手掛かりは殆どない。八方塞がりのこの状況。
 例の靴屋での一件も、吉良の屋敷での出来事も、露伴は後で聞かされた。
 別に参加できなかったことについて不満はない。どの道、ああいった連中と違って、拳を交えるという野蛮なやり方は向いていない。いてもいなくても大差はないだろうし、仮にいたとして大した役には立っていないはずだ。
 それよりも。
 別人に成り代わってしまった相手を見つけ出さなければならなくなったこの事実。
 おそらく、それが出来るのは自分だけだろう。姿は変えられても、精神や記憶は元のままだ。
 しかし、何故か誰も、露伴にそれを実行しろとは言わない。
 まさか、頼りにならないへなちょこだと思われているのか……?
 確かに常日頃、大切な物は漫画だけだと言い切ってはいるが、連中は露伴のことを、自分さえよければそれでいい、非協力的な男だと思い込んででもいるのだろうか。


 それでも普段と変わらず、露伴はスケッチブックを手に外に出た。
 吉良を捜すのも重要だが、露伴には露伴の仕事がある。個人的な事情で原稿を落とすわけにはいかない。それはそれ、これはこれで、どちらも均等にこなさなければ。
 カフェの前まで来た時、テーブルの一つに康一の姿を見つける。
 近づきかけて、隣に由花子が座っていることに気づいたが、露伴は遠慮しない。
 そのまま普通に店内へ入りかけた露伴だったが、誰かがその肩を掴んだ。
「誰だ、いきなり!?」
 声をかけるとか、他にもいろいろあるだろう。なんだって肩なんか鷲掴みにするんだ、無礼な奴。
 振り返った先にいたのは。
 こいつなら仕方がない。無礼なのは当然か。
 そこにいたのは、仗助と億泰のコンビだった。


「まずいっスよ、先生。あの二人、今、ナーバスになってんスから」
 承太郎に怪我をさせた、という事実は、もう既に無かったも同然だったが、それでも康一はまだ少し気に病んでいたので、由花子が慰めようとカフェに誘った。が、話の途中から、辻彩のことをどうして吉良が知っていたのかという点について不審を抱いていた由花子が、やはり自分が出入りしていたからではないかと落ち込み始めたので、今度は康一が宥める番になり、そして一時間近く経った今やっと、二人で和やかに午後のティータイムを楽しみ始めたところなのだ。
「状況はわかった。が、君達は、何かね? 一時間前からこの木陰で覗き見をしていたわけか?」
「やだなー覗きだなんて。見守ってたんスよ、俺達は」
「主観的な見方だけすれば、そうとも言えるが……僕から見ればただの覗きだよ」
 この時仗助は、怒鳴り出したいくらい腹が立っていた。
 てめえのこと棚に上げて何言ってんだ、この覗き見野郎。
 ヘブンズ・ドアーを使って普段何をやっているのか、露伴を知っている人間なら誰だって想像はつく。
 が、ここは堪えた。
 こんなところで騒げば、折角隠れて康一と由花子の様子を伺っているというのに、それがあっさり二人にばれてしまうからだ。
 木陰に露伴を引きずり込んだところで、億泰が何かに気づいたように手を打ち鳴らした。
「なぁ、吉良探すのって、露伴先生に一人ずつ本にしてもらえば簡単にわかんじゃねーの?」
「ばっ……!」
 慌てて億泰の口を塞いだ仗助だったが、手遅れだったようだ。
「……町中の人間のプライバシーが無くなるだろっ。んな真似させて、喜ぶの露伴だけだぜ?」
 だいたいそれは犯罪だ。
 億泰の耳にだけ聞こえるようにそっと囁いた。話しながらも露伴の様子を窺うと、今の提案を待ってましたとばかりの笑みを浮かべている。
 やべぇよ、こいつ。すげぇやりたそうだよ……。
 が、これはなんとか止めなければならない。
「でもほら、露伴先生のような人が、そんな効率の悪いことしないっスよねー。もっと調べて絞り込んでから、露伴先生が決定打をって、感じっスよ」
 康一のやり方をさんざん見ているので、露伴の対処の仕方はだいたいわかっている。うまく煽てれば機嫌を損なわずにうまく操作できるはずだ。
 ただ、仗助の口から褒め言葉が出ても、それを露伴が快く受けるかどうかが問題だったが。


「露伴先生はどーんと構えて待っててくださいよ、俺達が足使って地道にやりますから」
 突然へらへらし始めた仗助の態度に、どんな裏があるのかくらいはわかっている。
 つまりこの僕に、ヘブンズ・ドアーによる無差別攻撃をさせたくないんだな?
 プライバシープライバシーと言うが、露伴が誰にも漏らさなければ、何の問題も起こらないはずだ。それとも他人の生活に土足で踏み込むことそれ自体が道徳的にまずいと思っているからか?
「僕は別にいいんだが。ところで、足を使って地道に調べているのは、君達ではなく、あそこを歩いてるあの白鷺みたいな格好の人じゃないのか?」
「え?」
 シラサギって、何? という顔をする億泰共々、露伴が指差す方角を振り返った仗助は、そこに確かに白ずくめの大男を認める。
「……白鷺って、承太郎さんのことっスか……?」
「他にそれらしい人物が見えるかね?」
「見えないスけど……」
 褒め言葉のようにも聞こえるが、どんなに美しい比喩も、露伴の口から出るとにわかにはそうと信じがたい。実はさりげなくけなしているんじゃないか、と疑いたくなる。
 こちらの様子には全く気づいていないらしい承太郎は、そのまま通りを行き過ぎようとしていた。
 その姿をただ見送っていた露伴だったが、突然ぽつりと呟いた。
「なるほど。君達は学校があるから、使えるのは夕方の数時間。僕や彼のような人間は自由に時間を使えるな……いいだろう、町中の男を調べてやるよ」
「え?」
 ただ歩いていただけの承太郎。露伴が言うところによると『でかい白鷺』らしいが、それを見ていただけで、どうしてそんな決意を固められるのか。
「言っておくが、全員を手当たり次第に読むわけじゃないぞ。僕なりにある程度は絞らせてもらう」
 どんな方法で絞り込むのか、そこが一番重要かもしれないと仗助は思ったが、「まあ見ていろ」というあの顔では、多分それなりの結果が出るまでは教えてくれなそうだった。
「白鷺の日々の努力に感謝したまえ。彼の姿を見たから、僕は手伝ってやる気になったんだからな」
 二人には全く理解できない展開だった。
 なんでそういう結論になるんだ?
 二人の沈黙をどう受け取ったのか、露伴は楽しげに自宅の方へ引き揚げて行く。


 取り残された二人は、しばらく顔中に疑問符を浮かべていた。
 しかし、自主的に調べると言い出したことそれ自体は悪くない。
「あいつ実は、誰かに『調べてくれ』って頼まれるの待ってたんじゃねーの?」
「まさか……理由がなきゃ行動できねえなんて、あの露伴に限ってそんな謙虚な……」
 これ以上考えると、露伴に対し抱いているイメージが塗り替えられそうだ。『かわいげのある露伴』なんて、気持ち悪いだけだ。
「そんなことより億泰っ。康一だよ、康一。どうだ、二人は?」
「おっそうだ、忘れてたぜ」
 二人はくるりと向きを変え、再びカフェの康一と由花子の覗きに集中し始める。
 一方、妙な喩え方をされた承太郎は、何も気づくことなくホテルへと戻って行った。この白鷺云々については、仗助と億泰が二人共に、早く忘れたい出来事として処理したので、他へ漏れることはなかった。


 露伴は自宅へ戻る道を、いつもより足早に進んでいた。
 これでいい。
 これで、自分も必死に動き回れる。
 なぜそんなことを望んでいるのかについては、露伴は敢えて考えないようにしていたが、とにかく、これできっかけは作った。後は行動するだけだ。
 その方法についても、実は既にプランはできている。
 後は実際にカメラを持って、駅前で張るだけだ。
 フィルムはまだ余っていたかな。
 カメラの手入れはこの前済ませたばかりだ。ズームレンズは自宅の中に作った暗室に置いてある。
 後は、それを持って駅へ行くだけ。それだけでいい。

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