5.

 ポルポに切り捨てられた男は、名をルカと言った。
 同じく捕らえられていたのは、ペッシ。
 そして。
 救出に来た兄貴分。
「名前をまだ聞いていないんだが……」
 相手は自分のことを知っていたから、ずっと「ブチャラティ」と呼ばれているが、ブチャラティの方は、彼を何と呼べばいいのかわからない。
 男が乗って来たというフェラーリの前まで移動しながら、ブチャラティはそう問いかけた。
「あ? 言ってなかったか?」
「聞いていない」
 ペッシはずっと彼のことを兄貴と呼んでいたので。
 すると男は一瞬だけ考えた後。
「よし、じゃあてめぇもオレのことは『兄貴』って呼びな」


 車の前に立ち、男はペッシをまた蹴り飛ばす。
 というのも。
「運転しろ」
 と言われたペッシだったが、長時間縛られたままだった手足はまだ痺れが残っているらしく、キーを受け取ることすら満足に出来ない状態だった。
 いつもと同じように放り投げたのに受け損なって、落とした。
 それが男には気に食わなかったらしい。
「一晩縛られたくらいで何寝惚けたこと言ってやがる! このマンモーニが!」
「そ……そんなこと言ったって……兄貴ぃ……蹴らないでよぅ……」
 既に十分近くそんな遣り取りが続いていた。
 すぐに足が出る。そんな足癖の悪さには気づいていたが、それにしても蹴り過ぎだ。
 ブチャラティは時計を確認し、溜息と共に一歩踏み出す。
「貸せ。オレが運転する」
 その方が早い。
 それに、自分達は一刻も早くこの場から立ち去らなければならない身の上だ。
 こんなつまらないことで時間を無駄にしたくない。
 が。
 兄貴と呼ばれる男は、ブチャラティの申し出に即答する。
「オレが運転する! てめぇらは後ろに乗れ」
 てめぇら。指差されたのは、ペッシとルカ。
 ブチャラティには助手席を示した。


「飛ばすぜ」
 その宣言通り、兄貴と呼ばれる男は、いきなりアクセルを全開にして走り出す。
 人間性の問題だろうが、安全であることよりも、如何に早く発進できるかの方を重視しているらしい。
 自分は構わないが、後ろの二人は一晩責められて疲れ切っている。
 もう少し、ゆっくりと走り出せないものか。
 そう言いかけたが、やめた。
 何故二人を後ろに座らせたのか、その理由に思い至ったから。
 きっと普段はペッシを横に座らせるのだろう。あるいはペッシが運転してプロシュートが助手席。
 それが今日は、自分の隣はブチャラティを指名した。
 おそらくは。
 後ろの二人の疲労を考え、休ませようという配慮だ。
 でなければ、つい数十分前に初めて会ったブチャラティを横に乗せようなど、思うはずがない。
 走り出して数分後。
 後ろの二人が寝息を立て始めた頃。
 兄貴と呼ばれる男はブチャラティに話しかけて来た。
「……何処に行きたい?」
 視線は前方に固定したまま。
 片手はハンドルに在ったが、もう片方の手は懐を探り、煙草を取り出す。
「何処か隠れられる場所を知っているのか?」
「知るか、そんなもん。だからおまえを横に座らせてんだろ? おまえにナビゲーターさせる為だってことくらい、もっと早く気付け」
 男の頭の中には、ブチャラティに関する情報が詰まっている。
 ブチャラティならば、良い逃走先を知っているだろうと判断したのだろう。
「……そうだな。二人で考えてみるか」
 自分はともかく、ルカはうまく行けば逃げられる。
 死体があの場に無かったにしろ、後でブチャラティ一人が捕らえられた時に「殺した」と答えれば、それでルカは自由の身となる。
 ペッシとこの男のことも、「殺し合いをした」と言えば死んだことにできるかもしれない。
 その為には、この三人を無事に逃がすことのできる何処かへ行かなければ。
 それに。
「……素直じゃないな。後ろの二人を休ませる為に、オレを助手席にしたんだろう?」
 問いかければ、男は眉を寄せたようだった。
「なんだ、そりゃ。……そいつがブチャラティの発想か? なんでオレが舎弟に気使うんだ」
 素直ではない。そう思う。
 気を遣う必要のない相手ならば、わざわざ自分の立場を悪くしてまで助けになど来ない。
 そして。
 わざわざ四人で一緒に行動するよう誘って来た。人数が多い方が目立つというのに。
 それはきっと。
 ブチャラティが逃走用の車を用意していなかったから。
 日頃から、人混みに紛れる方法を採用するブチャラティは、車を利用しない。おそらくそういった情報も男の頭に入っているはずだ。
 疲弊したルカを連れて逃げるには、車が必要。
 だから男は、ブチャラティを誘った。
 車に一緒に乗せる為に。
「急ぐぜ」
 ブチャラティの視線を居心地悪く受け止めていた男は、舌打ちの後、更に加速する。
 後ろの二人が目を覚ますのではないかと思うような走り方だった。

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