「貴様ら、いつまでいるつもりだ?」
露伴のあからさまな対応など、まるで気づいていないかのような高校生達の態度に、半ば諦めかけていた。
溜め息交じりにそう尋ねてみる。
まだ日は高いが、夏のこの夜、既に六時を回っている。
「先生、晩飯どうすんの?」
「どうせだからよー、一緒に食おうぜ」
この厚かましい連中は、露伴に嫌われていることなど全く頓着していないのか。それとも露伴が嫌がるようなことを敢えてしようとしているのか。
それ以前に、晩飯がどうこう言いながらも、一向に動く気配がない。まさか露伴の家で食べて帰るつもりか。
「……どこで何を食べるのか聞いてもいいかね?」
「出前でも取る?」
返された質問を前に、露伴が返答に詰まる。
どうあってもここで食べる気だ。何がなんでも、この家で夕食を摂るつもりだ。
いや、それどころか、こいつらに金を払う意志があるとは思えない。なし崩しに露伴にたかろうとしている。
それにしても、と露伴は思う。
先刻からの、この連中の不気味な笑顔。何か企んでいるとしか思えない。口裏を合わせて、露伴に何かしようとしているとしか思えない。
どういうつもりだ?
数時間前。
昼休みの教室で、億泰がぽつりと呟いた。
「みんなで食う飯って、やっぱり美味いよなー」
「……?」
唐突な発言に、仗助はぽかんとしていたが、康一は気になって促した。
「俺、晩飯は一人みたいなもんなんだよー。親父はいるけどよ、家族で仲良く飯食ってるって感じじゃねーし……兄貴がいた頃は、結構楽しかったんだけどな……」
コンビニから買って来た弁当を突きながら、億泰は溜め息をついた。
「そうだよね……。あ、そういえば露伴先生も一人だけど、やっぱり寂しいのかな?」
独り暮らしの若い男、といえば露伴だ。
「まさかだろ。あいつだけは絶対にないぜ」
「そんなことないよ! 露伴先生、実は寂しい人かもしれないよ!」
「……友達いなさそーだしな」
普段から何かと構われがちな康一としては、露伴をあまり奇人だとは思いたくない。ただでさえ付き合いづらい相手なのだから。
そして昼食を終える頃には、出来うる限り大勢で、寂しい露伴のための夕食会をしよう、という結論に達した。
それを由花子に伝えに行く途中、廊下ですれ違った闢cにも、康一は声をかけてしまった。
「折角だから鮨にしようぜ」
「中華の方が見た目が派手じゃないか?」
勝手に盛り上がる高校生とは少し離れた椅子に腰を下ろし、露伴はその賑やかな集団を観察していた。
確か、夕方現れた時は、勉強会だと言っていた。
しかしそれにしては、彼等の持ち込んだ参考書の類が少なすぎる。テーブルに教科書を乗せ、それらしく形は作っているものの、実際には開こうともしない。
無駄話に花を咲かせ、時間を引き延ばしているのではないかと疑いたくなるような、妙なぎこちなさ。
康一や仗助が、時々ちらりと時計に目を遣る姿も気になっていたのだ。そしてその二人の目配せで、慌てて新しい話題を振り始める億泰や闢cのわざとらしさ。
更には、六時を回ったところで、タイミングを見計らったかのような夕食の話。その話題が出た途端、まるで安堵したかのように、一気に盛り上がった。
先程までの不自然さはどこへやら、今は嬉々として何を頼むかを真剣に話し合っている。
どう考えても、ここで夕飯を食べるために長々居座っていたに違いないのだ。
食事がしたい、ということはわかった。
だが、何故それが“ここで”なのかがわからない。
広い家が良い、というのは嘘だ。それは間違いない。
なぜなら、不気味な屋敷ではあるが、億泰の家も十分に部屋は余っているからだ。この程度の人数を収容するのに不都合はない。
やはり金か?
タダ飯を食らうために、ここを選んだのか?
しかし、そう結論付けるのは早計だ。
露伴がそんなに慈愛溢れる人間ではないことは、彼等が一番良く知っているはずだった。成り行きで支払いを済ませてくれるほど、露伴は親切ではない。
それとも、露伴が払わざるを得なくなるような、良い作戦でも用意してあるのだろうか。
その時、騒がしい高校生の中の一人が、用足しに立つ振りをして離れたのだが、露伴はそれに気づかなかった。
「露伴先生、王王軒の餃子食べたことありますか?」
突然、康一から声を掛けられた。
見下ろした彼の顔に浮かんでいるのは、怪しんでくださいと言わんばかりの作り笑い。
「……まだないが」
「美味しいんですよ。温かいうちなら、十個でも二十個でも食べられちゃいますから、試してみませんか?」
ということは、彼等の意見は中華で一致したのか。
「僕は結構だ。だったら出前よりも、直接店に行った方がいいんじゃないのかい?」
「だめだめ! ああいうところに行くと、なんかついいっぱい注文しちゃって、残しちゃうんですよー。なんか申し訳ないなーって気になるんで、だめですよ」
「テイクアウトにすればいいだろ?」
「だったら、持って来てもらった方が楽ですよー。あ、でも僕電話番号知らないなー。露伴先生、電話帳どこですかー?」
後半は、棒読みだった。
それは一体何の台詞なんだ、と問いたかったが、何か企みがあるのなら、もう少し様子を見てもいいだろう。
「ああ、二階だよ。持って来よう」
「いえ! 僕も一緒に行きます!」
珍しく強引に、康一が露伴の腕を掴んで歩き出す。
なんだ?
ここから遠ざけたいのか?
よくわからないが、露伴は康一と共に二階へ上がった。
王王軒の電話番号などすぐにわかる。
が、康一は何かと理由をつけて露伴を仕事部屋から出さないようにしていた。
下手な演技だったが、必死になっている姿を見ているのは面白い。意地の悪い質問を繰り返して虐めたが、それでも露伴は押し切って部屋から出ることだけはしなかった。康一との問答を繰り返しているのも悪くなかったので。
二十分以上は引き留められただろう。
誰かが二階に上がって来る足音。そして仕事部屋の前で軽いノック。
それを聞いた康一の顔が急に明るくなった。今の今まで冷や汗をかいていたというのに。
どうやら今のが合図らしい。
「露伴先生、そろそろ下に戻りましょうか!」
まったく、どういうつもりなのか。
康一の後に続いて戻った部屋では、意外なものが待ち受けていた。
テーブルに並べられているのは、人数分の料理。六人。露伴を含む全員だ。
が、露伴を絶句させたのは、既に料理が並べられているとかそういうことではない。
どう見ても、出前ではない。
食器は露伴の見慣れた物ばかり。
使いもしないのに沢山ある、露伴の家の物だ。
そこに盛りつけられているのも、この中の誰かが作ったらしい料理ばかり。
露伴の注意を逸らせておいて、勝手にキッチンを使って作ったのだろう。
おかしい。
露伴は一銭も使っていない。
この家にある材料では作れないはずの物もあるところを見ると、こっそり買って持ち込んだのだろうが、だとしたら尚更、露伴の懐は痛んでいない。
わけがわからずにいる露伴に、康一はテーブルに着くように促す。
「………」
湯気の立ち上る皿には、微妙な焼き加減のオムライス。技術的な問題だけ言わせてもらえれば、あまり上手くはない。
「やっぱり、皆で食べる晩飯は違うよなー」
スプーンを手にした億泰のその一言を聞いた瞬間、なんとなく、彼等の目的がわかったような気がした。
ただ、あまりに信じがたい内容ではあったが。
だから露伴は、これ以上そのことを追求するのをやめた。
この想像が当たっていたら。
当たっていたら、自分はどう対処すればいいだろう。
ありがた迷惑。そういう言葉が浮かんで来たが、それ以前に、こんな気の遣われ方をされたのは初めての経験だったので、それはそれで新鮮ではある。
「この前、鈴美さんに聞いたんですよ。露伴先生はオムライスが大好物だって」
得意げにそう語る康一の目が、純粋過ぎたせいだろうか。
露伴は「それは僕が幾つの時の話なんだ?」と問うために開きかけた口を閉ざしてしまった。
そんな昔のことは覚えていない。オムライスが大好物だったことなど、露伴が覚えている限りでは一度としてない。
それでも彼女がそう言ったのなら、きっと自分にも、オムライスが大好物だった時代があったのだろう。
表面的には不機嫌な表情を崩さぬまま、露伴はスプーンに手を伸ばした。
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