バゲットを二本抱えた露伴の目に、通りの向こうからやって来る老人の姿が映った。
 日本人では絶対に有り得ない体躯。妙な耳当て帽子。そして抱かれた赤ん坊。
 遠目にも、それが誰なのかはっきりとわかる。それだけ特徴的な人物を、多少距離があっても識別できないわけがない。
 露伴は、ただ年寄りだというだけで老人を敬うタイプではなかったが、こちらへ向かって来るあの老人は例外だった。
 実は、隙を見てこっそり読んでいたので。
 その人生たるや、彼の生涯を追うだけで長編スペクタクルの一本くらい楽に作れてしまえる面白さで、老いても尚、それは続いている。
 また、六十を越えてから隠し子を作るという奇天烈なエピソードも最高だ。その息子がああだということも外伝的な要素として重要だ。
 彼の記憶を読んだ時に、漫画家としてでなく、露伴個人として得た感想はたった一つ。
 あの一族に関わった人間は、その時点で平凡な人生と縁を切ることになるらしいということ。
 既に自分もそれに巻き込まれているので、露伴はこれも運命だと思って割り切ったが、それとは逆に、巻き込まれたことに大感謝だとも思った。いずれほとぼりが冷めた頃に、彼等のモデル作品を作れるのだと思うと、漫画家としてこれ以上ない幸福だ。
 ……僕が生き延びればの話だろうが。
 彼等のそばにいるということは、死への確率を高めることを意味しているように感じる。
 別に生き死について特別どうという感情は湧かない。
 ただ、漫画を描く生活から切り離されるだけだ。
 今はまだ描いていたい。いつか、本当に描けなくなるまでは。


 少しずつ近付いて来る老人の姿を見ながら、露伴は頭の中に浮かべた彼のストーリーに、どんな顔の主人公を与えようかと考える。
 ところが、すぐに生まれて来たキャラクターは、どういうわけか承太郎や仗助にどことなく似た顔つきだった。目元、口元。全体的な印象が、彼等に共通している。
 確かに、こういったストーリーには、あの手の顔が似合う。どうアレンジしても、結局は同じタイプになりそうだったので、露伴はそれで妥協することにした。
 今度暇を見て、仗助辺りでも呼びつけて顔のサンプルを描かせてもらおう。あれを見ながら考えれば、それなりにしっくり来る顔を作れるかもしれない。
 さすがに承太郎に、モデルになってほしいから時間を取ってくれ、とは言い難い。どちらかと言えば、承太郎の方がイメージが近い気もするが、表情等は自力でなんとかできるだろうし、顔の作りだけを参考にするのなら、仗助でもいいだろう。
 適当にバイト代でも出せば、モデルくらい引き受けるのではなかろうか。


 待て、露伴。何を考えている?
 いつから、仗助なんかと馴れ合うようになった?
 一人で気楽に生活していたはずの自分。
 それがどうして、他人と和気藹々としようなどと思うのか。
 毒されている。
 あの連中の、仲間ごっこに慣らされ始めている。
 これは良くないぞ。
 非常に良くない。
 僕は一人でいたいんだ。
 他人と関わらずに、一人で生きて行きたいんだ。


 近付く老人。
 腕の中の赤ん坊は、厚く塗られたファンデーションで象牙色の肌をしている。
 そのやや不自然な肌が、露伴を殊更刺激する。
 その無機質な肌が、露伴を拒絶する。
 まるで、おまえなんか仲間に入れてやらないよと言っているかのように。
 彼女の肌が、露伴と世界とを隔絶する象徴のように感じられた。
 おまえはずっと、一生一人ぼっちでいればいい。
 一緒にいてくれなんて言っても駄目だよ。おまえなんか知らないよ。
 そう言っている。


 冗談ではない。
 おまえ達を突き放しているのは僕の方だ。
 僕が自分で、おまえ達と一線を異にしているんだ。
 モデルだって? 誰がそんなことを頼むものか。
 僕は僕だけの力で、なんだってやってやるさ。


 後数メートルと言うところで、やっと老人は露伴に気づく。
「ろ……」
「こんにちは、ジョースターさん」
 すれ違い様、顔も見ずにそれだけ言うと、露伴は立ち止まりもせずにそのまま進む。
 パンを持って家に帰る。そして家に着いたら、また仕事に戻ろう。
 康一に連絡して、頼まれていたMDを渡そうかと思っていたが、それもやめた。欲しいなら自分で取りにくればいい。
 一人でいたい。
 明日はどうかわからない。しかし今日だけは、一人で家に籠もって仕事をしていたかった。

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