八時二十三分
愛車の中で露伴は待機していた。
川尻の家からぶどうヶ丘校までの道を考えると、ここを通るはずだった。
「そろそろ来てもいいはずなんだが……」
写真とミラーを交互に見ながら、露伴はじきに通りかかる川尻早人の姿を探す。
それよりも。
約束の時間十分前になっても、誰も現れないというのはどういうことだ。
クソったれ仗助とアホの億泰のコンビが遅刻する、そういうことになっても驚きはしない。が、康一までもがまだ姿を見せない。
空条承太郎は時間に正確そうに見えたんだが。
いや、仗助と血が繋がっているのだから、案外ずぼらなところがあるのかもしれない。
川尻早人か、康一か。どちらが先に来てくれるのか。
朝は苦手だ。
早起きの習慣を持たない露伴としては、さっさと終わらせて帰りたいのだが。
考えてみれば、何も朝でなくても良かったはずだ。下校時刻に合わせる、という手もあったのだが、どういうわけか気が急いてしまった。
別に、あの小娘の顔をしたおばさんのためじゃない。
いつまで経っても“露伴ちゃん”と呼び続けるあの小娘。彼女の為なんかじゃない。
八時二十四分
外の空気が吸いたくなった。
車外に出、露伴は通りの先を見据えた。
まだ、誰も来ない。
「別の道を行ったのかな」
小学生ってやつは気紛れだ。探検半分、様々な道を行きたがる。
大人が思いつきもしないような自分だけの裏道を、こっそり持っていたりするものだ。場合によっては他人の家の庭さえも横切って行く。
ここを通ると思い込んでいたが、外れたか?
その場合はどうしたものか。
勝手に一人でここを離れるわけにはいかないだろう。全員揃ったところで、小学校へ向かえばいい。
そこまで考えて、路上に停めた車を振り返った。
四人。
四人来るが、乗れないことはない。後部に三人となると、体格の関係上、康一は当然そちらだ。助手席は康一が良かったのだが、仕方がない。譲歩して、空条承太郎でいい。仗助や億泰に隣にいられると、ハンドルを切り間違えそうだ。
突然、雨が降り始めた。
「予感的中だな。だが、まあ……傘が必要な程ではないか……」
八時二十七分
凄まじい音が響く。
見上げると、ペプシの看板に雷が落ちたところだった。
しまった。
いい瞬間だったのに、ちらっとしか見えなかった。
雨の中だったので、スケッチブックは車内に置いたままだ。
目の前で落雷に遭ったことはまだ無かっただけに、貴重な瞬間を捉え損なった。
もう一回、近くに落ちて来ないかな?
雷。
そういえば、雷が鳴っている時に腹を出していると臍を取られると、子供に指摘されたことがあったな。
幸か不幸か、今日の服装もまた似たような物だった。
さすがに今日は、「お臍取られちゃうよ」と騒ぐ子供は近くにはいない。
そんなことを考えてしまい、知らず露伴は苦笑する。
露伴にしては、雷に対する発想があまりに幼稚だったので。
“臍を取る雷神”などよりも、“雨を降らせる竜神”の方がまだ神秘的な連想だ。
空を駆ける長大な姿。雨雲の陰に見え隠れする巨大な眼。
いいかもしれない。
今度、そのイメージで雷を描いてみよう。
雷鳴はその咆哮。
空に浮かぶ稲妻はその爪によって付けられた傷。
そして、その牙は。
八時二十九分
背中から後頭部にかけて、三度衝撃があった。
「なっ……!?」
何が起きたのか、全身が激しく震えた。
重く感じる肩を無理に動かし、衝撃のあった箇所に触れる。
穴が穿たれていた。大きな、穴が。
ぬるりと指が滑った。
鼓動が背中から聞こえるようだった。
立っているのがやっとだ。
混乱は、数秒で収まった。自尊心が動揺を許さなかったのかもしれない。
「……攻撃……?」
似ていた。
話に聞いていた、吉良吉影の手による爆発に。
馬鹿な。
僕はどこにも触っちゃいないぞ。
ただここに立っていた。ただそれだけだ。
辻彩を殺した後、完全に沈黙していたはずの吉良。それがどうして、ここで露伴にこんな真似をしなければならないのか。
今ここで露伴を攻撃しなければならない理由。そんなものがあるとすれば。
「まさか……川尻浩作、なのか……?」
仮にそうだったとしても。
ここでされがままになっているわけにはいかない。
なんとかしなければ。
こんなところで。こんなことで。
殺されるわけにはいかない。
露伴にはまだ、描かなければならない作品が幾つもある。
この事件の顛末だって、しっかり見届けたい。
康一くんがいつかヒーローになる姿だって、まだ見ていないんだ。
まだまだ足りない。
もっともっと、見たいものがあるというのに。
「どう……して、あいつら……来ない、んだ……?」
遅刻する馬鹿がいるから、露伴が危険に晒されてしまった。
絶対に、仗助は寝坊しているだろうし、どいつもこいつも呑気すぎる。時間通りに来てくれないと、こういうことになったりするんだ。
「嫌だぞ……僕は嫌だぞ……」
こんな形で、人知れず消えるのは御免だ!
八時三十分
雨がこんなに降っているというのに、少しも冷たく感じない。
雷。
竜。
咆哮は雷鳴。
爪は稲光に。
そしてその牙は。
露伴の内側で起こり始める次の爆発。その予兆が、確かに今、この身体の中を走り抜けて行った。
正体不明の生物に噛みつかれたような気分だった。
その謎の牙の感触を、露伴は全身で感じ取る。
嫌だ、嫌だ。
こんな形で死にたくない……!
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