un.Rohan Kishibe
仕事の途中だというのに、いつまでも誰かが家の前に立っている。
うるさいから無視していたのだが、もう三十分以上、あのピンポーンという音が家中に響いている。
仕方なく、一枚描き終えたところで立ち上がり、階下へと向かった。
「はい?」
「先生、こんにちは!」
立っていたのは、康一と仗助だった。
「つまらん用事なら明日にしてくれ。僕は今……」
仕事中なんだ、と言いかけた言葉は、最後まで紡げなかった。
「どうぞ!」
差し出されたのは、高校生が持つには分不相応な花束。
一万円では作れないだろう。
「………」
露伴が受け取るまで、ずっとそのままの体勢でいるつもりなのか、康一は笑顔で花束を掲げている。
「……これは?」
「皆から、先生への気持ちです」
気持ち?
今日は何の日だったろう?
二月中旬、特別なことなど何もない。
露伴自身にも、花を貰うような目出度い出来事は起こっていない。
「早く受け取れよ」
花を持っているのは康一で、ただの付き添いのような顔をして立っていた仗助が、なぜか偉そうに命令する。
「どうして貴様に急かされなければならないんだ……」
「おまえ、人が折角好意で持って来てやったってのに、そんな言い草ありか?」
「年長者に向かって『おまえ』というような奴が言えた立場か?」
すっかり状況を忘れ、いつも通りの口喧嘩を始めようとした二人。
「ちょ……ちょっと、何やってんの!」
しばし存在を忘れられかけていた康一が、慌てて間に割って入る。
「喧嘩は無しだって、言ったじゃないか、仗助くん!」
「悪りぃ……こいつの顔見てたら、つい……」
「喧嘩するのは仕方ないけど、五分くらい我慢してよ! 先生もです!」
この二人に説教ができるようになったのだから、康一も成長したものだと思う。
「まあいいだろう。入りたまえ」
康一だけは客扱いしてもいいと思っている露伴は、康一に向かってそう呼びかけた。
「新しい紅茶の葉を仕入れたところだ。飲むだろう?」
「ご馳走様!」
なぜか返事をしたのは康一ではなく、仗助は言いながらずかずかと上がり込む。
「………」
本当はここで、「貴様には言っていない」とでも言いながら追い出したいのだが、たった今、康一から喧嘩は無しだと言われたばかり。
露伴はなんとか堪え、入って行く仗助を通し、手招きで康一も誘い入れる。
「さあ、その花束については、中で聞くよ」
「はい、お邪魔します」
相変わらず礼儀正しい。ちゃんと一礼してから入り、扉も音を立てないように閉ざす。
いや、もしかしたら露伴が相手だから機嫌を損なわないように慎重に行動しているのかもしれない。
残念ながら、露伴にはそんな細やかな気配りは殆ど伝わらない。二人には応接間で待つように伝え、自分はキッチンへと姿を消す。
二人きりで取り残された応接間で、康一は花束を抱えたまま溜め息を吐く。
「仗助くん……お願いだから、もう少し我慢してよ」
「オレは普通にしてるけど?」
露伴が勝手に突っかかってくるんだ、と暗に匂わせる発言。
「それがダメなんだよ、あの人には。もっと気を遣って、頭低くしてにこにこしてないと」
自分の方がよほど露伴に対し非道いことを言っているという自覚がないのか、康一は露伴対策を仗助にもう一度レクチャーする。
「わかった? ぼくの言う通りにしていれば、あの人怒らないから!」
「……康一、逞しくなったよな」
「聞いてるの、仗助くん!」
「ああ、聞いてるって……。一生懸命ゴマをすればいいんだろ?」
「なんかちょっと違うけど……まあ、そんな感じで」
という会話が終わった頃、露伴がトレイに三人分の紅茶とクッキーを載せて現れる。
「待たせたかな?」
「いいえ、ちっとも! ぼく達は毎日暇な高校生ですから!」
「そうかね? だったら仕事中のぼくに、もう少し気を遣って欲しかったんだがな」
来た。いつもの自己中心的な厭味が。
康一は呼吸を整え、精一杯謝る。
「すっすみませんっ、そうですよね……先生、忙しいですもんね……安心してください! お茶飲んだらすぐ帰りますから!」
「いや、いいよ。来てしまったものは仕方がない。ゆっくりして行きたまえ」
今のところ、露伴の機嫌は悪くない。
そう判断し、康一はとりあえず本題に入ることにする。
さっさとこの役目を終わらせなければ、落ち着いて茶など飲めそうにない。
そこで、徐に先程から携えている花束を改めて構え、露伴へと差し出す。
「これの意味は?」
「はい、先生へのお祝いなんです」
「祝い?」
祝われるような事項が、やはり一つも思いつかない露伴は、いぶかしげに康一と仗助を交互に見遣る。
康一はここでもう一度呼吸を整え、何度も練習した言葉を紡いだ。
「杜王町転入、一周年おめでとうございます!」
そう言われた瞬間、露伴は思わず目を見開いてしまった。
本当は、驚いていると知られるのは癪なので、あまり顔に出したくなかったのだが、さすがに咄嗟のことに反応できなかった。
「一周年……」
言われてみれば、確かにこの町に来たのは、去年の今頃だったような気がする。
それは間違いではないのだが。
そんなこと、わざわざ花を貰って祝われるようなことだろうか。
「この町では……いちいち新参者に対してそういうことをする風習があるのかね?」
あるわけがない、と思いながらも、ついそんなことを口走る。
「先生は特別です! こんな小さな町に、先生のような有名な方が住んでいるってだけで、町の収益にいろいろと影響があるらしいんですよ」
いろいろと、という曖昧な言い方をするのは、具体的にどんな利益をもたらしているのか、高校生にはぴんと来ないからだろう。
「……そういうことは、町長や町職員からなら言われてもおかしくないが、君達には直接関係はないだろう」
高校生には、何の影響もないはずだ。
「だってぼく達はぼく達で、仲間じゃないですか」
邪気のない笑みで康一がそう告げた瞬間、露伴と仗助は全く同時に嫌そうな顔をした。
勿論、康一に気づかれないように。
少なくともこいつだけは仲間じゃない、と言いたげな視線が二人の間で交わされている間に、康一は花束を露伴の胸元へ押し付けた。
「どうぞ、先生! これからもずっと、ぼく達と一緒にいてくださいね!」
「……ぼくの気が変わらなければな」
「そんな遠慮せずに! また遊んでくださいよ、皆、露伴先生が大好きなんですから!」
それこそ絶対に嘘だと思われる発言に、露伴はまた目を見開いてしまう。
康一も、社交辞令が上手くなったというか、平気で嘘をつけるようになったというか。
それとも、康一だけは本気でそうだと信じているのだろうか。
露伴に好意を抱いている人間など、実は一握りいればいい方だということを、康一は知らないのかもしれない。
人が良いからな、と露伴は納得し、花束を受け取る。
「高かっただろう、これは」
「いいえ! 皆で出し合ったから、一人ずつの負担はすごく少ないんですよ?」
「そうかね」
だったら遠慮はいらないな。
「少し待ちたまえ。活けて来る」
花瓶など、いくつでも余っている家なので、露伴は応接間から一旦出ようと踵を返す。
その背中に、康一の驚嘆が届いた。
「先生、生け花もできるんですか!?」
「正式に習ったわけじゃない。自己流だ。もっとも、このぼくの芸術的センスで活けるんだから、けして見劣りはしないと思うがね」
「うわー楽しみだなー」
そう言われると、悪い気はしないのが人情だ。
「待っていたまえ。すぐ戻る」
露伴は最高傑作を作ってやろうと、早速イメージを固め始める。
そんな露伴を見送り、既に勝手にクッキーを食べ散らかしていた仗助は、溜め息交じりに康一の袖を引く。
「何? 仗助くん」
「露伴の扱い方、少しわかった気がする」
「じゃあ、ちゃんと覚えてよ! 喧嘩ばっかりされて、ぼく達が迷惑してるんだから!」
「わかった……」
素直に頷いた仗助の横に座り、康一も新しく仕入れたという、露伴自慢の紅茶を啜った。
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