The last present
路上で意識が遠くなり、次に目が覚めた時から今日までずっと、このベッドの上にいる。
もう二度と歩けないのだと知らされたのは、目が覚めてから何時間後だったか。
その言葉を知らされてから、何十時間経ったのか。
ジョニィが時計を見ることは無く、また、時計も存在せず、時刻を知らせる人間もいなかったので、これらの疑問に対する答えは得られない。
一人きりのベッドの上で、一日ぼんやりと過ごすだけ。
ふと、目に入ったベッドサイドの大きな箱。
「これ……何だっけ……?」
自分の物ではないと思う。見覚えはない。
白い、四角い、大きな箱。
何が入っているのか、確かめることはできない。手の届く高さではないから。
特にすることもない一日、ジョニィはただ何となく、それを見つめて過ごした。
眠っている間、夢を見る。
一緒に並んでいた路上。
傍らの艶やかな髪を見下ろす自分。
もう一生、他人の頭を上から見つめることなんてない。そんな思いが何処かにあるせいだろうか、夢の中の自分は、傍らの誰かの頭をいつまでも眺めている。
人生で最後に見た他人のつむじがこれなのだ、と。
頭の持ち主の声が下から聞こえる。
何を話しているのか、全く聞こえない。耳に入って来ない。
ただ、頭を眺める。
そんな夢。
目が覚めると、また薄暗いベッドの上の自分。
何時間眠ったのか、よくわからない。
まともに眠れているのかどうか、自信も得られない。
巡らせた視線の先には、また箱。
眠りにつく前まで、ただ見ていた箱が、まだそこに置かれている。
あれは何なのだろう。
いつからそこにあるのだろう。
最初からあったのか、途中から増えたのか、それすらもわからない。
ここに来てからの記憶は、あまりにもあやふや過ぎて。
繰り返し繰り返し、同じ夢ばかり見る。
何かを話す自分達。
実際のあの瞬間は、もっと色々な物を見ていたはずだ。周囲の建物や、女の子の顔や、居合わせた人々の姿。
そのはずだが、夢の中では違っている。
自分はずっと、ただ頭を見ている。
傍らにある、頭の天辺を見ている。
流れる艶やかな髪の、生え際。頭だけを、見ている。
『……じゃあ、今度……』
傍らのその子は、話し続けている。
声はちっとも耳に入って来ないけれど、ずっと話し続けている。
『……ってあげる……』
ジョニィは頭しか見ていない。
顔も見ることなく、頭だけを見ている。
『作って、あげる』
何故か。
聞こえなかったはずの声が、何故か、突然クリアに耳に届く。
『馬、馬、馬。……馬のことばっかり。だから、ニンジン』
声が届く。
傍らのその声が、届く。
『ニンジンのケーキ、今度焼いてあげる。作ったら、残さず食べてよ』
それに対し、自分は何と答えたか。頷いたか。どうせ適当なことしか言わなかったはず。
『約束。ちゃんと食べて。必ず持って行くから』
その場のノリだけで交わされた約束なんて、信じない。
けれど彼女は、妙に真剣な顔で詰め寄った。
それさえも、自分は軽くあしらったのだけれど。
最後の、外界での記憶を辿る夢。
何度も見る、最後の思い出。
つまらない出来事でしかなかった、他愛もない日常。
また、目が覚める。
一人きりのベッド。
巡らせる視線。
そして。
「まだある……」
置かれたままの箱。
何の箱だろう、あれは。
「着替えは入らないし。……あの日持ってた物でもないし。……ケーキを入れる箱に、似て……る……?」
思いつくまま可能性を口にしていただけ。
なんとなく、ただそう思っただけ。
あの箱は、ケーキを収めるのに相応しい形状をしている。そう感じただけ。
だというのに。
あんな夢を見て、目が覚めた直後だからだ。つまらないことを想像してしまうのは。
「まさか……あの子がニンジンケーキを焼いて来たわけ……ないじゃないか」
第一、見舞いにだって来ていないのに。
いや。
あれからずっと、自分は混乱していて。あの日から後のことは、殆ど覚えていなくて。
誰が来ていたのか、誰と話したのか、そんなことさえも。
「だってあれは……冗談みたいなもので……」
ついつい馬の話が多くなってしまうジョニィを責める意味で、彼女はあんなことを言ったのだ。だから、本当にニンジンでケーキを作ったりしない。あの場限りの、質の悪い冗談に過ぎない。
それに。
自分のそばにいた女性達は皆、それほど親しい付き合いではない。
もう馬に乗れなくなったジョニィと関わりを持ち続けたいと思うような種類の人間は、自分の周囲には一人もいない。
誰もが打算で、そばにいた。
だから今、ジョニィは一人きりでここにいるのだ。
皆、去ってしまった。
当然、あの子も、去ったはず。
そう思うのに。
「ケーキじゃない。絶対に、約束のケーキじゃない」
自分の想像を、必死になって否定する。
期待してはいけない。期待しては、いけない。
一晩中、呪文のようにそれを唱えた。
夢はいつもと同じ。
そして目覚めた時、珍しく明るい光が差していた。
その時初めて、いつもは真夜中に目が覚めていたことを知る。
ここに来て、朝目が覚めるのは初めてだった。
無表情な男が傍らを通り過ぎる。
それを無理に呼び止め、ジョニィはベッドサイドを指差す。
「あれ、捨てて」
ずっと置かれたままの、あの箱を。
「中? 見なくてもいい。そのまま捨てて」
期待を裏切られるのを避けるために。
否。
希望を、抱き続けるために。
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