家の中に籠もる自由業は、曜日感覚を時々失う傾向にある。
露伴が近くの公園に着いた時、いつもとは違う賑わいに、一瞬何事かと躊躇した。
日曜の公園は、キャッチボールを楽しむ小学生や、ピクニック気分の家族連れに占拠されたも同然だった。
人気の無い静かな空間で、風の音だけを聞きながら構想を練る。
そんな目的を抱いていただけに、露伴は落胆を隠せない。
走り回る子供を眺めていると、無性に腹立たしくなって来る。
だいたい、このガキ共だって、毎週僕の漫画を読んでいるはずだ。それを楽しみに本屋に駆け込む奴だっているだろう。おまえらがここで邪魔をすることが、再来週の楽しみを無くすことに繋がるかもしれないなんて、これっぽっちも解っちゃいないんだろうがな。
徐々に、露伴はこの町に浸透し始めていた。
町を歩けば、数人が気軽に挨拶をして来る。「露伴先生、今週も面白かったですよ」「露伴先生、頑張ってくださいね」と。
虫の居所が悪い日は、あまりの馴れ馴れしさに嫌気がさす。機嫌の良い日であれば、握手でもサインでもしてやる。
田舎町だからかもしれない。町が一つの共同体であることを強く意識している。新たに加わった人間であっても、元々はここの出身だし、四ヶ月近くも経てば、もうすっかりと打ち解けているのかもしれない。
町の人々は露伴に親しみを感じていたかもしれない。
が、露伴の方はそうとも言い切れなかったが。
たまたま足許に転がって来たボール。
拾ってやるほど露伴は親切ではない。黙って転がるに任せていたのだが、遠くから子供が手を振って走って来る。
「すみませーん」
あれはどういうことなんだろうな。
僕に、拾ってそして投げてくれと言ってるわけか。
どうも子供ってやつは、厚かましくて困るな。
しかし露伴にとって子供は、今現在から将来にかけて、長く付き合ってもらわねばならない大切な読者だ。今は親にせがんで買ってもらっていても、いずれは自分の金で露伴の本を買う日が来る。
これもファンサービスだ。
仕方なく、露伴は屈み込んでボールを拾い上げた。
その時ふと、自分が子供だった頃のことを思い出した。
大抵の子供は少年野球かサッカーチームに入る。露伴が小学生だった頃も、クラスメートの大多数が所属していた。
今更言うまでもないことだが、露伴はそんなところに入りたいとは思わなかったので、少年達がスポーツを通して得る連帯感とは無縁の生活を送って大人になった。
少年にボールを渡し、露伴は空いているベンチに腰を下ろした。
ああやって日が暮れるまでボールを投げ合ってて、それで楽しいんだからな。
まあ、こうなってしまったからには仕方ない。
露伴はスケッチブックを開き、野球に興じる子供達を描き始める。
ボールが行き来するだけで一喜一憂する屈託のない笑顔。必死にボールを追う真剣な眼差し。幼い筋肉。幼稚な軽口と罵り合い。
数分そうしていた。
と、またしてもボールが露伴の方へ飛んで来る。
どこを狙って投げているんだ、下手くそめ。
ボールは露伴の頭を飛び越え、更に数メートル先で落ちた。
生い茂った草がボールの姿を完全に覆い隠してしまい、全速力で追いかけて来ていた少年は困り果てた顔で仲間を呼び寄せる。
こんなところに紛れ込んでしまったのでは、見つけ出す頃にはすっかり疲れ切って、もうキャッチボールを再開する気にはならないだろう。
折角、人が気分良く描いていたというのに。つまらない。
露伴は背もたれに肘を乗せ、屈んで作業する少年達の見え隠れする帽子を目で追った。
草むらの球拾いなんかじゃあ、見る価値が全くないじゃないか。
「あ!」
突然、一人の少年が声をあげる。
もう見つかったのか。運の良い連中だ。
「あった?」
「どうしよう。花踏んじゃった……」
その声に、露伴も眉を寄せ、聞き耳を立てた。
「……雑草なんか踏んでも誰も怒らないよ」
「だってママがいつも言ってるんだ。お花には命があるから粗末にしちゃだめよ、って」
困惑しているらしい声の後に、友人達が呆れたような言葉を返す。
「雑草じゃん」
「おまえ花好きなの? 女みてー」
「変なやつー」
からかわれても、当の少年はそんな言葉など耳に入っていないらしかった。
「あ、これ……油になる花だ。ママが教えてくれたやつと一緒だ」
油?
菜種油のことか?
露伴はその黄色い花を思い浮かべ、眉を潜める。
ここからは全く見えないので、子供の言葉を信じるしかないが、だがもう夏になろうというこの季節に、そんな物がまだ咲いているはずがない。
「見せろよ。なんだよこれ、枯れてんじゃん。こんな汚い花なんか踏んだっていいよ。ほら、ボール探そう」
その声に、露伴もやっと得心がいく。
最後に残った春の名残か。
結局、少年達が目当てのボールを見つけ出したのは、それから二十分後のことだった。
少年達が消えた後、露伴はベンチから立ち上がり、草の中に入り込んだ。
子供の目から見れば随分高く生えた草に思えただろうが、露伴の腰までしかない。
大股に歩き回り、露伴は先程少年が踏んでしまった、萎れた花を見つけた。
たった一輪。
それももう、それが菜の花であるかどうかすら判別しがたい汚い花。
靴の先だけでそれに触れ、露伴は来年の春について思う。
シーズンが来たら、ここで花の絵を描かせてもらおう。
顔を上げると、丁度正面に位置していた日差しが目を貫く。
もう夏は目の前だ。
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