川尻早人の通学路と思しき道で、露伴は車を停めた。
 昨日連絡した際、待ち合わせとしてどこが一番分かりやすいかで、高校生の何人かと揉めた。
 確かにここは、目印になるような物が少ない。
 ペプシの看板が見える所だ、と説明しても、普段どこを見て歩いているのか、億泰は全くわかっていなかった。
 多分、近所のよしみで仗助がここまで誘導するのだろう。
 康一も承太郎も、簡単な説明ですぐにわかってくれたのだから、やはり億泰がぼんやりして歩いているだけだと露伴は判断した。
 雨が降りそうだった。
 車内で待つ間、露伴は何度となくミラーで確認するが、それらしい小学生はまだ来ない。
 そして、待ち合わせた四人もまだ来ない。


 時刻は既に八時二十四分。
 露伴は車外へ出た。
 時計を見るのは、これで何度目か。
 誰も来ないので、露伴は通行人を眺めて暇を潰す。
 通勤中のオヤジが平和なクシャミをしているだけ。
 つまらない。
 不意に、鈴美の顔が浮かぶ。
 もしこれで、全てが片付いてしまったら、彼女はどうするのだろう。
 今度こそ、行ってしまうに違いない。
 別に寂しくはない。
 ただ。
 まだ、子供の頃の礼を述べていない。
 助けて貰ったこともそうだが、多分、彼女には色々と面倒を見てもらっていたはずなのだ。それなのに、まだ一言も言っていない。
 今のうちに、何か彼女に言うべき台詞を考えておくべきかもしれないな。
 そうは思っても、何も浮かばない。
 どれだけ考えても、いざその時になれば、きっと全ての言葉は露伴の中に沈み込んでしまうような気がする。
 いつものように意地を張ってしまう気がする。
 それで後悔しないならいい。
 だが。
 今回に限り、悔やんでしまうように思えてならない。
 だったら、言ってしまえばいいんだ。「ありがとう」でも「さようなら」でも、言えばいい。


 ペプシの看板に雷が落ちた。
 反射的に見上げ、露伴は軽く身震いする。
 夏だというのに、雨に当たっていたせいで少し寒い。
 傘を持って来るべきだった。
 車の中に避難するという手もあったが、ここまで濡れてしまってからでは遅すぎる。
 それに、今からでは、シートを濡らすだけ損だ。
 仕方がないので、露伴は濡れるに任せ、立ち続ける。


 もう一度、時計を見る。
 露伴の時計は、遅れることも早まることもない。
 だから絶対に、今は八時二十九分。間違っていない。
 ぎりぎりになってもまだ姿を見せる気配のない、あのルーズな連中。
 軽く舌打ちし、露伴はまた空を見上げた。
 曇り空。注ぐ雨。


 こんなに暇なら、適当な通行人を捕まえて、暇潰しに読んでいればよかった。
 そんなことすら考えてしまう。
 実際それをやった場合、もし万が一スタンド使いの誰かに見つかると、露伴としては言い訳できない立場に立たされるのだが、今は本気でそうしたい気分だった。
 露伴は、吉良吉影に関する限り、自分の立ち位置を十分理解していたので。
 いざあの殺人鬼と相対した時、露伴は役に立たない。
 露伴の能力が必要になるのは、あの男を見つけるまでの段階。
 そこまでは露伴の力無くしてはどうにもならないはずだが、その後は、もう露伴は必要ない。
 何の為に、あの連中の仲間になっているのかを、また考える。
 最初は、鈴美の為でも、町の為でもなかった。
 ただ、露伴の人生を充実したものにしてくれそうだったから、この数ヶ月我慢してきた。
 それがいつの間にか、彼等といるのが当たり前になっている。
 らしくない。
 らしくないと思う。
 この事件が全部片付いたら、絶対に縁を切ってやる。
 そんなことを思うのも、これで何度目だろう。
 会うたびにそう思い、そして結局は妥協する。
 そんな繰り返し。
 そしてついに今日まで来てしまった。
「……何か、もがいているみたいだな」
 抜け出せない泥濘に足を取られたように。
 魚でありながら、水中で溺れてしまった間抜けのように。


 首に雨が入り、露伴はそんな夢想を中断する。
 見れば、通りの向こうに、大小の影。
「康一くんと承太郎だ」
 やっと来たか。


 もうすぐ終わるのならば。
 終わってしまえば、楽になるのなら。
 今だけならば。
 もう少しだけ、溺れた魚のようにもがき続けてもいい。
 すぐにこんな生活も、終わってしまうのだから。

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