six.Rizotto Nero
帰宅した時、家の前に男が一人佇んでいた。
仕事の不満でもぶつけに来たのかと、リゾットは予測する。
それ以外に、プロシュートが自分の家に来る理由が思い当たらない。
「何をしてい……」
「遅い! 一時間も待っちまったぞ!」
約束をしていたわけではなかったはず。リゾットはここ数日の記憶を呼び起こしてみるが、プロシュートを家に呼んだ覚えはやはりない。となると、この男はリゾットの所在も確かめずに勝手にやって来て、そして不在のリゾットに怒りを露わにしているだけだ。
「早く中に入れろ! 寒いだろ!」
だったら勝手に入っていれば良かっただろうに。鍵など掛かっていないのだから、出入りは自由にできる。知っていて、それでも外で待つこの性質だけは、褒めてやってもいい。
「ペッシはどうした?」
いつも一緒に行動しているはずの弟分の姿が見えないことも、また気になった。
「オレの用事で出てる。うまく運べば、後三十分で終わるんじゃねぇ? それより、早くコート脱げ!」
言うなり、リゾットのコートを剥ぎ取り、手近なカウチに放り投げる。皺になったりするような素材ではないからいいが、あまりに無造作すぎて呆れてしまう。
「何の真似だ?」
「いいから、ここに座れ!」
椅子を引き、リゾットを手招きする。
何だかわからないので、リゾットは言われるままに座る。
「あ、そうだ。酒あるか?」
「ああ。おまえ好みの物なら、何本か」
「出してくれ」
座れと言ったり、酒を出せと言ったり。
リゾットはすぐに立ち上がり、グラスとボトルを用意して戻る。
「酒だけじゃなんか足りねぇな……やっぱりつまみが欲しいな」
「……わかった」
酒を飲みに来ただけなのかもしれない。リゾットはそう納得し、適当に何か食べられそうな物を探す。一週間も空けていた家には、満足な物は殆どないが、プロシュートはきっと文句は言わないだろう。
テーブルの上がそれなりに準備されたところで、ずっと椅子に座ったままだったプロシュートが顔を上げ、リゾットに極上の笑顔を見せる。
「な、ちょっと頼まれてくれねぇ?」
「何だ?」
そんな愛想笑いをする必要があるくらい面倒なことだったら断るつもりだ。
「近くに花屋があっただろ? 何でもいいから、デカイ花束作ってもらって来てくれよ」
「なぜオレが?」
「オレが花持って外歩いたら、若い女は皆悩殺されちまうだろ」
「……オレが花を持って歩くのも異様だと思うが?」
「大事な部下が女に揉みくちゃにされたら、おまえ、有給休暇くれるか? いいから、早く行って来てくれ」
「………」
金も渡さずに花を買って来い、と言われた瞬間から、プロシュートに払う気がないのは明らかだった。
金が無いことに関しては、リゾットはあまり大きく出られないので何も言うつもりはないが。
言われた通り、花を抱えて戻ると、プロシュートは先程と全く同じ姿勢で待っていた。
「飲んでいれば良かっただろう」
料理も酒も手付かずのまま。
「一人で飲んでどうするんだ。おまえの誕生日祝いに来てやったのに」
「……?」
一瞬、何を言われたのかわからず、リゾットは首を傾げながら花をプロシュートに手渡す。
「お、可愛いの作ってもらったな。……だから、おまえの三十歳の祝いに来たんだって」
確かに花に埋もれるプロシュートは、若い女性には目の毒かもしれない。
そんなことを思ったせいで、聞き捨てならない台詞を危うくそのままにするところだった。
「……オレはまだ二十六だ」
「同じようなもんだろ」
「三十までは後四年もある。第一、オレの誕生日は先月だ」
「先月祝い損ねたから、今やってやるって言ってんだろ? 三十でも二十六でもいいから、早く座れ」
一ヶ月も経ってしまってから祝おうという男には、二十六も三十も同じだったらしい。
リゾットはそれ以上言っても無駄と知り、黙って席につく。
「ペッシにメイン料理作って持って来るようにって言ったんだけど、遅ぇな、あいつ……」
三十分どころか、一時間近く経過している。
「何を作らせているんだ?」
「魚。新鮮な方がいいから、朝から海に出てる」
「………」
それはまず、材料を手に入れるところで苦戦しているのではなかろうか。
「……あてにならん」
「でも腕はいいはずなんだけどな、あいつ」
「そういう問題ではない」
腕がいいから絶対に当たる、という保証はない。
「それと、プレゼント担当も遅いな」
まだ他にもこの企画に参加していた人間がいたのかと驚く。
「プレゼント?」
「メローネが『期待してくれ』って言ってたんだけどな」
「……あいつの基準も、あてにならない」
リゾットに喜ばれる物を用意できるはずがない。
そこで不意に、あることが気になった。
「それで、おまえは何の担当なんだ?」
酒にすら手をつけずに大人しく待ち続けるプロシュートが、今更何を、と言いたげな顔で煙草に火を点ける。
「オレ? オレは花」
未だに花代を返してもらっていない状況だったが、リゾットは敢えて何も言わない。
花の担当の人間が、花を持たずにやって来て、主賓に買いに行かせようという時点で、もう既にいろいろと問題がある。そもそも相手はプロシュートだ。その辺りの気遣いなどあるはずもない。
「仕方ねぇ。二人でやるか」
プロシュートはやっと、テーブルに置かれたままのボトルに手を伸ばし、開封する。
「ほら、グラス寄こせ」
二つのグラスになみなみと注いだ後、面白くもなさそうに呟く。
「誕生日おめでとう、リゾット」
そして先程リゾット自ら買いに行った花を差し出した。
自分で買った花を貰い、リゾットは無言でグラスの酒を飲み干す。
いつまで経っても現れない、ペッシとメローネを待ちながら。
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