遅い昼食を終え、露伴の足は商店街へと向かう。
向かいながら、露伴は自らに問いかける。
いったい何ヶ月この町にいると思っているんだ? ただちょっと気になったからって、今更何か手掛かりがあるわけじゃないだろう。
それでも、じっとしていられなかった。
しばらく病室にこもっていたからだろうか。
久しぶりに外界に出たから、だからこんな行動をしてしまうのかもしれない。
幼い頃の自分。遠い日に置き去りにしてしまった自分。
この辺りに住んでいたのだから、何か一つくらい、見知った風景が残っているかもしれない。
あてもなく商店街の真ん中に立った。
途中の本屋で町の地図を購入してあったので、それを広げて現在地を確認する。
できれば露伴が住んでいた当時の地図が手に入れば尚良かったのだが。
そうすれば、今でも変わらず残っている物がどれなのか、即分かったはずだ。
しばし目を閉じる。
かつて自分も、母か誰かに手を引かれ、この辺りを歩いていたのだろうか。夕刻、この近辺で買い物をしたのだろうか。
思い出せないものはどうやっても思い出せない。仕方がないので、露伴は想像だけで歩き回ってみる。
数分後には、やはり何の収穫も得られない自分がいるのだろう。そう確信していたが。
広い道路。
車が横を走り去る。
手を、しっかりと繋いでいた。
どこか物悲しい童謡を口ずさみ、二人で歩く。
『お誕生日おめでとう』
若い女の声。
差し出された横長の箱。包装紙の中身はまだ見ていない。
『帰ったらお絵描きしようね』
見上げた先。
逆光。
顔が見えない。
よく知っている道。
真っ直ぐ行って、そしてあの角を右に。
たくさんの門。
知っている人の家。知らない人の家。
たくさんの家を越えて、その先に自分の家。
『あら、こんなところにもツムジがあるのね』
ツムジって何?
まだその言葉は知らなかった。
『ほら、ここ。触ってごらん。ぐるぐるしてるでしょ?』
自分の頭に手を遣って確かめた。
でもよくわからない。
『それからこっちにも。ほら、ここにも一つ。全部で三つもあるわよ』
ちっともわからなかったけれど、この人の言葉は信用できた。
並んで、歩く。
歌いながら、歩く。
夕食のおつかい。一緒に行った。
あの角を右に。
その先を真っ直ぐ。
また右。
そのうち、大好きな家が見えてくる。
「……!」
何か叫びかけ、露伴は目を見開いた。
一瞬、状況が把握できずに固まる。
「……公園か」
歩き疲れ、ベンチに座った後、つい居眠りをしてしまったらしい。
霞がかかったような、変な気分だった。
夢の内容は、すぐに捕まえなければ記憶の片隅にも残らない。
露伴は必死になって反芻する。
誰かと歩いた商店街。今とは少し違うが、だがこの近くのあの光景に似ていたように思う。
角を右に。その先を真っ直ぐ。また右。
「真っ直ぐ行って、あの角を右……」
そこが、露伴の家なのか。
今はもう無い、露伴の生まれ育った家なのか。
迷う必要はない。
露伴は立ち上がり、スケッチブックを抱え直すと、夢の足跡を辿り始めた。
どうして今日になって急に、こんな色々なことを思い出すのだろう。
何かが起こり始めているのかもしれない。
何の根拠も無いことを思いつき、露伴は苦笑した。
馬鹿げている。
そんな都合の良いことが、そうそう起こってたまるものか。
このまま、自分の記憶の欠落の原因まで突き止められるなど、そんなことは有り得ない。
「旋毛か……」
今まで自分の髪についてなど、考えたこともなかった。
こうやって触っても、よくわからない。
後で暇のある時にでも確認してみようか。
あれがただの夢想なのか、実際に起こったことなのかを確かめる、一番いい方法だ。
本当に、この頭に旋毛が三つあるのだろうか。
あったとしたら、どうなる?
失われていた思い出が蘇り始めている、いい兆候と捉えればいいだけのことだ。
仮になかったとしても、さほど気落ちしたりはしないだろうが。
真っ直ぐに。
そして右に。
更に真っ直ぐ。
地図で確認しながら、露伴は商店街を歩く。
ああ、今はコンビニになっているのか。
多分、ここでいいはずなんだが。
地図でもう一度確かめる。
「……?」
そこには、道など描き込まれていない。
やはりただの空想だったのか。
そこに、横道なんかない。
「……ある、だと……?」
慌てて地図に目を落とす。
地図上には、無い。
だが露伴の朧気な記憶の通り、事実目の前には道があった。
どうする?
行ってみるべきなのか?
溜め息の後、周囲を見回すと、遠くに人影が一つ。
あれは。
「康一くんか……?」
いいタイミングだ。
いいところを通りかかってくれた。
露伴はそっと物陰に隠れ、康一が近付いて来るのを待つことにした。
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