夕刻の岸辺宅にて、露伴の前で足を組んだ状態で微動だにしない承太郎。
 そんな承太郎の姿を熱心にスケッチブックに描く露伴。


「なあ、あれ何やってると思う?」
「……モデルだろ、あれは」
「なんで?」
 こっそり露伴の家の敷地内に侵入し、窓からその様子を窺っていた仗助と億泰は、二人から目を離さずにぼそぼそと話し続ける。
「知りたいなら、露伴の野郎に聞いて来いよ。その代わり自分で行けよ、億泰」
「俺はいやだ、仗助が行けば?」
 露伴に用があって来ているわけではない。
 偶然、近くを通りかかった際に承太郎を見掛け、ふらふらと着いて来てしまっただけの話だ。
 重ちーのために、小さなボタン一つを持って町中を歩き回っている承太郎。そんな彼を何か手伝えることはないかと、声を掛けようとした矢先だった。承太郎がこの家の玄関に立ったのは。
 承太郎と露伴。
 どういう取り合わせだ、と首を傾げたくなる。そもそもあの二人、面識はあっても、話したことなど皆無のはずだ。
 今にして思えば、承太郎が玄関先に立った時点で声を掛けておけばよかったのだ。
 どうしようかと迷っていたのはまずかった。
 なぜか承太郎は、そのまま二十分近く立ち尽くしていた。
 少し離れた所から見守っていた二人は殆ど同じことを考えていた。
 露伴は絶対に居留守だ、と。
 承太郎もそう思って粘っているのだろうか。だがただ立っているだけで露伴が折れるはずはない。そろそろ承太郎にそう言おうかと思い始めた頃、突然露伴が姿を見せ、承太郎を中に入れた。
 なんだ、やっぱりいたのか。
 居留守だと決めつけていた二人は、露伴が出て来たことにはさほど驚かなかった。驚いたのはその後だ。
 偶然にも、露伴の家の応接間の窓は、二人の位置からよく見えてしまった。
 覗くつもりなどなかったし、家の中に入ったからには、それ以上興味も湧かなかったので、本当ならそのまま帰れば良かったはずなのに。
 暇だったから。もし誰かに「何故?」と問われればそう答えるだろう。
 ついつい、見続けてしまったのだ。
 露伴が普通に客をもてなす様子も、その後の重苦しい雰囲気も。
「なあ、何やってると思う……?」
「茶飲んでんだろ?」
「なんで……?」
「…………」


 妙な緊迫感の漂う室内から目を離せない。
「おい仗助、康一も呼んでみよーぜ?」
「……じゃあ電話して来いよ」
「この辺、公衆電話ねえもん。あいつん家まで走った方が早いぜ?」
 殆ど口を開かず、ただ茶を飲むだけの二人。
 確かに、康一にも見せてやりたい場面だったが、お互い、ここから自分だけ離れるのも嫌だったので、結局ジャンケンをし、負けた仗助が康一の家まで走ることになった。
 仗助が無理矢理康一を引っ張って戻ったのは、つい十分前のこと。
 その時既に、露伴はスケッチブックを開いており、承太郎はソファに腰掛けたまま、ゆったりとモデル役を勤めていた。
 自分がいない間に何が起こったのか。仗助がそれを問い質しても、相手は億泰だ。
「それがよー……茶四杯飲んで一時間だぜ? それから何かよくわかんねぇんだけどよー……こうなったんだよなー」
 残っていたのが仗助だったなら、もう少し前後の事情も理解できたかもしれないが、今更言っても遅すぎる。
 仕方なく、また二人、窓に張り付く結果となり、今に至っている。


「なー康一、ちょっと見てみろよー」
「……ねぇ二人とも……もう止めた方がいいよ。露伴先生に見つかったら怒られるよ?」
 二人とは少し距離を置き、ぎりぎりで足だけ敷地から出ている康一は、それでも小声で二人に呼びかけた。
「露伴の野郎、承太郎さんの足描いてるぜ? 本当に変な漫画家だよなーあいつ」
「だいたいなんで承太郎さんが、あの変人に付き合わされてんだろーなー」
 紙とペンと素材にだけ集中する露伴は、窓にべったりと着いている二人には全く気づいていない。お陰でこれだけ堂々と覗き込める。
 承太郎は承太郎で、顔の向きまで露伴に指定されてでもいるのか、一点を凝視したままだ。
「でも露伴が描いてんの、足だぜ?」
「承太郎さん律儀だからなー……モデルだから動いちゃまずいって思ってんだろ?」
「おい、康一も見てみろって」
 相変わらず窓の奥から目を逸らさない二人に手招きされても、康一は絶対に近付かない。
 後が怖いからだ。
 露伴は後で何をされるかわからないという怖さがある。勝手に家に上がり込むなんて、露伴でなくとも怒るだろう。そんな失礼な真似を、よりにもよって露伴相手にやってしまっては、しばらくはこの近所を一人で歩けなくなる。
 なので、康一は無言で首を横に振る。
 しかし見えていない二人は、いつまでも手招きを続ける。


 状況はしばらく変わらなかった。
 動きがあったのは、それから五分後。
「お、何か変だぜ?」
「露伴の奴、大丈夫か、あれ」
 それまで一心不乱にペンを走らせていた露伴だったが、突如そのペンを床に叩き付けた。
 さすが露伴の家だけあって、中の音は全く外に漏れて来ない。二人の間でどんな会話がなされているのかわからないので、全ては状況判断でしかない。
 しかし、露伴の唐突な行動だけは、やはり実際に声を聞かなければ説明できないかもしれない。
 現に、つぶさに目撃していた二人にも、今何が起こっているのか、全く理解できていないのだから。
「何だ?」
 スケッチブックをゆっくりと床に下ろし、露伴は応接間から出て行った。
 何か不愉快なことがあったという感じには見えなかった。
 逆に、妙に生き生きとしていて、目の輝きも違った。意味不明の行動ではあったが。
「億泰、頭下げろ! 露伴が戻って来た!」
 スケッチブックから目を離している以上、露伴の目がしっかり周囲も捉えている可能性は高い。二人は慌てて隠れ、しかしすぐにまた窓の高さに目線を合わせ直す。
 ほぼ同時だった。
 二人が見たのは、グラスを床に叩き付ける露伴の姿。
 それも一つや二つではない。
 砕け散った無数のガラスの反射の中、承太郎は相変わらず身動き一つしない。
 というより、下手に動くと破片を踏みかねない。
「……何であいつ、コップ割ってんの?」
「なんか、高そうなコップだったな」
 そんな二人の会話を聞き、久しぶりに康一が背後から参加する。
「……露伴先生、食器は全部、ドイツとかイタリアから自分で選んで来た高い奴だって言ってたよ、前に」
「ってことはよー……スーパーで百円で売ってる安物じゃねえんだよな?」
 それを惜しげもなく壊して。
「あいつ金持ちだから、また買えばいいとか思ってんだろー」
 どちらにせよ、何でそんな真似をしたのかの説明は誰にもつけられない。
 そして露伴はガラスの散らばる危険な応接間で、またスケッチブックを手に承太郎の足を描き始める。
「そろそろ僕、帰ってもいいかな?」
「俺達も帰ろうぜ、億泰」
「そうだな、帰ろうか……」
 岸辺露伴に関わっても損をするだけ。
 最終的に三人はそう自分に言い聞かせ、今回のことは見なかったこととして処理した。

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