救急車が来ているということは、誰かが呼んだのだろう。
頭に血の上った仗助ではない。それだけは間違いない。
壊れた机の下敷きになった状態で、露伴は首だけ巡らせて周囲を見た。
折角整えた仕事部屋が滅茶苦茶だ。
ちょっとやそっとでは壊れない家具だったのに、目も当てられない。
資料や原稿は、辛うじて無事のようだ。四散した紙の束が見える。これから入って来る人間達に踏み荒らされなければいいが。
億泰も康一も既にいない。
家の前に救急車が止まった。康一が気を利かせてくれたのだろうか。それとも、近所の住人が不審に思って通報したのか。
どちらにせよ、早くここから出たかったので、露伴は誰かが上がって来るのをおとなしく待った。
本当はあまり入り込んでほしくないのだが、自力でどうにかできるような状況ではない。ここは譲歩しよう。
右手のすぐそばにあるスケッチブックには、あの騒動の中で書き留めた仗助のエピソード。
あの変な頭と結びつけて考えるには少々抵抗のあるような、お涙頂戴話だった。
耳にした瞬間、「使える」と直感した。
不良の変な頭へのこだわりと、人情話。その意外性は、いつか必ず使える。露伴の手に掛かれば、その笑うに笑えない話も、読者の度肝を抜く演出へと変身する。
咄嗟にペンを走らせてしまったが、これは漫画絡みで夢中になると前後を忘れてしまう癖のせいだ。無理に身体を動かしたせいで、余計に傷が広がったようだった。
しかしそれでも、露伴の命に別状はない。
体中が信じられない程痛むが、生きている。ペンを持った時に気づいたが、右手はしばらくはまともに動かせないかもしれない。全身傷だらけになっていることを考えると、明日の仕事は中止だ。悪ければ一ヶ月程度は休載か。
しかし、それだけの甲斐はあった。
スタンドで殴られるなど、誰でもできる経験ではない。普通の人間の素手の力とは比べものにならない。
体を張って良かった。身を以て確かめなければわからないことまで自分は知った。本当に良かった。
救急隊員は、見た目よりも随分元気そうな怪我人相手に苦労していた。
「絶対に踏むんじゃないぞ! そこのデカイ奴! 右足の横の三枚と、後ろの一枚をまとめておけ! 違う! その左側の方の原稿だ! 今触った方はそっちのチビに渡せ!」
未だに机の下敷きになったままでありながら、床から指示を出してくる。
自分を救出することよりも、部屋に散乱した紙の束を救うことの方を優先しろと言われ、しぶしぶ片付け始めたのだが、物によって何か違いがあるようで、細かく指定され檄が飛ぶ。
そんなものは後から自分でしてほしいのだが、彼の身体に近付こうとすれば「そんなことは後でいい! 早く原稿を拾え!」と拒否される。
しかし意識ははっきりしていても、あの怪我は普通ではない。怪獣でも暴れ回ったかのような部屋の荒らされ様と、猛獣に蹴られたかのような傷。
早く家具の残骸から救い出して病院へ運び込みたい。
怪我の程度がどうというよりも、この不条理な命令に従い続ける現状から早く逃れたいという気持ちの方が勝りつつあった。
あらかた掃除も終わった頃になり、漸く露伴は机の下から脱出した。
病院へ向かう前に、一度部屋の中を見回す。
壊れた物は仕方がないとして、それ以外は綺麗に片付いている。部屋中に散った原稿もほぼ無事に揃えられた。
その作業をさせられ、少々疲れた顔をした人間達の労をねぎらうこともせず、露伴は彼等を促した。
早く手当を済ませてもらい、ここに戻って来なければならない。早くあの体験を描かなければ。
救急車の中で、露伴は今後について考え始める。
これでいい。
これで、道はできた。
後はタイミングの問題だ。
あの高校生達は、きっとあっさり露伴を許し、迎え入れるだろう。仲間として。
仲間。
気持ち悪い言葉だ。
しかし、彼等の中に加われば、今回の一件以上の体験を積み重ねられるのだ。
良い漫画を描くためなら、仲間ごっこだろうが友情ごっこだろうが、何だってやってやるさ。
不意にまた、仗助の髪形エピソードが頭の中に浮かぶ。
雪の中。不良の少年。ズタズタになった学ラン。走り去る車の轍。
いい場面だ。気に入った。
今露伴の立ち位置も、その轍と同じだ。
道はつけられた。
後は用意されたその跡を辿って、予定通りにスタンド使いの仲間になってやればいい。
本当に、杜王町に来て良かった。
揺られる車内で、露伴は、怪我が治った後、最初に起こすべき行動を思う。
まず康一だ。
あの小柄な少年に、親しげに接近することから始めよう。
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