白装束。長い足。適度に張りつめた筋肉。
 ただパーツの素材としてそれを描き写していた露伴だったが、途中から、それだけでは勿体ないような気がし始めていた。


 本来なら、一枚描いた時点で当初の目的は達成されている。
 が。
 露伴は敢えて紙を捲り、また新たな絵を描き始める。
 描きながら、何かを掴もうと試みていた。
 もう、すぐそこまで来ているんだが。
 仕事を終えた直後の露伴は、全てのアイデアを放出したばかり。今空っぽのこの頭の中に、新しい何かが生まれるのは当たり前のことだ。
 そして今、まさに何かが引っ掛かっている。
 もう少し。
 もう少しで形になる。
 まだはっきりと見えない何かが、この中に燻っている。
 そんな感覚がある。
 こういう時は、焦らず、ただそれが露伴の中に姿を見せるまでじっくりと待つのが一番いい。
 そして、こうやって男の足を描いている時に閃いた以上、その作業を続けるのが近道だということも知っている。
 多分、これに関係する何かなんだ。
 足。
 足だ。
 きっと足で、何か素晴らしい作品を生み出せそうなんだ。
 モデルにされている承太郎には迷惑な話だったろうが、露伴は他人を気遣わない質なので、わざわざ事情を説明して了解を得ない。
 素知らぬ顔でスケッチを続ける。
 もうすぐだ。
 もうすぐなんだ。
 今はまだ、ぎりぎりのラインで水面に出ていないだけで。
 少し動かせば、すぐに浮き上がって来る位置にある。
 そういうタイプのアイデアなんだ。
 露伴は自分の頭の中にある作品専用の喫水線を思い浮かべる。
 あと少し、何かきっかけがあれば浮上する。
 もうすぐ。
 もうすぐだ。
 斬新な、何かを。
 きっと生み出せる。


 承太郎が何も言わないのをいいことに、露伴は何枚も何枚も足を描く。
 ふと。
 新たなキャラクターが頭に浮かぶ。
 どこか承太郎に似た風貌の、全く新しいヒーロー。
 今まで、こういう人物を主人公に据えた物語はあまり無かったのではないか。そんなことを考え始める。
 いける。
 これはきっといけるぞ。
 閃いたのは、ある場面一つ。
 これを膨らませれば、きっと傑作になる。
 こういう予感は、必ず当たる。
 できる。
 読者を虜にする、そんな作品が描ける。
 まず今見えた映像だ。忘れないうちに描き留めておこう。
 承太郎を見ているようで、承太郎本人など最早見えていない露伴は、好き勝手にスケッチブックを埋めていく。


 数分後。
 何か、物足りない。
 何かが足りていない。
 そうだ。
 この部屋が問題なんだ。
 自分にとっては大変居心地の良い応接間だが、ここは今生み出そうとしている作品には相応しくない。
 部屋が与える違和感が、作品の形を定められない第一の原因だ。
 そう気づくと、露伴はすぐに行動せずにはいられない。
 勿論、実際に露伴が理想とするような部屋が家の中にあるはずもないし、この田舎町に、そんなシャープな映像に当てはまる場所などない。
 イメージだ。
 あくまでイメージさえ固定できれば。
 何か方法はないか。
 考えながらも、露伴の手は止まらないので、承太郎の目には、まだ露伴が必死にスケッチを続行しているようにしか見えない。
 実際はもう承太郎の足などさして気にしていないのだが。


 何か光るもの。
 小さくて、細かな。
 そして鋭い何か。
 そういったものが散りばめられた空間があればいい。
 そうすれば、この新しいキャラクターに、それなりの表情を与えられる。
 そして読者の度肝を抜くストーリーが発展して行く。


「そうだ! 先週、取り寄せたばかりのがあったぞ!」
 イタリアで目をつけ、買いつけた新しい食器の中に、あれがあった。
 あれを使おう。
 使おうと思えば、使える物がいくらでも家の中にある。
 露伴は嬉々としてペンを床に叩き付けた。
 そう。
 こういう感じで、床にぶつけて、そして砕ける。
 あの音と、破片の動き。それも重要だ。
「ちょっと待っていてくれ、今準備する!」
 露伴は梱包を解いたばかりの、リビングに置かれたままになっているはずの食器を探しに向かう。
 一瞬、あのグラスのセットを幾らで買ったのかを思い出そうとした。
 が。
 今はそんな些細なことを気にしている場合ではない。
 百万だろうが二百万だろうが、作品の前では些事に過ぎない。
 欲しければまた買えばいい。
 今は別の使い途に、有効利用すべきだ。


 床に叩き付けたグラスは、次々と砕け散って行く。
 その間も、承太郎が身動き一つせずに座っていてくれたことに、露伴は小さく感謝した。
 いける。
 この感じだ。
 次の増刊はこれで一本作れる。
 露伴はまた、承太郎を見ながら承太郎を見ずに、スケッチを開始した。
 承太郎が開放され、サイン入りの本を持ってホテルに戻ったのは、それから二時間後だった。

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