八時半を過ぎ、露伴はその不快感を顔に出し始めていた。
康一はいち早くそれに気づき、青ざめる。
気の短い人だって知ってるくせに、どうしてあの二人、まだ来ないんだよ……?
この場合、助けてくれそうなのは承太郎一人。
そっと見上げた承太郎は、露伴の苛立ちをわかっていないのか、呑気に誰もいない通りを眺めている。
「どうかしましたか、承太郎さん?」
川尻早人も気になるし、仗助と億泰がまだ来ないのも気になるが、それより目下の問題は、ここにいる露伴だ。
康一はそれに気づいてほしかったのだが、承太郎は相変わらずどこを見ているのかわからない格好で、雨の音が仗助の声に聞こえた、などと答える。
雨はすぐに上がった。
差し込む光が眩しい。
露伴は傍らの二人を見、そして空を見上げた。
晴れたのはいいことだが、こんなに濡れてしまった後では、あまり喜べそうにない。
それもそうだが、遅刻者がいるせいでちっとも喜ばしい気持ちになれない。
何か違うことを考えよう。
仗助と億泰の顔を思い浮かべるだけで、余計に腹が立って来る。
違うことを考えて、少し落ち着かなければ。
「ところで、承太郎……さん」
今まで、彼の名を呼ぶ機会は殆ど無かったので、露伴は一瞬、どう呼ぶか迷った。
こちらは勝手に「承太郎」と呼び捨てにしていたが、さすがに本人に向かってそう呼ぶのは何か気まずい。
「一度聞こうと思っていたんだが……吉良の件が片付いたら、今度こそ帰るわけか?」
それ以前に、何度か帰る機会はあったはずなのに、その度に引き延ばしていた承太郎。
今度こそ、行ってしまうのだろうか。
「片付けば、だ」
肯定された。
別に名残惜しくてそんな質問をしたわけではない。
まだ彼の頭の中を読ませてもらっていないことが気掛かりなだけだ。
こんな男が何を考えているのか、純粋に一人の漫画家として興味があったので。
しかしどうも隙のない承太郎は、露伴にそれをさせる暇を与えない。
絶対に、帰る前に読んでやろう。
今露伴は、仗助と億泰の件から目を逸らすためにそんなことを考え始めていたのだが、既に頭の中は承太郎の記憶を読むことで一杯になりつつあった。
濡れたアスファルトが、少しだけ靴を滑らせる。
転ばないよう注意しながら、康一は露伴の顔色を覗う。
さっきよりはましみたいだけど……。
何を考えているのか知らないが、少しだけ機嫌が良くなっている。何か良からぬことを企んでいるのでなければいいが。
そんなことを考え、康一は背筋が寒くなった。
危ない。
この人、危ない。
遅刻した罰だとか何とか言い出すかもしれない。
それで遅れて来た二人に、何かとんでもないことを命令するかもしれない。
口で言うだけならまだいい。
突然本にされ、書き込まれる可能性の方が高い。
そうなると、康一にはもう止められない。
露伴の手の動きのあの、尋常ではないスピード。
スタンド抜きでも、あんなに早いというのは未だに信じられない事実だが、そのせいで、露伴の先制攻撃を防ぐことは不可能に近いと言えた。
まさかそんなことはしないだろうと思いたい。
承太郎にそれを忠告しても、きっと本気にしてくれない。それはわかっている。
誰だって、そんな馬鹿な真似はしないと思う。
けれど。
相手はこの岸辺露伴だ。
危ない。
この人は、危ない。
腹立ち紛れに、それくらいの行動は当たり前。
やる。
この人、絶対にやる。
康一は悪い考えを振り払うように、頭を何度か振った。
制服や髪から、数滴、先程の雨の名残が散った。
忘れていられたのは数分だった。
康一が水滴を飛ばし、それが露伴の手にも当たったので。
冷たいその感覚に、露伴はすぐに今の状況を思い出す。
そうだ。
今はそんなことを考えている場合じゃなかった。
アスファルトから、雨水が靴に染みて来る。
この辺り、今まで気にしていなかったが、随分水はけが悪い。
白い服を着て来てしまったことを、今更ながら後悔する。
これ以上ここにいるのは我慢ならない。
露伴はまた時計を見、そして周囲を見回す。
来る気配は全くない。
どっちだ?
どっちが寝坊したんだ?
仗助か? 億泰か?
突如、閑静な住宅街に響き渡る大音響。
康一と承太郎は一瞬顔を見合わせた。
何か、事故でもあったのか、と。
しかし露伴はそんなことなどどうでもいいとばかりに苛々しながら時計を見続ける。
康一は落ち着かなくなって、何か露伴の気を逸らそうと、話しかける。
「せっ先生! な……何でしょうね、今の音! 僕、ちょっと見て来ますよ!」
「……好きにしたまえ」
「せせ……っ先生も一緒に行きましょうよ、何かあったのかも」
康一に促され、露伴は仕方ないと言った顔で、その後に続いた。
承太郎も気になるのか、そちらに足を向ける。
これでいい。ひとまずはこれで何とかなるはず。
康一は露伴から見えない位置で、安堵の息を漏らす。
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