バスを途中で降り、露伴は一度はトンネルに向かいかけたものの、やはり思い直して自宅に戻った。
足が必要だった。
こういう時は車よりも、バイクの方がいい。
この街に来てから、まだ一度も乗っていなかったそれを出す。
実際この街では、車やバイクといったものは、あまり必要ではなかった。
殆どが歩いて行ける範囲に存在し、それにこの穏やかな景色を楽しむ意味もあって、露伴は大抵外に出る時は徒歩での移動を心掛けている。
案の定、乗っていなかったそれは、ガソリンが殆ど残っていない。
あのトンネルに行く程度ならどうにかなりそうだが、調査しようというのなら、何往復かするかもしれない。
露伴は近くにガソリンスタンドは無かったか、この付近の景色を頭に思い浮かべる。
普段使わない施設は、記憶に残りにくい。
それでもなんとか、百メートル程先にあったのを思い出し、そこへ向かう。
目が合った瞬間、驚いた。
なんでこんなところに……。
「先生、よく会いますね!」
ガソリンスタンドで景気よく声を出していたのは、玉美だった。
「君……アルバイトか?」
「知り合いが風邪で寝込んだんで、その代打ですよ。今日と明日だけ」
なるほど。
玉美でも、二日くらいならまともに働く気になるらしい。
だが、気になるのはそんなことではない。
「……できるのか?」
玉美のような男が、働けるのか?
「大丈夫、もう五回目ですから。慣れたもんですよ」
随分と愛想が良い。
日頃あれだけ勤労意欲の欠如を嘆いている玉美だが、もしかしたら本人がわかっていないだけで、体を動かすことが好きなのかもしれない。
それが労働の喜びだと気づけば、社会に出て働けるのではないかと思ったが、露伴は玉美をもう一度まじまじと見つめ、首を振る。
いや、無理だ。
短期だからできるんだ。
毎日同じことを繰り返す。きっと玉美にはそれが苦痛なのだろうから。
「へー先生、これ初めて見るなー……」
露伴が乗って来たバイクを珍しげに見る。
ここでバイトをするのも五回目だそうだから、多少の知識はあるのだろう。
「特注なんだよ」
「なるほどねぇ……すごいな、こいつは……」
オリジナル製品が好きな露伴は、余程のことがない限り、既製の品は買わない。
「これ一台作るのに、幾らかかるんです?」
やはり玉美は玉美だ。
すぐに何でも金に換算して考える。
露伴は溜め息を吐きそうになった。
そんなことはいいから、早くしてくれないだろうか。
「悪いが、僕は今急いでいるんだが……」
「ああそうでした、そうでした!」
本当に忘れていたかのように、玉美はポンと手を打つ。
やっぱり、こいつは向いてない。
注意力が散漫過ぎる。
仕事よりも自分の興味の方を優先するようでは、こんなところで働けない。
多分、一日や二日だから、他の人間も我慢しているのだろう。通常なら、三日でクビになっていてもおかしくない。
「ところで先生、珍しい物に乗って、どこまで行くんです?」
今度はちゃんと手を動かしながら、玉美は露伴にそう尋ねる。
「二ツ杜トンネルだ」
「はぁ……トンネルねえ。バスで行けばいいんじゃないですか?」
「トンネルの中でちょっと調べ物があるんだ」
「バスは中じゃあ止まらないからねぇ……今度そういう漫画描くんですか?」
「さあね。まだわからない」
わざわざ例の部屋のことを教えなくてもいいだろう。
玉美に言ったところで、着いて来るわけでもなし、ましてや何かの役に立つとも思えない。
だから露伴は適当にあしらう。
「仕事の鬼だなー先生は」
「……君に言われても、僕は少しも嬉しくないな」
「きついなー先生は」
はははっと笑って玉美はかわす。
露伴の物言いは人を不愉快にはさせるが、笑わせるような効果はない。それでも玉美は平気で笑う。
つくづく、変な男だと思う。
世間と一線を画しているせいか。
露伴には理解できない。できないと思う。こんな妙な男は。
しかし。
時々なぜか、引っ掛かる。
自分とは全く違うというのに、何かが。
違うはずなのに、時々何かが、重なる。そんな気がする。
齢が同じだからか?
スタンド使いだからか?
何が玉美と触れ合うのか、露伴にはわからない。
けれど、扉の掛け金のように、衣服の合わせ目のように、何かがふとした瞬間綺麗に嵌った時に聞こえる、軽快な音。そんな物を聞いた時と同じような気分になることが、時々、ある。
「じゃ、先生、気をつけて!」
玉美は露伴の背中を軽く叩き、送り出す。
そんな玉美の格好は、いつもと違っていたが、やはり似合っているとは言い難かった。
露伴は何も言わずに発進する。
と、背後で再び玉美が何か叫んだ。
僕は急いでいるんだ。
露伴はわざと無視し、トンネルへ向かった。
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