11.

 とうとう一人きりになった。
 いや、最初から自分は一人だった。
 それが何故、今はこんなに一人であることが辛いのか。
 ブチャラティは呆然と、ペッシが消えた穴を見下ろした。
 黒煙を上げる船。
 ヘリポートを見遣れば。
 最前からの爆発の影響で、使い物にならなくなったヘリの残骸が残っている。
 脱出ルートは。
 ゆっくりと立ち上がろうとした時。
「何呑気に座っていやがる! ボートだ!」
「あんた……」
 死んだと思っていた。
 兄貴と呼ばれる男が、ブチャラティの腕を掴んでいた。
「ペッシはどうした?」
 歩きながら、男は軽い調子で尋ねる。
 この場にいない理由は、一つしかない。
 だから男が知りたいのは、如何にしてペッシが消えたか。
「オレを上に放り上げる為に……下に残った……」
「やるじゃねぇか、あのマンモーニ」
「……マンモーニなんかじゃない。彼は、マンモーニなんかじゃなかった」
 最後のペッシは、マンモーニではなかった。
「そうだな……そこだけは褒めてやってもいいな」
 前を行く男は振り返らない。
 今彼がどんな顔をしているのか、ブチャラティからはわからない。見てはいけないと思った。
 だから代わりに、別の話をした。
「ディアボロは?」
「マイトで吹き飛んだ」
「そうか……じゃあ終わりだな」
「ああ、終わりだ。後は逃げるだけ」
 後はただ、この船から脱出するだけ。


 救命ボートまで歩きながら、ブチャラティは男に問いかける。
「これから、どうする?」
 組織は二つとも、トップを失った。
「さあな……そこまで考えてなかった」
「あんたならそうだろうな」
 そういう男だ。ブチャラティは納得する。
 後先考えずに、突っ込んで行く男。だからこそ魅力的な男。
 ペッシがこの男に心酔して付き従った理由が、よくわかる。
「田舎に帰ってのんびりするかな」
「家族がいるのか?」
「いねぇ。誰もいねぇ。でもいいところだぜ。おまえも一度遊びに来るか?」
「あんたにもてなしが出来るとは、悪いが思えないんだが」
「できるわけねぇだろ、そんな肩の凝るような真似」
 笑い飛ばした後、男は立ち止まる。
「発見。あれで逃げられるぜ」
 男が指差したのは、奇跡的にも無傷のボート。
「乗れ。オレが降ろしてやるよ」
 誰かが上に残って降ろさなければならないそれ。
「あんたは?」
「大した高さじゃねぇから、飛び降りる」
 身軽なところは何度も見せて貰っていたので、ブチャラティは頷き、ボートに飛び乗った。
 ここで言い争いをするだけ無意味だと、いい加減気づいていたので。
 仮にブチャラティがその役目を引き受けると言ったとしても、男は絶対に譲らないだろうことは目に見えている。
 そんなつまらないことで揉めている暇はない。
「降ろすぜ」
 男の声に、ブチャラティは片手を上げて応じた。
 だが。
 何か、大切なことを見落としているような気がした。
 それが何なのか、すぐにはわからない。
 何だったか。
 たくさんのことがありすぎて、頭の中は少しだけ混乱気味だ。
 何を忘れているのか。
 脳裏を過ぎるのは、ルカの死に顔、ペッシの笑み。そして。
 そして。
 そして?
 ボートはゆっくりと、水面へと近づいて行く。
 ゆっくりと。
 水面が、近づく。
 星空が、波間に揺れる。
 それを見つめ。
 ブチャラティは、はっとして顔を上げた。
「おい!」
 何故こんな大切なことを忘れていたのだろう。
 男は右胸に重傷を負っていた。
 止血だけはしたが、ただの応急処置に過ぎない。
 この高さから、ボートまで。
 飛び降りるとしたら、その衝撃は。
「無茶だ!」
 飛べるはずが、ない。
 男があまりにも涼しい顔をしていたから忘れていた。
 あの男は今、飛べるような状態ではない。
「何を考えている!」
 水面に浮かんだボートの上で、ブチャラティは必死に声を張り上げた。
 男の姿は見えない。
 早く。
 早く来い。
 何をしている?
 焦燥が、鼓動を早くする。
 と。
 夜空に映える金髪が見えた。
「何をしているんだ、早く……!」
「ブチャラティ!」
 男の声と共に、何かが降って来た。
 反射的にそれを掴み、ブチャラティは目を見開く。
 男が首から提げていたペンダント。
「骨の代わりに墓に入れとけ!」
「名前も知らない男の墓が作れるわけがないだろう!」
 それ以前に。
 何を馬鹿なことを言っているのかと思う。
 さっさと飛び降りろ。
 多少悪化しても、陸に戻ればなんとかなる。治療はできる。だから。
「オレは情報通なんだよ!」
 男の声が、また聞こえた。
「ジョルノってガキが、最近新しい組織を作った! 使える奴を集めてるって話だ! そいつの分厚いリストの中には、ブチャラティの名前も入ってる! スカウトが来る前にこんなことになっちまったが、オレが保証する! 今までとは違う、新しい組織だ! そこに行け!」
「あんたも一緒だろう!」
 声は、しばらく間を置いて返った。
「オレみたいな奴には、声なんか掛からねぇよ! オレがいたんじゃあ、おまえの引き抜き話も白紙になっちまう! 一人で行くんだな!」
「おい! 早く降りて来い!」
 声は、返らない。
「何をしている! 聞こえないのか! おい……!」
 何度目かの呼びかけの途中。
 それまでで最大の爆音。
 目を焼く光に、思わず顔を背けた。


 目を開いた時。
 船は炎上していた。
 ロープは切れ、ブチャラティは波に揺られるまま、船から遠離っていた。
 炎を上げる船に向かって叫びかけた。
 が。
 呼ぶべき名が、わからない。
「……また、名前を聞くのを忘れたな」
 手に残された男の持ち物。
 そこに名の手がかりなどありはしない。
 しかし。
 ブチャラティは強く握りしめた。
 そして。
 言葉にならない叫びを上げた。
 名も知らぬ男を呼ぶ叫びを。


 漂流して数時間。
 上空を、ヘリが旋回する。
 何故こんな所に、と訝しみながら顔を上げた。
 ハシゴが降ろされた。
 所属の不明のヘリに、のこのこ乗り込む馬鹿はない。
 だが。
 あの男ならば、きっと登る。そう思った。
 登ってから、正体を見極める。
 もし敵なら。
 スタンドを使えばいい。
 あの男ならばそうするのではないか。
「………」
 ブチャラティは手を伸ばし、それを掴んだ。
 果たして上で待ち受けていたのは。
「あんたか……」
 見慣れた警官が、私服でそこにいた。
「よう、ブチャラティ。生きてたな」
「なんでここに?」
 ポルポの使っていた情報屋が、何故。
「オレ達は誰の味方ってことはないからな。あっちにもこっちにも、いい顔しておくのさ」
 何が言いたいのかわからない。
「ジョルノって若造が新しい組織を作った。そのメンバー集めの手伝いをしてる」
 何処かで聞いた話だと思った。
 最後の瞬間に、あの男が示唆した道。
 それは確か。
「ポルポとディアボロをぶっ潰したあんたを、ジョルノは幹部として迎えるそうだぜ」
 背中をぽんと叩かれ、ブチャラティは首を振る。
「オレが一人で潰したわけじゃない……」
「何言ってんだ、こんなとこに一人で浮かんでおいて。謙遜か?」
 警官は知らないのだろうか。
 ブチャラティが今日、誰と一日を過ごしていたのかを。
 ヘリに、明かりが差し込む。
 地平線に日が昇った。
「朝か……」
 ブチャラティは目を細め、朝日を見つめた。


 長い一日が、終わる。

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