焼き上がる時間に合わせて入ったパン屋で、目的のバゲットを二本購入し、露伴はそれを抱えて家に帰った。
 今日の昼食はこれを使おう。そんなことを考えながら勾当台に入り、自宅まで後十数メートルという
地点。
「………」
 一瞬、見間違いかと思った。
 どうして露伴の家の前に、あんなに人が立っているのだろう。
 それも、全てのシルエットに見覚えがある。
 かと言って、引き返すわけにはいかない。
 ここは露伴の家で、露伴が遠慮する必要はない。それに、逃げ隠れしなければならないような、後ろ暗いこともない。
 何の用だ、こいつらは。
 腕時計に目を移す。
 午前十一時半。
 そろそろ昼食時。他人の家を訪ねて来る時間としては、最悪のタイミングだ。


 何も言わずに家に近付く露伴の姿を、仗助がいち早く見つける。
「おーい、先生! 待ってたんだぜー!」
 約束をしたわけではない。
 勝手に人の家の前に溜まっていながら、「待たされた」とは随分な言い様だな。露伴はそれだけで早くも気分が悪くなった。
「居留守かと思ったのに、本当に出掛けてたのかよ」
 それも失礼だろう。
 まるで露伴が、いつもいつも居留守を使っているかのようだ。
 たまに、仕事中や面倒な時にそうするだけで、特別問題が無ければ、ちゃんと応対している。少なくとも露伴はそのつもりだが、十回に七回は居留守を使っているという自覚は全くない。
「お、サンジェルマンのパンじゃん。焼きたて?」
 昼時にやって来るような連中だ。
 露伴の家で、ついでに何か食べさせろと言い出してもおかしくない。
 それにしても。
 何の用があって、ここにいるのか。
 まずそれを知りたい。
「何か、僕に用でもあるのかね?」
 鍵を取り出し、高校生達をかき分けて扉を開ける。
 返答如何によっては、そのまま露伴だけ中に入り、また鍵を掛け直すつもりだ。
「はい、昼飯ご馳走になりに来ました!」
 バゲットを抱えたまま、露伴が器用にドアを開けるのと同時に、仗助が堂々とそう答えた。


 聞き間違いであってほしかった。
 が、間違いでもなければ冗談でもなさそうだった。
 露伴は思わず振り返り、一人一人顔を眺める。
 愛想笑いの仗助。至って平然と立つ億泰、二人の後ろにこっそりと控える康一。
 三人の表情は、今の仗助の発言を肯定していた。
「……僕には、君達を昼食に招待したという記憶がないんだが。悪いが、いつそんな約束をしたのかな?」
 厭味を言ったつもりだった。
 もっとも、露伴の場合そんなつもりがなくても普段から厭味しか言わないので、今更彼等もその程度では動じない。
「水臭いなー露伴先生。承太郎さんから聞いてんだぜ。露伴先生の手料理はホテルよりも美味かったって」
 承太郎。
 その名前で、少しだけ見えてきた。
 あの男は、無口な素振りをしていながら、随分とお喋りだ。
 余計なことを触れ回ってくれているらしい。
 承太郎から何を聞いたか知らないが、自分達もその美味い料理を食べてみよう、ということになったのだろう。
 だからといって、招きもせずに来るとは。
 だいたい、承太郎だって、招いた客ではない。勝手に通って来るから、仕方なく中に通しているだけで、露伴が喜んでもてなしているわけではないのだ。
 それをこいつらは。
 何をどう解釈したかは知らないが。
「……帰ってくれ」
 露伴はまた彼等に背を向け、開いたままの扉から中に入る。
 と。
「お邪魔しまーす」
 今、帰れと言ったのに。
 今のが「どうぞお入りください」に聞こえたのか、貴様らは。
 露伴の後ろから、ぞろぞろと上がり込む。
「言っておくが、君達の分の昼食なんか用意してないぞ。材料だって無い。この家には僕一人分しか置いてないんだ」
 このくらいで諦めてくれるとは到底思えなかったが、それでも一応言ってみた。
「材料ならあるぜ」
 仗助の後ろから入り込んだ億泰が、手に提げていた袋を軽く持ち上げて示す。
「トニオさんから分けて貰ったんだ。好きなだけ使ってくれってよ」
 ますます不可解な連中だ。
 材料持参で来るとは。
 そんな物があるのなら、自分の家で何か作ればいい。いやそれよりも、トニオ・トラサルディーの所に寄ったのなら、そこで食べれば良かったはずだ。
 確かに露伴は独り暮らしなのだから、そんな突然の来客に対応できる備蓄があるはずがない。そう予想して持って来たのだろうが、そんな所に気が回るのに、どうしてこんな無遠慮な真似は平気なんだ?
 露伴が思わず固まってしまっている間に、三人は勝手に家の中に入り込み、キッチンへと向かう。
 誰に聞いたのか、露伴の家の間取りをよく知っている。
 迷うことなく進んで行った。
「先生、何やってんだよー」
 これまで、突然やって来て、一時間近く紅茶を飲み続ける承太郎を、迷惑だと思ったことは殆ど無かった。
 が。
 今回のこれで、承太郎の存在が突然疎ましく感じられるような、そんな気持ちになった。


 露伴は足早にキッチンに向かい、材料を一つずつ広げる三人を一瞥すると、声を張り上げた。
「今回だけだ! 今日だけだぞ! 昼食は作ってやるから、外で待て!」
「先生ーなんで外なんだよ?」
「僕の気が散る!」
「でもよー……」
 まだ何か口答えする気か。
 露伴は三人を順番に睨みつけ、無理矢理キッチンから追い出すと、乱暴に扉を閉ざし、鍵を掛けた。
 絶対に、露伴の許可無く、ここを開けさせない。
 絶対にだ。
 三人の声はまだ微かに届いていたが、露伴は聞こえない振りをして、一つ息を吐いた。

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