写真屋に寄った後、そのままタクシーで自宅に戻った露伴は、玄関先に佇む学生服に気づく。
 どうもここのところ、あいつらにつきまとわれているような気がしてならない。
 しかも今家の前にいるのは、その中でも一番ゲスと思われる奴だ。
「人の家の前で何をしているんだ?」
 冷ややかに問いかけると、長く伸ばした髪を勢いよくなびかせ、間田が振り返る。
「先生! 良かったぁ、会えて」
 確か今日は、平日ではなかったか。
 露伴にとっては曜日などどうでも良いことなので、つい忘れがちになるのだが、平日であることは間違いない。
 なんでこいつは学校に行っていないんだ?
 もっとも行かなくて困るのは露伴ではないのだから、どうでもいいことではあるが。
 しかし。
 あの煩わしい連中全員を、日中校舎に押し込めておいてもらえると思うだけで、露伴は安らかな気持ちになれるのだ。
 だからうろうろするな。そう言いたい。
「お願いがあって、すっと待ってたんですよ」
 家に入れるつもりは毛頭無かったので、露伴はその場に立ち止まって、先を促す。
「僕に? 何の?」
 友達に配るサインでも欲しいというのなら、御免だが。
 しかし相手は間田だ。それくらいは言い出しかねない。ただし、こいつに友達がいればの話ではある。
「代筆、してもらいたいんです」
「代筆?」
「実は女性に手紙を書こうと思うんですけど、何枚書いても納得の行くのができなくて」
 それで、露伴に書けと?
 なぜ露伴に書かせようと思ったのか、そこが一番の疑問だが、そんなことまで詳しく聞きたいとは思わないので、露伴は別の質問をする。
「君は、この露伴のファンだと言っているが……僕の作品の何を見ているんだ?」
「先生なら、きっとロマンチックな手紙も書けますよね?」
 だからどうしてそういう結論になるのか。
「君の目には、この露伴の作品がロマンチックに映るのかね」
 だとしたら、こういう奴には今すぐファンを辞めてもらいたい。
 何も理解していないじゃないか。
 口先だけ偉そうなことを言って、その実何も解っていなかったのか。
「露伴先生くらい凄い才能のある人は、ホラーもアクションもロマンスも完璧にこなせると信じてます!」
「正直に、他に頼めそうな相手がいなかったと言ってくれた方が、そんなわざとらしいヨイショよりも僕は納得できるんだが……」
「とんでもないです、先生!」
 おまえのその目付きを見れば、大凡の見当はつくんだ。
 露伴はゴマすり顔の間田から目を逸らし、腕の時計を確認する。
 時間が有り余っている、というわけではないにしろ、十分くらいなら付き合ってもいいだろう。
「五分だけなら、相談に乗ろう」
 いつまでも家の前で大騒ぎをされていても、却って近所の注目を浴びてしまう。
 ならば、さっさと終わらせて追い返した方がいい。
 露伴は間田を促して、中に入った。


 間田の用意していた草稿に目を通した露伴は、その紙を粉々にして間田に叩きつけたいという衝動を必死で抑えていた。
 ……なんだ、これは。
 そもそも字が読みにくい。解読に時間を要した。
 次に文面。
 これが信じがたい。
「幾つか質問をさせてもらう」
「はい!」
 安楽椅子に浅く腰掛け、頬杖をついた状態の露伴の前で、直立不動のままの間田が固くなったまま、声を裏返らせて高らかに答えた。
 深呼吸をし、露伴はこの後何を聞いても我慢するんだ、と言い聞かせる。
「まず……この、二枚目の、三行目だ。これは何のつもりだ?」
 言われて、間田は露伴の横から顔突き出し、該当箇所を探す。
「ああ、これですか。ちょっと格好つけ過ぎでした?」
 いや。
 そういうことが聞きたいのではない。
「この……『君が美容師を目指すなら、僕はそんな君の髪結いの亭主になって君を陰から支えたい』だが……」
「読み上げないでくださいよ、恥ずかしいなー」
 読まれて恥ずかしいのなら書くな。
 喉元まで出かかったが、それを言い出すと話が余計に長くなる上、今問題視している部分から大きく逸脱してしまうだろう。
 まず先に、これを解決すべきだ。
 露伴は軽く目を伏せ、出来るだけ間田の顔を見ないようにしながら解説を始める。
「貴様は本気でそんなことを考えているのか? それとも、『髪結の亭主』が何のことか、わかっていないだけなのか? どっちなんだね?」
 髪結いの亭主の意味が分かりません。できることなら、露伴はそう答えてもらいたかった。その方がまだ話が早く終わる。正しい表現に訂正すればいいだけだ。
 しかし。
 万が一、前者だったら。
 手紙の文法その他だけで終わる話ではない。
 ヘブンズ・ドアーで、こいつの頭の中をあちこち直さなければならなくなるんじゃないか?
 洗脳するみたいで、面白そうだ。
 その現場を想像すると、なんだかやってみたくなって来た。
 途中から露伴は、前者であればいいと密かに願い始める。
 間田は数秒、口を半開きにしたまま考えていたようだったが、すぐにまた背筋を伸ばして答えた。
「それもいいかなーって思うんですよ、最近。彼女が働いてて、その帰りを待って、洗濯とか掃除とかするのもいいなーなんて。それで彼女からお小遣い貰って、それで昼間遊んだりとかして……」
 間田の妄想は長く続きそうだったので、露伴は途中から聞いている素振りだけを見せた。
 もう聞かなくてもいい。というよりも聞きたくない。
 なんだこいつは。
 手紙に訳の分からないことを書く能無しかと思ったら、本気で馬鹿なことを書く無能な奴だったのか。
 貴女のヒモにしてください、というラブレターを受け取って喜ぶ人間も、まあ広い世間、何人かはいるだろう。
 だがこの杜王町内に限って言えば、一人いるかいないか。
 そして間田がこの手紙を送ろうとしている相手がそういう人間であるという可能性は、ゼロに等しいと言えた。
 せめて、間違いで書いてしまったのならまだましだったのに。
 本気でヒモ願望を持ち、それを恥ずかしげもなく書いた。
 こいつ、何のネタにもならないつまらない奴かと思っていたら。
「……人間、わからないものだな」
 もう一度、細部まで読み直す必要があるかもしれない。
 思考パターンが何かおかしい。
 恥知らずなだけ、ということも考えられるが、一応見ておくべきか。


 既に露伴の頭からは、手紙の添削、という作業は忘れ去れていた。
 今はもう、ヒモ願望を手紙に書いてしまう間田の頭の中に興味が移っており、その心理に迫ることだけしか考えていない。
 どうやって本にしてやろうか。
 不意打ちでどうにかなるだろうか。
 前にも本になっているから、警戒しているかもしれないな。
 考え事をしながら、手の中にある髪を弄ぶ。
 やがてその紙は露伴の指先によって細かく破られ、床にその破片が舞い散った。
 しかし露伴は、自分が何を持っていて、何を破いているのかすら気づかずに、どうやって間田を本にしてやろうかと、そのプランを練っていた。

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