペッシが力任せに、ブチャラティの身体を上へと放り投げたからだ。
「ペッシ!」
 星空が近づいた。
 そして下では。
 それまでなんとか保たれていた均衡が崩れ、ペッシを飲み込むところだった。
「逃げろ、ペッシ!」
 逃げられないと知っていた。
 ブチャラティを支えているのはペッシだ。
 ブチャラティが足場を確保するまで、ペッシはそこから一歩たりとも動くわけにはいかなかった。
 それがわかっていても、空中のブチャラティには為す術がない。
 崩れる船の中にペッシが消えて行くのを、ただ見ていることしかできなかった。

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