Do you dislike it?
音楽室に出入りする人間は皆、足音など響かせない。
足音どころか、気配までも絶っているかのようで、実際に何か取り出して物音を立てたり、声を発したりしなければ、存在すら気づかない場合もある。
特に、この人物は。
アナスイも無口だが、それに輪を掛けてひどいのがウェザーだ。
どちらかと言えば付き合いやすいのはウェザーのはずなのに、口数は半分程度。
もっともエンポリオ自身、話しかけられたとしても話題はさほど豊富ではないので、二人の沈黙は心地良かった。
しかし、限度がある。
たまに、誰かと言葉を交わしたくなる時もある。
そうしなければ、言葉を忘れてしまうような、そんな不安に襲われる。
話し相手には全く適さない二人しかそばにいない現状は、余計に。
そして何より、たまにしか言葉を発さないがために、肝心な時に言葉に詰まる。
たとえば今のように。
「ウェ……ウェザー……?」
足音も気配もない人物が背後に立った場合、相手が話しかけて来ない限り、偶然後ろを振り返ることでもなければ気づくことはない。
今もエンポリオは、何かの拍子に軽く踵を返しかけたところで、すぐ真後ろにいたウェザーに気づき、一瞬びくりとしたところだった。
いつからそこにいたのかわからないが、何故か彼は片手に何か細い棒を持ち、それをエンポリオに差し出す格好で立ち尽くしている。
それが何なのか考える前に、ウェザーがやっと口を開く。
「嫌いか?」
抑揚のない問いではあったが、どこか寂しげに見えた。気のせいかも知れない。けれど、大急ぎで否定し、受け取る。実際、差し出されたそれは、嫌いではないのだから。
「この飴……どうしたの?」
どこから持って来たのかわからず、エンポリオは細い棒を掴んだまま、じっとその先の可愛らしい形の飴を眺める。
「嫌い、か?」
二度目のそれによって、やっとエンポリオは、ウェザーが問いたいのが嗜好ではなかったことに気づく。
好きか嫌いかという意味ではない。“早く食べろ”という遠回しな催促だ、これは。
いつまでも握ったままでいるわけにもいかず、エンポリオは覚悟を決める。
花びらの形に似たその透き通った飴を、おそるおそる口に含んだ。
あ。
甘い。
美味しい、かもしれない。
口から棒だけを出した状態で、ウェザーを見上げる。
と、彼もまた、じっとエンポリオを見下ろしているのが伺えた。
感想を待っている。そんな感じだ。
「………」
「………」
「……美味しい」
これをどこから入手したのか、何故エンポリオに渡したのか、いろいろと聞きたいことだらけなのだが、まず何から切り出せばいいのかがわからない。
日頃の対話不足が、コミュニケーションを困難なものにする。
結局言えたのは、ただ「おいしい」の一言だけ。
しかも、相手からの反応もない。
が、エンポリオがそれを舐め続けていることで相手は十分満足なのか、表情は多少和らいだように見える。
銜え続ける棒の先が、どんどん小さくなっていく。
ただ差し向かい合って、飴を舐めている。光景としてはかなり変だ。そうは思っても、ウェザーが目を逸らそうとしないので、エンポリオも動くに動けない。
やがて。
飴が無くなり、エンポリオはごくごく自然に、棒を口から離した。
と同時に、それまで立ち尽くしていたウェザーは中腰になり、エンポリオに顔を寄せて来る。
「……嫌いか?」
「好きな味だけど……」
嫌ならば、最後まで綺麗に食べたりしない。
その答えに、ウェザーは小さく頷き、右手をエンポリオの眼前に突き出す。
握られていたのは。
「……飴、まだあったんだ……?」
色とりどりの飴がついた棒が何本もある。
蝶や虫に似た物まで、形も様々。
「………」
「これも、貰っていいの?」
「………」
ただ頷くウェザーから、それらを受け取り、エンポリオはやはり首を傾げる。
何なのだろう、これは。
答えは、三つ目の飴を口に入れた後で出た。
それまでウェザーの背に隠れて見えなかった、アナスイの姿が目に入る。
「アナスイ……?」
銀色の、型のようなものを、片手で弄ぶアナスイ。
それらは全て、先程からエンポリオが食べている飴の形と、全く同じものばかり。
そしてその傍らにあるのは、開封され、中身が半分ほどになっている砂糖の袋。
まだ自分のそばにいたウェザーに、そっと問いかけてみる。
「この飴……アナスイが?」
「作らせた」
この男の口から、まともに返答らしきものが返って来るのは、久しぶりだ。
会話っぽくなって来た。そう思うと、なんだか嬉しくなり、エンポリオは更に問いかける。
「砂糖とか、型は?」
「それも、持っていた」
アナスイが、持っていた。ということだろうか。
言葉が足りない。
かといって、張本人であるアナスイに訊いたとしても、ウェザーより遙かに要領を得ないに決まっている。
疑問だらけではあるが、飴は美味しいし、アナスイが作り、ウェザーが手渡してくれたというその経緯が、なんだか共同生活を営んでいるような気分を与えてくれる。
だから、まあ、いいか。そんな気持ちになって、エンポリオは飴を頬張った。
アナスイと目が合った、というだけで、何かとんでもない不始末をしでかしたかのように感じ怖れ戦いた囚人の一人が、ご機嫌取りの貢ぎ物として差し出したのが、砂糖一袋だったと、後日知った。
そして、砂糖を差し出されたアナスイが、何を思ったのかその囚人のベッドを素手で分解し、部品を共に音楽室に持ち帰ったらしいことも、囚人達の噂として通りすがりに耳にした。
砂糖と型の出所は、それでわかった。
そこまで理解したところで止めておけば良かった。エンポリオがそう後悔するのは、型の様々なデザインが、本物の蝶や虫の死骸を直接金属に触れさせて形作られた物だと知った瞬間だった。
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