承太郎を帰した後、露伴は一人きりの仕事部屋で机の前に置かれた白紙の原稿を見ていた。
 一応、彼等の目が光っている現状では、あまり大っぴらにネタ集めができない。露伴の中の作品のストックも、そろそろ尽きようとしている。
 やはりどこかで適当な人間を捕まえて記憶を読ませてもらうべきだ。それが一番手っ取り早い。まどろっこしい取材より遙かに得るものが大きい。
 どうしたものか。
 露伴が今狙っているのは、吉良吉影だ。彼を人道的に許せないとか、そういう理由ではなく、ただ純粋に彼が何を考えているのかを見てみたいと思っている。仮に露伴が彼を探すという名目で、適当な会社員風の男を読み漁っても、多分あの正義感に溢れた連中は文句は言わないだろう。言わないだろうが、あまり良い顔はしないはずだ。
 露伴にしても、手当たり次第につまらないものまで読まされるのは御免だ。
 だから今はまだしない。
 それにしても、このままでは仕事どころではない。
 気晴らしに外にでも出てみるか。
 先程承太郎から、不用意な行動は控えるよう忠告されたばかりだったが、そんなことを忠実に守っていては、生活ができない。
 どうせあの高校生達だって、普通に学校に通って日常生活を送り続けるのだ。露伴だけ家に閉じこもっている必要はない。


 行く先を決めずに外に出るというのは、あまり良くなかったかもしれない。
 露伴は今更ながらそんなことを思う。
 というのも、適当に商店街をうろうろしている間に、またしてもオーソンの前に出てしまったからだ。
 来てしまった以上、引き返すというのは露伴の性分に合わない。
 つい入り込んでしまう。
 と。
 珍しく、アーノルドが通りを駆け抜けて露伴の胸に飛び込んで来る。
「………」
 懐かれている、のかもしれない。
 身に覚えはないが、おそらく十五年前の生前の記憶で、それで露伴を覚えているからなのだろう。
 こうやって触れる。
 体温すら感じる。
 それでも実体じゃないだって?
 もう死んでいるだって?
 この犬と同様、あの鈴美も。


「露伴ちゃん、来てたの? 漫画家って暇なのねぇ」
 そう思われるのは心外だ。けして暇な職業ではない。
 露伴が暇そうなのは、仕事の効率が良いからそう見えるだけで、本当はもっと激職なんだ。
 そう言いたいところだったが、まるで子供がむきになって食って掛かっているようにも見えると気づき、やめた。
「珍しい。何も言わないなんて」
「……僕を子供扱いするのはやめてくれないか?」
「あたしから見たら子供よ、露伴ちゃんは」
 四歳児にしか見えていないということなのか。
 それも不満だったが、逆にそれを露わにすると余計に子供だと立証するようで、露伴はまた言葉に詰まる。
 いつもこうだ。
 この小娘の前に出ると、調子が狂う。
「昔はいい子だったのにねぇ。……どこでこんな捻くれちゃったのかしら? あたしがついていなかったせいかな?」
 そういう話は苦手だ。
 ちょっとほろりと来るような、そんな人情話はやめてくれ。
 あんたはもう死んでいる人間なんだ。
 言えない言葉ばかりが露伴の中に降り積もる。
「だって昔は、『大きくなったらお姉ちゃんをお嫁さんにする』って言ってくれたのよ。そんな可愛い子が、どうしてこういう風になっちゃうの?」
 そんなの、子供が必ず一度は言う台詞だろ。
 絶対に誰か年上の親切な女性には言うものだ。露伴だけが特別なわけではない。
「あーあ。損しちゃった。露伴ちゃん、こんなに格好良くなってお金持ちになるなんて思わなかったし。早死にして大失敗」
 冗談だということはすぐにわかった。
 鈴美の顔がそう言っている。
 でも笑えない冗談はやめてほしい。
 本気かと思うじゃないか。
「何本気にしてるの。冗談くらい、ちゃんと受け流さなきゃ。もう子供じゃないんでしょ」
 別に真に受けているわけではない。ただちょっと困っただけだ。
「それともあたしのこと好きになっちゃった?」
「馬鹿言うなよ。どうしてこの僕が、十六の小娘なんか、それも幽霊なんかに惚れなきゃならないんだ?」
「あら、恋愛ってそういうもんじゃないわよ。本当、露伴ちゃんはそういうところが駄目ね」
 人を欠落者のように言うな。
 別に恋愛感情が欠落しているわけじゃない。
 そんなくだらないことに振り回されたくないから、だからしないだけで。
 別に欠陥商品じゃないんだ、僕は。
 それでも露伴は思ったことを何一つ言えずに終わる。
「もう帰る。これでも忙しいんでね!」
 忙しい、の部分に力を込める。
「またね、露伴ちゃん。……ちゃんと恋もするのよ! 重要よ!」
 もう数メートル距離があるというのに、まだ叫び続けている。
 しかし露伴は振り返らない。
 もう振り返ってはいけない所に差し掛かっているから。
 こんなところで声をかけて来て。うっかり振り返ってしまったらどう責任を取ってくれるんだ。言いたいことは山程あるというのに、露伴は何も言わずに小道を出る。


 あんな幽霊相手に。
 いつかは成仏してしまう相手なのに。
 そんな感情を抱けという方がどうかしている。

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