バスが動き始めた後、露伴は昨日の嫌な出来事を早く忘れようと頭を軽く振った。
 流れる風景を、見るとはなしに見、次のバス停までぼんやり過ごす。


 何人かの乗客が降り、また数人が乗り込む。
 それでも何故か、露伴の目の前の座席はずっと空席のまま。
 ただの気紛れで、露伴はヘブンズ・ドアーを出す。
 自作のキャラクターそのままの、そのビジョン。
 最初は、こんな姿なんて持っていなかった。いつの間にか、こいつはこいつとして存在し始めている。
 これだけ乗客がいても、誰もこの少年がここに立っていることを知らない。
 露伴は真っ直ぐに自分だけを見つめるその少年の手に触れようとする。
 触れない。
 自分の一部なのに、触れない。
 思い通りに動かせるのに、触れ合うことができない。
 露伴の目の前に浮かぶ少年は、無言のまま。
 こいつは何かを話すこともしない。ただ、いるだけだ。
 そして露伴の命令通りに動くだけ。


 露伴のそばから離れることもできず、ただ露伴に従うその存在。
 なんとなく思い立って、露伴はすぐ前の空いている座席に座らせてみる。
 意味なんかない。
 ただ、やらせてみただけだ。
 露伴が思い描いた通りに、少年はちょこんと座席に座る。
 両手を膝に乗せる。
 足は下まで届かない。
 深く腰掛け、大人しく座っているだけ。
 今、バスの座席が全て埋まったのだということに、誰も気づいていない。
 ここに一人座っているのに、誰も見ていない。
 そんな姿を見ているのにも飽きて、露伴はまた頬杖をついて窓の外を眺める。
 と、前の座席の少年も、露伴と同じポーズで外を見る。
 こいつは何を見ているんだろう?
 多分、露伴と同じ景色を。
 何を考えている?
 多分、露伴と同じことを。


 こいつ、この帽子は脱げるのかな?
 上着や靴についても同じことが言えるのだが、今はとりあえず、一番簡単に脱着できそうな帽子に注目してみる。
 スタンドだから、服を着ている、という感覚ではないと思う。
 帽子を被っているように見えるが、実は頭と一体化しているのかもしれない。
 服や靴も、同じだろう。
 無防備に外を眺めているこの少年の頭から、帽子を取り上げてみたい。
 そんな衝動に駆られる。
 だが触れないのだから、露伴の望みは叶えられそうにない。
 では、触れるものが相手なら?
 誰かのスタンドが、このヘブンズ・ドアーの帽子を掴んだら?
 この頭から、帽子だけを取り上げることはできるのだろうか。
 どうでも良さそうなことだとは思ったが、気になり出すと止まらない。
 いつか、機会があれば、康一にでもやらせてみようか。


 露伴は気づかない。
 ヘブンズ・ドアーにそんな悪戯を仕掛けようと思うことが、まるで他人に対して抱く感情のそれに近いことを。
 ヘブンズ・ドアーは露伴自身。
 露伴は今、自分をからかおうとしているというのに、それに気づかない。


 それよりも、露伴がキャラクターデザインを変更したら?
 作中で、ピンクダークの少年が被っている帽子のデザインを別の物に変えたら、どうなる?
 それでもこいつは、この帽子を被り続けているだろうか。
 露伴の中から出て来たこのヘブンズ・ドアーは、露伴のイメージに合わせて着替えたりするのだろうか。
 それとも、一度この姿で定着してしまった以上、もう服を着替えることもできないのか。
 露伴はもう外を見るのは止め、前の座席の少年だけを見つめる。
 ヘブンズ・ドアーはまだ、窓に両手のひらをつけて、熱心に外を見ている。
 いや、本当に見ているかどうかは別にして、そういう格好をしている。
 帽子の下から見えるその鋭い瞳は、ただ露伴が望んだ通りに、外を見つめ続ける。
 露伴が命令しない限り、いつまでもそうしているだろうと思う。
 ただし、露伴がバスから降りる時になれば、席を立ってついて来るのだろうが。


 停留場二つ、露伴はヘブンズ・ドアーを座らせたまま過ごす。
 もういい。
 もうわかったから。
 つまらないことはもう考えない。
 露伴はヘブンズ・ドアーに向かって、心の中で呟く。
 おまえの帽子を取り上げたりしようなんて、もう考えたりしない。
 第一、僕はおまえのこのデザインが気に入っているんだ。僕が自分で考えたんだから。もう四年も、この姿を描き続けているんだ、愛着がないはず、無いだろう?
 露伴は苦笑し、触れないヘブンズ・ドアーの頭に手を伸ばす。
 そっと、撫でるような仕草だけする。


 バスが止まる。
 露伴はぎくりとした。
 バス停に立っていたのは、絶対に見間違えるはずのないあの髪型だ。
 東方仗助が、乗って来る。
 露伴は動揺することなく、ヘブンズ・ドアーを戻す。
 バスで、スタンドを座席に座らせて遊んでいた。そんな姿を見られたら事だ。
 これで、席が一つ空く。
 空いている席は、一つきり。
 仗助は、ここに座るだろうか。
 仮にそうしたとして、直前までここにスタンドが座っていたことなんて気づかずに、仗助は座ってしまうのだろう。

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