「おーい、露伴くん。あ……赤ちゃん見なかったのォー」
「や……やばい」
大柳賢は、一気に血の気が引いて行くのを感じていた。
どう考えても、これは自分のせいでしかない。
赤ちゃんを露伴から取り上げたのは自分で、ジャンケンに夢中になって赤ちゃんのことを完璧に失念してしまったのもやはり自分で。
絶対、怒られる。
露伴先生と、このおじいさんと、不良っぽい高校生。三人に思い切り叱られる。
言い訳一つできない状況に、今日少しだけ大人になった小学生は完全に参っていた。
露伴から赤ちゃんを奪って、ボーイ・U・マンが両手に掲げて、それで……。
必死に思い出そうとしたが、そこから先が全くわからない。綺麗に忘れてしまっている。
ジャンケンする時にはもう手の中にはいなかったような気がする。
いつ離したんだっけ?
直前に何処か適当な地面に転がしたような気もする。
でもどこに置いたんだったか……。
どうしていいのかわからない。
露伴もまた、誰に責任があるのかを考えていた。
最終的に見失ったのはこの小僧だ。露伴がちゃんと保護していたのに、無理矢理攫って行ったのもこいつだ。
が。
元を糺せば、勝手にジョセフの腕から連れ出した露伴が悪いに決まっている。
しかし、露伴は自分に非があるからといって素直に謝る人間ではない。
仮にもこの岸辺露伴が、無断ではあるにしろ、人様から預かった子供から目を離してしまい、なおかつ今現在どこにいるのか見当もつかない、という状況に陥っているなど、そんな無様な告白をしていいはずがない。
幸い、この二人の保護者は何も気づいていない。このまま誤魔化せる。
あとは、この小僧が余計なことを言い出さないよう祈るだけだ。
おろおろするしかない賢は、縋るような気持ちで露伴を仰ぎ見た。
やっぱり早めに謝っておこうかな、と思ったのだが。
「この辺りで見失ったんですか? それにしても、どうやってジョースターさんの手から……?」
賢が何か言うよりも先に、露伴が白々しい質問を開始した。
けして鈍いわけではない賢の頭は、露伴がどういう立場を取ろうとしているのか、すぐに察した。
……露伴先生って、本当にずるい人なんだ……。
しかしこれは賢にとっても悪い話ではない。
これで賢は叱られずに済む。
口先だけは涼しげな露伴も、眼差しは真剣に道路をまさぐっている。賢もそれに倣い、屈み込んで手を伸ばし始めた。
とにかく、見つければそれで全部解決だ。
妙に必死な露伴と少年の様子に、仗助は珍しい物を見たような気になっていた。
もちろん手は休めていないが、近距離で同じように這い回る人間の姿は嫌でも目につく。
露伴のような男でも、事が赤ん坊となると親身になってくれるのかと思うと、今までとは見る目が変わって来そうだ。
漫画家だし、子供相手の商売とも言えるのだから、もしかしたら意外に子供好きなのかもしれない。
それにこの小学生。赤の他人だというのにここまで協力してくれるとは。
仗助は露伴の漫画は読んだことがないのでよく知らないが、こんなボランティア精神に溢れた子供をファンに持っている辺り、実は露伴って奴は、思っていた以上に凄い漫画を描いているのかもしれない。
血眼になって赤ん坊を捜しているかのように見えた露伴だったが、仗助や賢が思っている程慈愛に溢れていたわけではない。
確かに赤ん坊は心配だ。透明になったままでは、まかり間違って車道に出たりしたら笑い事では済まされない。それどころか、この歩道だって安全ではないのだ。さっきこの小僧がまき散らしたガラスで怪我をするかもしれない。
だが、露伴が焦っているのは、そういう理由からではなかった。
この捜索が長引けば長引く程、この小僧が耐えられなくなって白状する可能性も高くなる。
そんなことをされたら、責められるのは小僧ではなくこの露伴だ。
別に仗助ごときに厭味を言われても気にはならないが、赤ん坊一人守れない最低野郎だとか、後先考えない無計画男だと思われるのは不愉快でしかない。
さっさと赤ん坊を見つけ、この二人がいなくなったところで、改めてこの小僧に口止めをする。もし小僧が良心の呵責を訴えるようであれば、無理矢理書き込めばいい。だが全ては、この二人の目の届かないところで行わなければ意味がない。
そもそも、この小僧が人に絡んでさえ来なければ、今こうやって地べたを這い蹲ることもなかったのだと思うと、余計に腹が立って来る。
やっぱりこいつのスタンド、使い物にならなくしてやろうか?
先程言ったことをもう撤回しようとする露伴だったが、それは全部終わった時の気分で考えることにした。今はそれどころではないので。
頼むから、赤ん坊が無事に見つかるまで、余計なことを言うなよ。
やはり今すぐにでも、この小僧に書き込みたい。その衝動をなんとか抑え、露伴は赤ん坊を手探りで捜し続ける。
額の汗を拭い、賢は一つ息を吐く。
疲れからのものではない。焦りがそうさせていた。
落ち着いて、じっくりと探せばきっとわかる。
そう言い聞かせ、賢は少しだけ顔を上げた。
そして三人の大人を見比べる。
多分、彼等は皆スタンド使いで、仲間なのだろう。
年齢もバラバラ。職業もバラバラ。でも仲間。
賢にとって仲間という概念は、同じ教室で毎日一緒に給食を食べる友達、去年まで入っていたリトルリーグの連中、今一緒にサッカーをやっている友達、この三つでしか理解していない。
全て、同じ歳か近い年代の人間しかいない。そして好みを同じくする者同士。
でも。
この三人のように、何一つ共通する部分のない人間達が、スタンド使い仲間という理由で親しく付き合っている。
年齢なんて、この人達の仲間には関係ないんだ。
たとえば、賢の身長では見上げることしかできない露伴も、スタンドという能力の前では等しく扱われる。さっきだって、小学生相手だというのに、あんなに真剣にジャンケンをしてくれた。
手の届かない、有名な漫画家。皆に尊敬される立派な人物。そんな人が、ただの小生意気な小学生でしかない自分を、一人のスタンド使いとして大人同様に扱ってくれた。
自分はまだまだ子供だけれど。
スタンド使いとしてなら、同等なら。
立ち位置が同じなら、今度はその手を取り合うことができるかもしれない。
こんな風に真っ向から対抗するのではなく、その横に立って、手と手を繋げたら……
気づけば、小僧は何か呆けた顔でこちらを眺めている。
「小僧! 休むな!」
指を突き付けると慌ててまた地面に目を落とした。
なんて飽きっぽい小僧なんだ。
まだ五分も経っていないのに、もう集中力が途切れているとは。
誰のせいでこの露伴がこんな労働を強いられていると思っているんだ、あいつは。
絶対に再起不能にしてやる。
ジャンケンなんかできないようにしてやるぞ。
それだけで済ませると思うな。
坊主にして野球チームに送り込んでやる。奥歯全部虫歯にして嫌いな歯医者に通わせて、食べ物は嫌いな物でも残せないようにしてやるぞ。
絶対に、書く。
全部書き込んでやる。
怒りを隠そうともしない露伴の、鬼気迫るその表情も、周囲の目には“赤ん坊が見つからず焦る露伴先生の真摯な姿”に映っていた。
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