夢の中は、提灯の群れと人の波。


 初めて履いた下駄の感触がなぜか落ち着かなくて、そう訴えた。
 右手は、誰かの左手をしっかりと握っていた。
 その誰かを何度も見上げているはずなのに、その顔はこちらを見下ろすことなく、ただ真っ直ぐに歩き続けていた。


 目覚めた時、まだ雨は続いていた。
 傍らには、読みかけの本。
 服はさっきのまま。着替えてもいない。
 頬が痛いと思ったら、イヤリングが当たっていたのだ。
 全部そのままで、うたた寝してしまったのだと気づく。
 ゆっくりと寝室を見回し、壁掛けの時計を凝視する。
 さっきは三時だった。
 それが五時になっていた。
 二時間、眠っていたらしい。
 見ていた夢は、微かにまだ覚えている。
 行った覚えのない祭りの夢。
 あれは妄想なのか、記憶なのか。
 答えを簡単に得る方法は知っている。
 鈴美だ。
 鈴美に聞けばいい。
 昔、祭りに行ったことがあったかい? そう問えば、多分答えてくれるだろう。
 だが。
 なぜかそれだけは、したくない。


 夢の中。
 露店のざわめき。
 雑踏。
 手を離さないよう、はぐれないよう、しっかりと握り返した。


 歩いているうちに、足がなんだか変な感触で。
 足がおかしいと訴えた。
 立ち止まって見た、自分の足。
 親指と人差し指の間が変。
 だからそこを見た。
 鼻緒で擦れたのだ。
 血が出ていた。
 鼻緒にも乾いた血がついていた。
 新しい、買って貰ったばかりの下駄。
 もう汚れた。


 痛いから歩けない。
 涙が出ていた。
 するとその人は、手を離した。
 置いて行かれるかと不安になった。
 ところが違った。
 その人は屈むと、露伴に背を向けた。
 その背にしがみつき、少し高くなった世界から祭りを見た。
 提灯が並ぶ。
 露店が続く。
 夜なのに、そこだけ昼のように明るくて。
 ただそれだけのことなのに、なぜか嬉しくて。
 足はまだ痛い。
 それでも笑っていた。
 楽しいと、その人に言った。
 その人は何か答えた。
 その言葉がまた嬉しくて、一人ではしゃいだ。


 夢の中。
 露伴は幾つだったのだろう。
 夢の中。
 幼い露伴が、子供らしく無邪気に振る舞った。


 夢の中は、提灯と雑踏。
 そして露店と浴衣の人々。


 ベッドに腰掛けたまま、止まない雨音を聞く。
 露伴は知っていた。
 この町に、そんな祭りがないことを。
 今はないだけで、昔はあったのかもしれない。
 だが今はない。
 かつての祭りを確かめる術もない。


 それでも。
 鼻緒が当たった足の痛みだけは、なぜかやけに鮮明で。


 それがただの夢ではないことを執拗に物語っているかのようで。
 露伴はまた目を伏せ、ベッドに転がる。


 夢の続きを見れば、今度こそあの人の顔が分かるだろうか。
 その人はきっと、鈴美の顔をしている。
 もしかしたら、自分の両親だったかもしれない。
 だというのに、露伴はそれが鈴美であることを切望した。

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