仗助を外に吹き飛ばした後、辛うじて露伴の意識はまだあった。
もう立ち上がることも、指先一本動かすこともできなかったが。
厄介なスタンドは仗助を追って行ったらしく、トンネル内に作られたこの部屋は静まり返っている。
もしかしたら、今度こそ死ぬかもしれないと感じていた。
養分を抜き取られる。それがどういうことなのか、露伴は今まであまり深く考えたことはなかった。
体力の全てを奪われ、今では一呼吸することさえ苦痛だった。
壁に預けた背中が、その硬い感触で呼吸の妨げになる。
それでもなんとか前を見据え、露伴は肩で息をした。
ハイウェイ・スターは戻って来ない。
ということは、今のところまだ、仗助は逃げ続けているのだ。
少なくとも、これで最悪の事態は免れたというわけだ。
仗助が入って来たあの時、露伴は咄嗟にこのまま二人共にやられた後のことを考えた。
この岸辺露伴ともあろう者が、よりにもよって高校生を巻き添えにするという不名誉な死に方をするわけにはいかない。
元はといえば、ここに気づいたのも露伴で、勝手に入り込んだのも露伴、結果的には一緒に入らなかったにしろ仗助を誘ったのも露伴、トンネルの前にいた仗助が中に入らざるを得なくなったのも露伴のせいだ。
一人で死ぬならまだしも、仗助を道連れにしては、とんでもない悪評だけが残る。
それより何より。
露伴は今まで一人で生きて来た。他人と関わらず、一人きりの生活を楽しんで来た。その露伴が、よりにもよって、人生の最後に、赤の他人と仲良く死出の旅路。それはなんだか許せないものがある。
それよりも重大なことは、ここで一緒に死ぬのが、なぜあの仗助なのか。
露伴が一番嫌っているあのクソったれと、何が悲しくて手と手を取り合って死ななければならないのか。
だから、仗助を吹き飛ばした。
ここから遠ざけた。
瞬きの回数が増えた。
目を開けていられない。
もうこれ以上、余計なことを考えるのは止めたかった。
だが、今自分に可能な唯一のことは思考することのみ。それすらも止めてしまったら、いよいよ生命活動が停止するような気がして、露伴はまた何かを考えようとした。
もしここから生きて出られるようなことがあれば、さっき考えた理由を口にしよう。
そう言えば、きっと皆が納得してくれるだろう。
『なぜ仗助を助けたのか?』
決まっている。あいつと心中するのだけは御免だったからだ。
……そう、言おう。
それが一番、露伴らしいじゃないか。
漫画家だからといって、馬鹿にされては困るが、これでも多少は体力に自信がある。
この商売は、気力と体力の持続が必須要件なのだから。
少しくらい養分を抜かれても、まだ大丈夫。
このまま放っておかれると、さすがに駄目かもしれないが……。
死ぬ時は走馬燈のように記憶が駈け巡るはずじゃなかったのか。
何も思い出さないぞ。
どうせなら、四歳の頃でも思い出したかったところだが。
露伴は目を伏せ、呼吸することに専念した。
吐き出す息が詰まりそうだ。
二、三回深く息を吸い込み、再び目を開いた。
車は走っている。
誰も、この部屋には気づいていない。
もし今死んでも、見知らぬ運転手に見られないだけ、まだましか。
今死んだら。
今、死んでしまったら。
まだ描いていない作品のストックが、この頭の中にある。
構想だけ出来ている作品が。
この露伴の頭の中にしまい込んであるこの作品は、露伴が死んでしまったら何処へ行くのだろう。
永久に消え去ってしまう、幻の作品だ。
ヘブンズ・ドアーを持っているのが、自分ではない誰か別の人間だったら。
露伴の記憶から、その作品を読み取ることができるだろうに。
いや、それより、ヘブンズ・ドアーは、死体でも読めるのだったか。多分、読めないような気がする。まだ試したことはないが。
だとしたら、この露伴の死体から、未発表の作品を取り出す術はないのか?
そう。
メモリーカード。
そんな何かの媒体として、他人の記憶を取り出せたら。
死体だろうが生きている人間だろうが、それを抜き取ることができたら。
そんなことが可能ならば、露伴はもういつ死んでもいいのだが。
残念ながら、そんな馬鹿げたことのできる人間は何処にもいない。
露伴のメモリーは、露伴だけのもの。
他人の記憶を読む力も、露伴だけのもの。その露伴がいなくなれば、もう誰も、露伴の記憶を読むことはできない。
ならば。
まだ死ぬわけにはいかないような気がする。
まだ、やり残したことがたくさんある。
今週の仕事だってまだ途中だ。
来週から、いよいよあの連載もクライマックスに突入する予定なのに。ここから怒濤の展開が待っているというのに。読者は手に汗握りながら、毎週毎週露伴の漫画を待っている。
まだ描きたい作品があるというのに。
相変わらず、走馬燈は駈け巡らない。
ということは、まだ自分は死なないのかもしれない。
どちらでもいい。
死ぬのなら死ぬで、仕方がない。だったら早くしてほしい。
生きるのなら、それはそれでいいから、とにかく早く。
このどっちつかずの状態から、早く開放してほしい。
しかも、露伴の生死を握っているのは、あの仗助なのだ。
成り行きで仗助に運命を任せることになってしまったのは少々気に食わないが、贅沢は言っていられない。
どちらでもいい。
早く決めてくれ。
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