sept.Narciso Annasui

 暇なので外の空気を吸って気分転換でもしようかと思った。
 ウェザーは怪我のため、自由に動き回れなくなっている。エンポリオはふらりと所内を徘徊しているらしく、姿が見えない。
 五月蠅いお目付役が一人もいないこの状況。
 どうやら自分はあの二人からも、野放しにしておけない危険な生き物だと認識されているらしいので、こういう機会は非常に少ない。
 いつも通り、適当に看守の目をかいくぐり中庭まで一直線に抜ける。
 人気のないそこで頭上を見上げると、青い空だけが広がっていた。
 一つ息を吐き、それから周囲を見回す。
 何か、暇つぶしに丁度良い玩具でもないかと。
 アナスイに近付く人間は殆どいないし、目を合わせたがる人間もいない。時折視線は感じるものの、振り返った時にはもう誰もアナスイを見ていない。
 よほど危ない男だと思われているのだろう。
 本人にとっては、ここにいる犯罪者の誰よりも安全なつもりなのだが。
 少なくとも人を殺して愉しんでいる輩よりはずっとましなはずだ。本来ならばそういった連中の方を危険視すべきだと思う。自分を避けるよりも、その方がまだ利口な気がする。
 アナスイ本人が興味を抱かない限り、どんな物にも危害は加えないのだから。
 遠巻きに感じる視線はいつものこと。
 アナスイはすぐに全て無視し、ここにいるのは自分一人だと納得させる。
 住み慣れてしまえば、ここはひどく退屈で、自由に壊せる玩具にも不自由する。
 だから時折、こうやって探してしまう。
 新しい玩具を。


 退屈だったので、直接地面に座り込み、手近な雑草を引き抜く。
 細い草は面白くない。
 ただ力を入れて上に持ち上げるだけで、それで全て終わり。それ以上のどんな作業にもならない。分解される要素に欠けている。
 だからすぐに飽きた。
「アナスイ?」
 呼ばれたので、顔だけ上げてみる。
 どこをどう通ってここまで来たのかわからないが、エンポリオが立っていた。
「………」
 返事をすることは滅多にない。
 呼ばれて反応したのだって、実に数ヶ月振りかもしれない。
 当然、呼んだ本人だって驚いただろう。
 呼んだところで返事などしない相手だとわかっていて、それでもつい呼びかけてしまっただけなのだろうから。
「……?」
「……何をしてるんだ?」
「………」
 相手が誰なのかを認識しただけ。アナスイはそれだけで満足し、また、土と雑草に視線を戻す。
 別にアナスイも、この少年が嫌いなわけではない。
 他人に関わらない。たとえそれが誰であろうとも。比較的親しいであろうウェザーやエンポリオであっても、それは同じ。
 当然、特別な好意を抱いているわけでもない。
 ただ、干渉の度合いや能力の関係上、他の連中よりはましなだけ。
 それにエンポリオの部屋は、あれはあれで興味深い。
「ウェザーがいない間くらいは、部屋の中で大人しくしていたら?」
「………」
 ウェザーがいないから、だから外に出ている。
 もしあの男が五体満足でそばにいたなら、アナスイが外に出た瞬間に天候は大きく崩されるだろう。土砂降りの雨や暴風が、アナスイの外出を阻む。
 こうやって快晴の空の下で外にいられるのは、おそらく今だけ。
 たまには、日光浴だって悪くない。


 むしり続けた雑草。
 すっかりアナスイの右手の周辺だけ、土が露出してしまった。
 そんな中、それまで雑草に隠されるように咲いていた一輪の花を見つける。むしっていたから気付けたその存在。
「………」
 何の花だっただろう。以前、何度も見たような気がするが、名前を思い出せない。
「フリージア? なんでこんな所に?」
 突然手を止めたアナスイに気付き、エンポリオも背後からそっと覗き込む。
 そう。そういう名前だった。
「………」
 一瞬、その花弁全てを引きちぎって、中身を確認したくなった。
 だが。
「………」
 アナスイはそのつもりで伸ばした手を、直前で引っ込める。
 こうやって、あるがままの姿で存在する花も、綺麗だと思った。
 このまま根まで掘り出して、そっと持ち帰ろうか。
 何か鉢の代用になる物を用意して、そこに土ごと入れようか。
 そして。
 強烈な印象をアナスイに残した、あの女性に渡そうか。
 そんなことを考える。
 女に花を贈るなんて、もう随分していない行為。
 だがそれも悪くはない。
 決断したところで、アナスイは改めて花に手を伸ばす。
「あ……」
「………」
 エンポリオの声と、アナスイの手が止まったのはほぼ同時。
 ネズミが一匹、どこからともなく走り出て、花を踏み付けて去って行った。
「花が……」
 エンポリオが少し残念そうに屈み込み、折れてしまった茎と汚れた花弁に触れる。
 辛うじて生きてはいる。だがもう、贈り物にはならない。
「………」
 アナスイはそっと、エンポリオから見えない位置に移動し、件のネズミの体を衝動に任せて引きちぎる。
 一体何に苛立ったのかすら自覚できないまま、アナスイはネズミの死骸をそっと土の中に隠す。

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