数日ぶりに戻った家で、露伴は溜め息をつかざるを得なかった。
引っ越しの時、あれほど細かく設定した家具の配置。露伴が寛げる最高の空間を演出したインテリアの数々。
全てが無に帰してしまった。
仗助が暴れ回ったそのままに、破壊され尽くした家具。
机を始め、幾つかは新しく買い揃えなければならない。
露伴は部屋中を歩き回って、必要な物をピックアップしていく。
完治したとは言い難いが、もう動かすには支障のない右手で、露伴は的確にメモを取り、そしてスケッチブックには新たな部屋のイメージを描き込む。
机は窓の前に据える。できれば前のと似たようなデザインの物が好ましい。椅子も、あれは見た目だけでなく座り心地も良かった。あれと同じ物があればいいのだが。
あらかた描き終えると、露伴はスケッチブックを閉じ、それを携えて外に出た。
念の為、車を出す。
もっとも、露伴が今買おうとしているものは、車に積み込めるような大きさではないのだが、それ以外に何か目を引くものがあった時の為の備えだ。
乗り込む時に、思い出す。
そういえばこの車も、杜王町に越すことが決まった時に買ったのだった。移動に不便な田舎町だから、一台は持っているべきだろうと考えたのだ。しかし、越して来て三ヶ月、実際運転するのはこれが初めてだ。あまり外出しない上に、出る時は近場をふらふらしてしまうだけなので、実質、車無しでも問題はなかったのかもしれない。
殆ど初めてに近いハンドルは、扱いにくかった。慣れていないだけなのだが、三ヶ月間、無駄に寝かせてあった車は、露伴に対して拗ねてでもいるかのようで、時々蹴りつけたくなる。
商店街の近くまで出たところで、露伴は少し迷った。
この町で、露伴の目に適うようなインテリアがあるはずはない。ろくに確かめもせずにそう判断するのはただの偏見でしかないが、おそらく実際に店を訪れても結果は同じだと思われた。
車を出したのだから、どこまででも行ける。
さすがに国外から取り寄せなければならないような家具だけは、今すぐには手配できない。それ以外の、さほどこだわりのない物ならば、適当に捜し回れば見つかるだろう。
そう思って車を発進させようとした時、信号を無視して目の前に飛び込んで来た馬鹿者がいた。
バイクに跨っているのは高校生だ。服装は学生服ではなかったが。
いや、もしかしたら学ランなのかもしれない。露伴はそう思って凝視したが、改造しすぎとも言えるその怪しい上着は、原型を全く留めていないため、学生服なのかそうでないのか、よくわからない。
改造といえば、そのバイクもそうだ。
どこから見ても、暴走族仕様。変にチャラチャラした服装とは裏腹な気合いの入り方だ。
露伴に急ブレーキをかけさせておきながら、謝ろうともせず、無言のままこちらを見つめている。
こういう時の謝罪というのは、強制してさせるものではない。
大抵の場合、露伴の眼光に危険な物を察知した相手側が、その空気に飲まれる形で頭を下げる。ので、特に催促はしない。ただ睨みつけるだけだ。
しばし、無言の睨み合いが続く。
その間、露伴は相手を観察する。
ヘルメットをしていないので、相手の顔も十分によくわかる。
こんな田舎町にしては珍しい、目鼻立ちの整った少年。
やけに自信ありげな顔だ。事故を起こさなかったことに対してか?
いや違う。
そういうことでの自信ではない。
根本的な自分に対する自信だ。しかもあの意図的な顔の角度。
露伴からどう見えるかを考えた上で、小首を傾げたような、やや斜めにこちらへ視線を流すあのやり方。
……あいつ、顔に自信があるんだ。
自信というより自慢というか、あれは……。
十中八九、ナルシストだ。ナルシスト特有の目付きをしている。
多分今も、露伴と自分とどっちがどう悪いかということなど少しも考えていないはずだ。あいつの頭にあるのは、今自分がちゃんと美しく見えているかどうかということだけだ。
そういう目付きだ。
相手にするだけ時間が無駄になるかもしれない。
露伴は構わず行き過ぎたかったのだが、道路の真ん中を塞ぐ形でまだその男がいるため、動くに動けない。
仕方なく、クラクションを鳴らしてみる。
それでもまだ反応しない。
何だ?
何がしたいんだ、こいつは。
ナルシストの頭の中など、考えても理解できるはずがない。
わかっていても、露伴はつい想像してしまう。
露伴を行かせない理由はきっと、何か不満があるからだ。露伴が何か、彼に対してすべきことをしていないからだ。
しかしそれがよくわからない。
ただこうやって視線を交わし合っているだけで、それで何か足りない物が発生するのか?
しばし考えた後、露伴はなんとなく嫌な予感がした。
高校生の男子がナルシストだということだけで既に不毛だというのに、本当にそんなことを望んでいるのだとしたら、こいつは根っからの変態だ。
だが他に考えられない。
まさか。
「……こいつ。この僕が、あいつの顔を見て感嘆するのを待っているのか……?」
当たっているような気がする。
が、当たっていてほしくない。気持ちが悪い。
かといって、このままではいつまで経っても動けない。
露伴は早く家具を選びたいのだ。早く仕事部屋を、元通りの居心地の良い空間に戻したいのだ。
露伴の方から折れることなど、滅多にない。
だが相手が異常者となると話は別だ。
露伴は徐にシートベルトを外し、車外に出た。
そしてバイクの高校生に近付き、その顔を正面から凝視する。
「君、もうわかったから、そこをどきたまえ」
「わかったって、何が?」
妙な流し目をするな。
露伴は怒鳴りつけたい衝動を抑え、わざとゆっくりと話す。
「褒めてほしいなら褒めてやる。ああ、君はいい顔をしているさ、自慢に思って当然だ。僕もそれくらいの審美眼はある。よくわかるから、早くどけてくれ」
「へえ……どのくらい美しいと思う? どのくらい?」
食いついてきた。
やはりナルシストなんだ。
「言ってくれよ、どのくらい?」
妙な目付きで見られていると、こちらまで感染しそうだ。ナルシストに影響されました、なんて冗談じゃない。
「どれくらい美しい?」
悪寒が走った。
血の気が一気に引いて行く。
露伴はその瞬間、今まで辛抱強くしていた自分に対して「よく耐えた」と呟いた。そして直後。
「面の皮一枚の話でいつまでも道を占領するな! どけと言ったらどけ! 僕は忙しいんだ! くだらん貴様の顔にいつまでも関わっていられるか!」
言い足りない。
こんなものでは足りない。
「そんな薄気味悪い目付きで人を見るな! 無礼者! 僕まで移りそうだ!」
本当に気分が悪くなってきた。
「できることなら、二度とその面を拝まずにいたいものだ! どけ! そして僕の前に現れるな!」
途中から無茶な要求を突き付け始めていたが、相手もあまりわかっていないようだった。
今会ったのも偶然なら、今後どこかで会ってしまう偶然もある。露伴がどこの誰かも知らないのに、露伴に会わないように避けて歩くなど不可能だ。
「どけ!」
露伴は相手のバイクに手を伸ばすと、勝手に動かして歩道まで寄せ、できるだけ相手の顔を見ないようにしながら自分の車に戻ると、そのまま発進した。
取り残された少年は、忌々しげにそれを見送り、そっと自分の顔を撫でた。
すっかり気分を害された。
家具を買いに行くのは明日にしよう。
「気持ち悪い……」
露伴は途中の道でUターンし、メーターや標識を無視して加速し、自宅へと引き返した。
早く帰って、この一件は忘れよう。
露伴の過剰なまでの自信も、あのナルシストにどこか通じるものがあるように思えて、尚更憎らしい。
違うぞ。
僕は違うぞ。
僕はあんな気味の悪い存在じゃないぞ。
必死に言い聞かせ、露伴は更に加速する。
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