やはり一度、墓を確かめる必要がある。
 ここいらの人間の殆どが埋葬されている霊園へ行くバスがどこかから出ていたはずだ。
 杉本鈴美というあの幽霊の言葉を信じていないわけではないが、確かめずにはいられない。
 露伴は駅前でバスを探した。
 ちょうどその時、草臥れた中年男性が露伴にぶつかった。
 この僕に体当たりをかますとは、どういうつもりだ?
 口には出さないまでも、感情を隠そうともしない露伴の視線を受け、男性はひどく恐縮した。
「すみませんすみません!」
 こんな若造に丁寧に頭を下げてしまう辺り、日頃の苦労が窺える。
 だからといって気の毒に思うような露伴ではない。
「前を見て歩いてもらいたいね」
「すみませんっ……あのぉ、申し訳ないついでに」
「何だ?」
 本当に誰でも良かった、という態度で露伴に何か注文をつけようとしている。
 急いでいるわけではないが、無意味に時間は取られたくない。
 露伴は腕を組んだまま、じっと相手を睨みつける。
 その異様なまでの威圧感に、少々たじろぎながら、男は遠慮がちに呟いた。
「ここいらで、鍵見ませんでした?」
「鍵?」
「コインロッカーの。番号は一四〇八」
 なんだ。
 無くしたのか。
 言われてみれば、すぐ横にはコインロッカーが並んでいる。
 何を入れていたのか知らないが、もっとましな行動は取れないものなのか。こんなところで右往左往していても何の解決にもならない。
「ああ困ったな……五時までに届けなきゃいけないってのに……どうしよう」
 だから僕に訴えてどうなるものでもないだろう。
 露伴は次第に苛々し始めていた。
 この僕が、鍵師にでも見えるというのか?
 そんなはずはないが、とにかく誰かに手伝ってもらいたいらしい。
 だが、面倒なことには違いない。


 露伴は無視することに決め、そのまま行き過ぎかけた。
「どうしたらいいでしょう!」
 まだ人を巻き込むつもりでいるのか。
 露伴に向かって、必死に話しかけて来る。
 ここは駅前だ。時間も時間なので、それなりに人が行き来している。
 言わせてもらえば、他にもいるだろうに、あえて露伴を選んで話し続ける必要はどこにもない。誰か暇そうな奴を捕まえればいい。
 実は今、この周辺で一番暇そうな顔をしていたのが露伴だったためにこうなっているのだが、露伴は自分のことはあまり見えていないので気づかない。
「いい加減にしてたまえ」
 本当に怒り出す前に退散してもらいたい。
「困ってるんですよ、本当に」
 今困っているのはこっちの方だ。
 そろそろ相手にするのも面倒になって来たので、露伴は右手の指先を持ち上げた。
 迷うことなく、空中に絵を描く。


 人が多く行き交う場所というのは、逆に一人一人に注視しないという利点がある。
 露伴が一人の男の意識を失わせたことなど、誰も気づいていない。
 その場に座り込む形になった男の傍らに屈み込み、露伴はその顔のページを捲る。
「波長が合ったのは何よりだが……」
 こういうはた迷惑な輩と合うというのはあまり嬉しくない。
 嫌なことは早く済ませよう。
 露伴はこの男がコインロッカーに物を収めた辺りの記憶を探す。


 昨日の夕方、駅のコインロッカー一四〇八に、社外秘の特別な書類をこっそり入れた。
 しかも。
 ライバル会社にそれを持って駆け込むつもりで。
 鍵は上着の内ポケットの中の定期入れの裏に。
 そこまで読んで、露伴はしばし考えた。
 そしておもむろに内ポケットに手を入れ、定期入れを取り出す。
 ある。
 こんな所に入れておきながら忘れるとは、よほど動揺していたのか。
 大胆な行動の割に気が小さいのだろう。
 再び定期入れだけをポケットに戻し、露伴はまた考える。
 どうしたものか。
 このまま教えてやるのも癪だ。
 ここまで露伴の手を煩わせたのだから、その報いは受けてしかるべき。
 露伴はそのまま男を放置し、自分一人でコインロッカーのある方へ足を向けた。
 鍵はすんなり開き、露伴は書類を取り出し、一通り眺める。
 なんだ。
 つまらん。
 ただの、健康食品の新製品だ。
 興味の無い対象だったので、露伴はそれを持つと、男の横に置く。
 そして。
 本にしたまま放置してある男のページに、新たな記憶を植え付ける。
『通りすがりの青年に一緒に探してもらって鍵を見つけた。書類を持ってすぐに会社に帰ろう。元あった場所に戻しておこう』
 こういうことはやったことがないが、多分、うまく操ることができるはずだ。理論上は。
 もうつまらんスパイ行為をしようという気は完全に失われているはずだ。
 いい実験体が見つかってよかった。
 さすがにまだ、こればかりは試したことがなかったのだが、下手に他人の意識に手を加えると、また仗助や康一がうるさい。それで手をこまねいていたのだ。
 だがこれなら。
 この場合なら、けして悪いことではないはずだ。ある一方にとってだが。
 うまく動けよ。
 露伴は男から離れ、ヘブンズ・ドアーを解除する。
 後は簡単だ。
 先程名刺を見たので、男の会社はわかっている。
 このまま後をつけて、ちゃんと会社に戻るのを確認するだけでいい。
 それで、露伴の能力の効果も確かめられる。
 霊園に行くつもりだったことなど綺麗に忘れ去り、露伴は男の行動を見守った。

メニューページへ
Topへ