珍しい郵便配達人がやって来た。
 一通の手紙を携えた配達人は、康一の顔をしていた。


「なんだね、これは?」
 女性の文字で『露伴先生へ』と書かれた宛名を見た後、露伴は玄関先で康一に問う。
「ファンレター……かな? いえどっちかって言うと、もっと熱烈な方の手紙かもしれないんですけどぉー……」
 裏返すと、差出人は康一の姉になっていた。
 先日康一とデパートに行った時に顔を会わせたが、後にも先にもあれ一度きりだったため、露伴は康一の姉のことをよく知らない。
「頼まれたんですよ、これを先生に直接渡してくれって。“絶対に直接”って念を押されちゃったんで、こうやって届けに来たんですよ」
 その、直接、というところに妙に力が籠もっていた。
 だが、手紙など貰い慣れている露伴は、さして気にせず受け取る。
「今回は康一くんの顔を立てて貰っておくが、次からは、ファンレターは編集部宛に出すように伝えてくれ」
 ファンは全て等しく、平等に扱わなくてはならない。
「いえ、その……多分、ファンレターじゃないかも……?」
 露伴の通常の交友関係の狭さでは、手紙の遣り取りをするような友人はおろか、年賀状さえも殆ど届かない。手紙といえば、それは一般の読者からの物だけ、という生活を送っている。
 個人的なお付き合いを申し込むための、愛を綴った手紙。露伴の頭の中にはそういった物であるという可能性は全く浮かんでいない。
 家族といえども、手紙の内容を知るわけにはいかない。康一は何が書いてあるのか知らないまでも、おおよその見当はつけていた。
 絶対これ、ラブレターだよ……。
 ただ問題は、露伴がそんな物を喜んで受け取ってくれるかどうか。
 露伴はきっと、ただの熱狂的なファンの戯言として読み流してしまうだろう。
 個人的に真剣な気持ちなんだということを露伴に伝えるのが康一の役目だ。康一本人はそう解釈していたので、中を見る前にここでちゃんと露伴に解らせておく必要があった。
 が、どうしても、「これはラブレターで、姉の真剣な気持ちです」と直接的な言い方をすることができない。
 嫌な役目を引き受けちゃったなあ。
 玄関先に立ったまま、康一は困惑していた。


「あっあの……僕、前から一度先生に聞こうと思ってたんですけどっ」
「何だね?」
 少し遠回しに攻めてみよう。康一は別の方向からのアプローチを開始する。
「先生は今、特定の女性とお付き合いがあるんでしょうか?」
「………」
 そんなことを聞いてどうするんだ、という顔をされ、康一は必死に言葉を紡ぐ。
「いえっ、あの……もしですよ? もしいないんだったら、その……誰かと付き合ってもいいっていうのは、その……あの、誰かが交際申し込んだりした場合ですねー……先生はそれを受けてくれるのかなあって……」
 ああもう何言ってんだ、支離滅裂だよ。緊張のあまり、うまく言えない。涙が浮かんで来そうなくらい、康一は混乱していた。
「そんな面倒なもの、僕はいらないね」
 あっさりと断られた。だが、勝負はここからだ。
「そうでしょうか!? 特定の女性と付き合うのって、先生の作品のリアリティに凄く大事なんじゃないですか……? 何事も経験しておいた方が……」
「生憎だが、その程度のことなら既に充分なサンプルは摂ってある。もう必要ないんだ」
 その言葉に、康一は思わず顔を赤らめた。
 なんだかんだ言っても、この人、これでも二十歳の大人なんだから、色々と経験があってもおかしくないんだけど……。
 純真な高校一年生の康一にとって、露伴の“その程度”や“充分”という言い回しは、必要以上に淫靡に響いた。
 どの程度のことをしてきたんだろう、この人。これだけ好奇心旺盛な人が充分って言うくらいだから、僕なんか想像できないくらい凄いことして来たんだろうなあ。でももう立派な大人なんだから、何してようと勝手だし……。
 でもこれだけ人付き合いの苦手な人が、女性とうまく付き合えるわけがないよ。絶対我が儘言って引っ張り回して振られるのがオチだ。普通の二十歳と同じだと思っちゃだめだよなあ、きっと。だったら、充分っていうのは、本当にどの程度のことなんだよ? うわあ、気になって来た……。


 余計なことをどんどん考え始めた康一の複雑な表情をどう思ったか、露伴は不機嫌な顔になる。
「……まさかとは思うが、君のお姉さんは君に、僕との橋渡しを頼んだわけか?」
 先程からの不自然な話の流れに、露伴は一つの可能性をやっと思い浮かべたらしい。
「ええっ……! 違っ……いや、その……そうかもしれません……」
 慌てて否定しかけたものの、露伴の方から気づいてくれたのだからこれは好都合だ。
 康一は俯き加減に肯定した。
「なるほど。君は思っていた以上に姉想いなんだな。僕には兄弟がいないからよくわからないが」
 ずっと手にしたままの封筒を見遣り、露伴はしばし考えた後、家の中に入りかけ、一度康一を振り返る。
「ちょっとここで待っていたまえ。すぐ戻る」
「はあ……」
 まさか今すぐそれを読んで、返事を書いて持たせる気では?
 康一の予感は当たった。
 五分も経たないうちに露伴は真新しい封筒を手に戻って来た。
 しっかりと糊付けされた中には、確かに畳んだ便箋が入っているらしかった。
「読ませてもらったよ。これはその返信だ。これからも応援よろしくと伝えてくれ」
「はい……」
 それしか言わないということは、重要事項はこの封筒の中に記されているということだ。
 絶対、振られてる……物凄く冷たく断られてる……。
 盗み読みなどしなくてもわかる。露伴のことだ。けんもほろろな態度がそのまま書かれた手紙に決まっている。
「ありがとうございました……じゃあ、僕はこれで……」
 重くなった足取り。
 それでも大事な手紙はしっかりと鞄の中に収める。なんだか鞄が重く感じられる。


 康一が背を向けた途端に閉ざされた扉をもう一度振り返る。もう露伴の姿はない。
「はぁ……本当、嫌な役目引き受けちゃったなあ……」
 なんだか間抜けな伝書鳩の役割を任されてしまい、康一は溜め息と共に自宅へ向かった。

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