康一のことはひとまず放っておくことにした。
が、あの顔を見れば、結果はわかりきっている。
明日になっても、多分康一は来ない。
来ないからいい。
来ない方が、これから先も面白い。
露伴はそれなりに満足し、空いているテーブルに着いた。
カフェ・ドゥ・マゴに来るのは久しぶりだ。
つい紅茶を頼みかけて、慌ててメニューを読み直す。
誰かのおかげで、ここのところそればかり飲まされていたことを思い出したので。家で嫌というほど飲んでいる。外に出た時くらい、別の物を頼みたい。
だが、いつまでも迷うのも露伴は嫌いだったので、適当に目についたからという理由でカフェオレを注文した。
康一はどうしただろう。
ここからでも、シンデレラのビルは見える。
が、付近にあの小柄な学生服は見当たらない。
「帰ったんだな……」
打てば響くあの感じがいい。
早速明日には、また吉良に対する憎悪の念と持ち前の正義感できりきりと働き始めるだろう。いや、もう今から始めているかもしれない。
本当は、露伴はどちらでも良かった。
康一がどちらを選んでも、露伴はその通り実行するだけだ。
決意を固めようが、あのまま脱落しようが、露伴にはどちらでも構わない。展開が面白ければそれでいい。
しかしそれでも、康一は康一らしくあってくれた方が、露伴としては楽しいので、今回の結果は悪くない。
薄茶色の液体から立ち上る湯気の向こう。平凡な街並みの中に、露伴は厄介な物を見つけてしまう。
あの特徴的な髪形。校則上許されているのかどうか疑わしい改造学生服。
ここ最近、なぜか露伴の家に紅茶を飲みにやって来るあの男に良く似た風貌。
一番見たくない顔だ。
気づかなかったふりをしようとしたが、多分もう遅い。
一瞬だけ目が合ってしまった。
お互い、気持ちは同じはずだ。
だったらさっさと行け。
露伴はそう願ったが、どういうわけか、相手にその願いは通じなかったようだ。
なんでわざわざ僕に近寄って来るんだ、こいつは。
「よぅ、露伴先生。調子どうっスか?」
つまらない挨拶だ。
貴様の顔を見るまでは快調だったぞ。
「……君は随分元気そうだが、康一くんと違って鈍いからか?」
「は?」
いきなり厭味から入ってしまったが、露伴は普通に話しているつもりだったので、仗助が首を傾げても説明はしない。
「鈍いらしいな、やはり」
「……何スか?」
目の前で辻彩に死なれてしまったことで、康一は悪夢に悩まされている。
可哀想に、目の下に隈まで出来ていた。
それがどうだ。
こいつときたら。
すっきりした顔で飄々と登場した。
さぞかし毎晩よく眠れていることだろう。
「昨夜はどんな夢を見た?」
「……あの、何の話?」
「だからっ。どんな夢だったかと聞いているんだ!」
どうもこいつが相手だと、話が進まなくて困る。
露伴は苛つきながら、カップの中身を一口啜った。
苛々してる。それくらい見ればわかる。
仗助は仗助で困惑していた。
ちょっとは揉めたが、今はもう和解していることだし、少しはフレンドリーに振る舞ってみるかと近付いてみれば、いきなりねちねちと厭味を言われ、ついでに唐突な質問をされ、終いには勝手に怒り出す。
露伴が相手だと、会話が成立しない。
康一からも、「気難しい人だけど、子供を相手にしてると思えば我慢できるよ」と教えられていたので、仗助は露伴に見えない位置でこっそり深呼吸をする。
我慢だ、我慢。
扱い方さえ間違えなければ、なんとかなるはずだ。
仗助は露伴の真向かいの椅子を引く。
「夢ねぇ……昨夜は熟睡してたんで、覚えてないんスよー。でもそれがどうかしました?」
「康一くんは悪夢を見て大変だそうだ。君は平気そうだな」
最初にそれを言え。
そう言ってくれれば、事情もだいたい呑み込める。
辻彩のあれが康一には強烈だった。ショックだったのだろう。
「吉良の野郎を捕まえるまでは、そんなこと考えてられないっスから」
「貴様はそれで済むんだろうが、中にはそうもいかない細やかな神経の持ち主もいるだろう?」
なんだか、「おまえは単細胞だ」と言われているように聞こえた。気のせいではないと思う。
しかしここで言葉尻一つ一つ捕まえて文句を言っていては、一向に話が進まない。
仗助はまた、我慢だ、と言い聞かせる。
「まあそうでしょうね。でも何とかなるんじゃないスか?」
「つまり君が何とかするのかね?」
何で俺が。
「君は仮にも康一くんの友人だろう? 少しは彼の力になってやろうって気にならないのか?」
確かにそれはそうだが、露伴は友人の中に含まれていないのだろうか。この厭味な漫画家はきっと、自分は特別だと思っているに違いない。
「友人ってのは、お互いの欠けた部分を補い合うために存在していると聞いたことがあるが……君はどう思う?」
「はあ……?」
なんだよ、いきなり説教かよ?
仗助は今すぐ立ち去りたい気分になっていたが、話の途中で席を立つタイミングが図れず、仕方なく適当に相づちを打つ。
「たとえば君の片腕……そうだな、右手にするか。それを億泰に喩えるとして、左手は誰だ?」
「そりゃ……康一でしょう」
「だったらもう少し左右のバランスを大事にしたまえ。君は危うく、左手を失うところだったんだぜ?」
「って言うと?」
失うところだった、という辺りが引っ掛かる。
もうそれについては解決済みだとでも言わんばかりだ。
「ついさっきそこで康一くんに会ってね。もう大丈夫だとは思うが、君も一応フォローしておいた方がいいんじゃないか? 大事な友達なんだろう?」
いちいち人の癇に障る言い方をする男だ。
「そうさせてもらいます。じゃ、これで」
これ以上ここにいると、店の中で大暴れするかもしれない。
仗助としてもそんな真似は避けたかったので、露伴の話が終わったと判断したところでさっさと立ち上がる。
「あ」
それでも一つ言っておかないと気が済まない。
「先生、暇なら手伝ってくださいね。俺達高校生なんで、毎日色々忙しいんスよ」
「遊んでいられる高校生と違って、僕は生活がかかっているんでね。仕事の合間くらいしか時間が取れないんだ」
ちっとも素直じゃない。
誰が見たって毎日暇そうにしてるってのに。
それに。
手伝わない、とは言わなかった。
本当はその気があるのに、はっきりと「やる」と言わない。
なんとなく、岸辺露伴が少し掴めたような気がした。
だから仗助はそれ以上言うのをやめ、穏便に済ませるために店から出た。
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