制限時間

『バイキング始めました。平日14:00〜17:00』
 手作りのポスターは、その文面こそスタンダードだが、デザインたるや、常軌を逸していた。
 とても食べ物商売の販促用とは思えない、独特の奇抜な色彩。目を惹くイラストではあるが、じっと眺めていると数分後には沸き上がる嫌悪感を無視できなくなる。
 しかし。町中が知っていた。
 これが誰の手によって制作されたものかを。
 一部の人間は、彼の名声を知るが故にそうそう安易に批判の言葉を口にできず、また別種の人間は彼個人の恐ろしさを知るが為に迂闊なことを口走ったり思ったりもできずにいる。


 ポスターは、某イタリアンレストランの店主が、高名な漫画家に依頼して作ったものだった。


 ポスターの効果は凄まじい。
 制作者が自ら無理を通し、駅前の目立つ場所全てを利用できるようにした為、町民を始め町を訪れる人間の全てが、必ず一度はそれを目にする。
 そして食べ物とはあまりに異質なそれの印象が悪すぎるので、客足は少しも延びない。
 延びない原因を、高慢な制作者も、人の良い店主も気づかない。
 そしてポスターが貼られて半月。
 今日も、店を訪れるのは常連客のみ。


「でもよー、ケーキバイキングなんて、グランドホテルでやってんじゃん。なんでトラサルディーで始めたわけ?」
 半月も前から始まっている新サービスについて、今更な質問を呟いた億泰に、店主はテーブルに溜まった空いた皿を片づけながら答える。
「露伴先生に薦められまシタ。お昼と夜はお客様も増えまシタが、アイドルタイムも重要だと教えられマシタ。それで、日本の風習に従ってみました」
「へー……」
 自分から訊いておきながら、あまり興味の無さそうな声を出し、億泰はテーブル横に置かれたワゴンの上から次のケーキを物色する。
「えっと……今のが、昼飯の消化を良くしてくれるケーキだろ? ……これは何に効くんだっけ?」
 数種のケーキを指差しながら、トニオを振り返る。
 が、店主は既に厨房へ戻っていた。仕方がないので、隣のテーブルに座る客を振り返る。
「なー先生、これ何だっけ?」
「………」
「なーってば」
 億泰のようにテーブル中にケーキを並べず、大きめの皿に一つだけケーキを乗せたまま紅茶の香りを楽しんでいた露伴は、あまりのしつこさに眉を寄せ、やっと億泰へ視線を送る。
「十五分まえに、トニオ・トラサルディーが一通り説明したと思うが……そこのボネは、リラックス用だ。まず昼食で重くなった胃を休めた後は各種効用に合った物を選び、中間一休みしたくなったらそのボネを楽しむ。そう言ったはずだが?」
「あ、そっか。じゃあ、これはもう少し後にして……これは何で写真だけ?」
 露伴は溜息を吐き、再び語り出す。
「それもさっき言っていたな……カンノーリは、食べる直前に筒の中にクリームを入れるからそこには並べないと。欲しいなら、トニオ・トラサルディーにそう言うといい」
「そっか。……おーい、トニオさーん! この、カンなんとかっての、五個持って来て!」
 店の雰囲気を物ともしない大声を間近で聞き、億泰と同じテーブルに着いていた由花子の眉が吊り上がる。
「五個も一人で?」
「いや。オレが二つで、由花子と康一が一つずつ。な?」
「億泰くん……それって合計したら四個だよ……」


 常識的に、レストランがランチの後からディナーの開始まで店を閉めておくのは、昼の片づけと夜の準備の為である。そして従業員の休憩時間もそこに含まれる。
 しかし、その時間帯も営業を続けるというのは、たった一人で店を切り盛りしているトラサルディーには、間違いなく無理がある。
 並の漫画家の技術を凌駕して仕事をこなす露伴が、自分を基準にして考えたシステムなだけあって、トニオ個人の負担は全く計算に入っていない。
 それでもこの半月を無事に乗り切れたのは、やはり、客が少ないからだろう。
 そんなことを、ケーキを頬張りながら康一は考える。
 美味しいトニオ特製のケーキを沢山食べられるのは良いことだ。
 しかもバイキング用だからと手抜きすることなく、ディナーの時に登場するようなドルチェばかりが並ぶ。これも良い。
 料金は一人、千五百円。ただし、中学生から大学生には学生割引という謎の料金システムが存在し、九百八十円。小学生以下は七百円。採算の合わない低料金。これも悪くない。
 客の立場から言えば、文句など一つもない。
 ただ。
 トニオの知り合いとして、トニオの体や店の経営を考えるならば、とてもではないが賛成できない。
 けれど。
 こうやって週に三回、由花子とデートできるのだし、女の子はやはり甘い物が好きらしく、満面の笑みでケーキを食べている姿を見られるのも嬉しい。
 そんなわけで、康一は今日も“ケーキバイキング大賛成”の立場を崩さない。


 一人ででも店に顔を出す億泰は、常に昼食も兼ねている。
 一時頃に入店し、ゆっくりと食事を終えた後、ケーキを食べ始める。
 場合によってはそのままずるずる店に居続け、とうとう夕食まで摂り、閉店まで居座ったりする。
 毎日の食費はけして安くないが、トニオの料理が一番の好物である億泰には、値段など二の次だ。金銭だけは不自由していないので、全く気にならない。
 それに、毎日来ていても、ケーキはいつも違う物が食べられるので、飽きが来ない。
 何より素晴らしいのは、時間。
 杜王グランドホテルのように、一時間半或いは二時間という時間制限が無い。
 二時から五時まで、いつまででも食べられる。
 露伴を見かければ必ず「先生ありがとう!」と言ってしまう。億泰には大歓迎の企画だ。


 一方。
 ケーキバイキング発案者の露伴はといえば。
 一ヶ月前、たまたま食事に訪れた際、話のついでに冗談半分「ケーキバイキングでもやればいいんじゃないか」と言ったのをトニオが真に受け、料金やドルチェの見せ方、販促用ポスターの制作まで面倒を見る羽目になってしまった。
 自分が言い出したことだという責任も多少は感じているので、週に一度は姿を見せることにしていた。
 当然、週に三回通って来る由花子と康一のカップルに出会う確率も高い。そして、毎日通いつめている億泰とは必ず顔を合わせる。
 ケーキは日替わりなので、億泰の頭では覚えきれない事も多く、そのたびに今日のように解説を加えている。
 少々騒がしいのが気になるが、露伴はケーキを一つ食べればすぐに席を立つので、さほど苦痛ではない。
 ただ一つ、気になることはあるが。


「ところで、一度も仗助を見かけないが、あいつはケーキ嫌いか?」
 この三人のいるところに、あの仗助だけが欠けている。それが少々不自然だ。
 ケーキが嫌いなのか、トラサルディーでこんなサービスを始めたことが不満なのか。
 その問いに、何故か由花子と康一は一瞬びくりとし、そして黙り込む。
 やはり何かあるのか。
「それとも、僕が関わっていることだから、嫌だとでも?」
 至極あり得そうな可能性を口に乗せた時。
「あー違う違う」
 それぞれ味の違うカンノーリを三個まとめて頬張っていた億泰が、漸くそれを飲み込んで話し出す。
「だってよー先生、このバイキングに来れるのって、俺達くらいだぜ?」
「どういう意味だ?」
「学割とかあって最高に良いけどよー……」
「何が不満だ?」
 露伴が思いつく限り、最高のサービスを展開しているはずなのに。
 しかし。
 億泰が次に言う言葉は、露伴の想像を超えていた。
「だって先生、平日の昼間だけしかやってないって……学校はまだ授業中だぜ?」
 予想外のその言葉に、初めて露伴が息を飲む。
「……君達はそれでも来ているだろう?」
 食べたければ、学校などサボタージュして当然。露伴の常識はそうなっている。
「仗助、ああ見えて学校にはちゃんと毎日通ってんだぜ? 授業もちゃんと聞いてて真面目だし。掃除当番も守るような奴が、ケーキ食いに来たりしねぇよ」
 服装以外は、意外に優等生だという仗助の生活について驚けばいいのか。
 それとも、安いケーキよりも授業の方が大切だというそのご立派な精神を褒めればいいのか。


 そんなわけで。
 その後も、午後のアイドルタイムを利用したケーキ食べ放題のサービスは、一部の常連客にだけ好評だったので長く続けられることとなった。

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