午後になって降り出した雨が、少しずつ勢いを増して来た。
 追い立てるように帰した高校生達は、おそらく家に着く前に濡れ鼠になっただろう。
 やっと一人きりになった露伴は、開け放したままになっていた幾つかの窓を閉めるため、家中を見て回る。
 最後に寝室の扉を開けると、全開の窓は、既にベッドを湿らせていた。
 ここを一番先に見るべきだったな。
 しっとりとなった枕やシーツを引き剥がし、露伴は舌打ちする。
 ただでさえ、今は疲れているんだ。
 こんな面倒な力仕事、したくない。
 だからといって放っておくわけにもいかず、仕方なく露伴は新しいシーツを取り出し替える。


 もう何もしたくない。
 そんな気分だ。
 気の進まない作業をさせられただけでも憂鬱だった。それに加え、人付き合いの得意ではない露伴は、ただ誰かがそばにいるだけで神経を使う。
 もうただ、疲れたとしか言えない。
 他にどんな言葉も浮かばない。
 いっそこのまま、ベッドに倒れ込みたい。


 しかし露伴はそうはしなかった。
 たとえ疲れていても、一日はまだ終わったわけではない。
 明日からは、早朝駅前に立とうと決めていたので、そのための準備が必要だ。
 カメラはすぐに使えるよう、いつでも用意されている。
 フィルムはまだ残っていただろうか。
 確か買い置きが何本かあった。
 現像液はまだ替えなくても良かっただろうか。
 そういえば定着液がもうそろそろ底をつく頃だ。明日、帰りがけに寄って買えばいい。
 他には?
 他に、何かやっておくべきことは。


 何も思いつかなくなったところで、露伴はサイドデスクに置かれた本を手に取る。
 特に面白いものでもなかったが、暇つぶしにはなったので、そのまま読み続けていた本。
 しおりは、ほぼ中央に挟まれている。
 何日かけて、ここまで読んだのだったろう。
 暇な時、何もしたくない時、何もすることのない時。寝室にいる間で、そんな時だけ開く本。
 分厚いその本の重みを感じながら、ベッドに腰掛け膝に乗せる。
 この前はどこまで読んだのだったか。
 ああそうだ、ここだ。
 思い出した。
 寝る前に、なんだか寝付けなくて開いたのが最後だった。
 あれは三日前だ。


 雨音が室内にまで響く。
 どこかから滴るその音が、不規則に露伴の耳に届く。
 外を時折走る車から発せられる音。
 誰かが小走りに駆け去る音。
 他人の家の屋根や窓に叩き付ける音。
 こんな雨は、都会にいたのでは楽しめない。


 本を開いて、早一時間。
 時間が、ゆっくりと流れていく感覚。
 穏やかに過ぎていく感覚。


 本当は、こんなに呑気なことをしていては、顰蹙を買うだけだということくらい、露伴も知っている。
 顔も知らない中学生が殺されて、その犯人の素性すら皆に知れ渡り、そしてその男が消え。
 露伴はその全てを、ただ人づてに後から聞いただけ。
 未だ何もしていないというのに、それでもあの気の良い連中は「仲間だ」と言って憚らない。
 何もしなくてもいいということなのか。
 何かをしてくれという合図なのか。
 どちらでもいい。
 露伴はただここにいるだけ。
 物事は、露伴が自ら率先して行動を起こさなくても、何らかの形で動いていくだろう。
 露伴の能力の関係上、一番の邪魔者として消される可能性が高いが、今はまだそんな兆しはない。
 攻めて来られたら相手をする。
 それだけだ。
 だから何もせずにいる。


 写真を撮ろうと思ったのはなぜだったか。
 鈴美が、時々幽霊のくせに涙を流すからか?
 この町に住み続けると決めた今、事態を放っておけないからか?
 自分でもよくわからない。
 少なくとも。
 誰かのために何かしようと思うような露伴ではない。
 自分がそういう人間ではないことは知っている。
 そんな人間ではない。
 そんなはずはない。
 では何故?


 雨音が響く。
 窓を伝う雫が、外の景色を歪ませる。
 ゆっくりと時間が過ぎて行く。


 一人きりになると、これほどまでに安堵する。
 やはり、他人とはあまり関わらない方がいいのかもしれない。
 ただ関わり慣れていないだけなのではないか。そんな疑問が一瞬だけ浮かぶ。
 しかしすぐに打ち消す。


 雨の午後。
 一人きりの時間を贅沢に使い、露伴はベッドに足を伸ばす。
 このまま眠ってしまおうか。
 昼食も夕食も摂らずに、朝まで眠ってしまおうか。


 自分一人でいることが、こんなに楽しいなんて、久しぶりに気づいた。
 他人と過ごす時間が増えた。
 そんな時間を過ごすから、この楽しさを再発見できる。
 くだらないことを考えそうで、露伴は本を閉じて目を伏せる。
 一人でいい。
 一人がいい。
 親しい友人や家族など、欲しくない。

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