悪夢の始まり

 一度は家に帰れと言ったはずなのに、その男は結局泊まり込む。
 そこまで面倒を見なければならない覚えはなかったが、帰れという言葉に逆らって居着いてしまったものを無理に追い出す気にもなれない。
 なので承太郎はその男の滞在を黙認した。
 承太郎自身も準備が必要だった。
 急遽エジプトへ飛ぶことになったため、何処に仕舞い込んであるのかわからないパスポートを探さなければならない。
 それ以外にも、主婦が寝込んだ時に家人が陥るパニックが、一般家庭同様にここをも襲っていた。
 仕事で家を空けている父親に連絡を取ったり、看病の為の人間を手配したり。
 そして何よりも重要なのは。
 家事、だ。


 翌朝、花京院は定時に目を覚ます。
 朝はかなり早い方だと自負していたつもりだった。が、客用の部屋の中にいる自分にもわかる。既に家の内部は動き出している。
 この家の朝は一般家庭よりも大分早いようだ、と身支度を整え部屋を出る。
 三十秒後、面食らう。


 なんと。
 どう見ても、『男子厨房に立つべからず』な育ち方をしてきた匂いのする男、空条承太郎が、キッチンにいた。
「……おはよう」
「ああ」
 こちらを振り向きもせず短い言葉で答えたかと思うと、やはり花京院を見ることなく問いかけて来る。
「茶、淹れたから持って行け」
「あ、ああ……」
 渡された急須と人数分の湯飲みを持って隣の部屋へ移動すると、やはり既に起き出していたジョセフ・ジョースターとアヴドゥルがそこにいた。
「……おはようございます」
 もしかしたら、自分は思っていたほど早起きではないのかもしれない。四人いて、一番遅く起きてしまったのだから。
 ただし、そうと断言できない事情も、花京院にはある。
 身体から異物を取り除かれたばかりの身であり、その疲労もまだ癒えていないということも考えられる。だから思っていたよりも遅く目覚めた可能性が高い。
 生憎、自分が寝起きした部屋には時計がなく、本当に平常時と同じ時間に目覚めたかどうか確証が持てない。自分の感覚で、多分、同じ時間だと感じただけに過ぎない。
「遅くなりまして……」
「いや、こっちも起きたばかりだ。気を遣う必要はない」
 その言葉も、寝坊した人間に対する常套句のようで、やはり気まずい。
 気まずいついでに、そこに並べられている朝食についても、誰が作ったのか聞くに聞けない。
 もしここにいる彼等が準備したのだとしたら、寝坊した挙げ句に人が作ったものを遠慮なく食べるだけの自分は、かなりの無礼者だ。
 知らずに食べるのも失礼だが、それと知っても遠慮なく口にできるような人間には、正直なりたくない。
 なりたくない。なりたくはないが。


 結局。
 どうやって準備したのかわからない朝食を、「遠慮するな」の言葉に負けて綺麗に食べてしまった。
 居心地の悪さを感じていたため、慣れぬ日本で買い物に行きたいという老人の付き添いを買って出た。
 もっとも、日本語も達者で、老人と呼ぶには若過ぎるその男性には、案内役など必要ないかもしれないが、万が一ということもある。しかし実際のところ、この家の近所など、花京院自身も実はあまり詳しくない。
 エジプトから帰ってから、親の反対を押し切り強引に転校。引っ越しも親の同行も、下宿先探しも拒み、一人で優雅にホテル暮らし。それほど長く滞在する予定など元からないので、それで良かったのだが、自分が知っているのはホテルと学校と承太郎の家だけという有様だ。
 自分でも、こんな高校生に付き添われたくないだろうなと思う。
 そんなことを思いながら、やはり遠慮がちに一歩下がって荷物持ちに徹し、帰宅したのは昼近く。


 またしても、失敗したと悟った。
 既にそこには、軽めのランチが用意されている。
「近所の食堂から出前を取った。金の心配はいい。じじいの奢りだ」
「……ごちそうになります」
 これで何食目だろう、こちらでお世話になるのは。
 この調子で行くと、夕食までご馳走になるだろう。
 申し訳ないとは思うが、残念ながら花京院には、御礼に何か美味しい物を作る、というスキルが備わっていない。
 甘えるしかない。


 問題は、その昼食の後に起きた。


 綺麗にそれらを片づけた後、徐に承太郎がキッチンへ立った。
 今朝見た光景がまだ頭にあったので、花京院はさほど気にはしなかった。
 承太郎が戻った時、死ぬほど驚かされるとは想像もせずに。
 そう。
 戻った承太郎の手には、何故かプリン。
 しかも市販の製品ではない。
 市販の物より三倍は大きい。
 そして器に盛られ、回りはフルーツや生クリームで見事に飾られている。芸術的な配置に、思わず見とれる。
「余ったから、全員分用意してみた。食え」
「え?」
 今の言葉をそのまま受け取るなら。
「………」
「前にお袋が風邪を引いた時、プリンが食いたいって言ったから、作り方を覚えた。今回は風邪じゃねぇが、サービスだ」
 花京院の推測を裏付ける説明が、ご丁寧にも本人からなされる。
「君が……作った、の……?」
「しばらく家を空けるから、残しておけねぇ。全部食ってくれ」
「………」
 何と言えばいいのだろう。朝食や昼食の時とは違う意味で、手を出し難い。
「もしかして朝……これ、作ってた……?」
 早朝から厨房にいた理由は、これで納得できた。
 それはいい。それに関してはいい。
 それよりも。
 あの空条承太郎が、プリン。
 食べられるのか。
 味はまともなのか。
 こっそり、隣の二人の様子を窺う。
 二人は話に夢中で、受け取りはしたものの、まだ口はつけていない。
 状況的に、真っ先にこれを口に運ぶ人間は、自分だ。
 何故なら、これ以上食べずに時間を引き延ばす理由がない。
 悪夢だ。
 悪い夢だ。
 空条承太郎の作ったプリンを食べる、そんなことありえない。
 目の前が真っ暗になりそうだった。
 スプーンを持ったまま、花京院はしばし固まった。

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