「だからぁ、一回読んでみてよ。面白いんだから」
同じテーブルについてから、康一は露伴の顔をちらちらと見て、どんどん場の雰囲気が悪くなっていることに気づいた。
やっぱり露伴はまだ、仗助を完全に許したわけではなかったのだ。知らなかったわけではないが、気まずい空気が流れ始めている。
年長者の露伴がどれほど我が儘なのかを知っているだけに、康一は漫画に疎い二人の為に必死のアピールを開始していた。とりあえず褒めちぎって、露伴の機嫌を少しでも良くしようと。
たまたま学校の帰り、仗助と億泰と一緒になり、夕食前に少しだけ寄り道をしていこうと誘ったのは康一だ。
もちろん、億泰は小遣いに不自由していない。というより、虹村家の財産の全てを自己管理するしかない上、食事も自炊か外食なので、帰りがけにどこかで食べるのは当然と言えば当然だ。
康一は今月の小遣いをまだ貰っていなかったので、億泰が食事をする間、飲み物だけ頼んでいようと思っていた。
そして最後の一人、仗助も、やはり飲み物くらいしか持ち合わせがなかったので、実際にこのカフェ・ドゥ・マゴの前に来るまでは、どうしようかと渋っていたのだが。
露伴の姿を見るなり、仗助と億泰の二人は俄然元気になった。
金持ちだ、ということは十分わかっている。親密な間柄ではないにしても、立派な社会人として、未成年に何か振る舞うのはおかしなことではない。それにお気に入りの康一も一緒だ。
本人の許可も得ずに、勝手にそういうことにしていいのかどうか。他の相手ならいざ知らず、岸辺露伴だ。
いざ会計となった時、怒り出すんじゃないだろうか。
気分が良ければ、もしかしたら本当に奢ってくれるかもしれない。康一は一縷の望みをそこに賭けた。
二人が遠慮無く注文をするに比べ、康一はなぜか飲み物しか頼まない。
さては、金が無いんだな。
一人だけ何も食べずに我慢する、というのは良くない。自分がその分を負担してやればいい。それくらいは露伴でも考える。
今後も、彼とはうまくやって行きたいし、いずれは彼を題材に一本描くかもしれない。
これくらいの投資はしてもいいだろう。
「康一くん、君は何も食べないのかい? もし持ち合わせがないんだったら、今日は僕が払ってやるよ」
「ええっ!」
康一にとって、この申し出以上に有り難いことはない。
自分はともかく、他の二人はそのつもりでここに座っている。揉めることなく穏便にその方向に進めたかったところに。
願ってもない発言だ。
「でっでもっ、いいんですかっ!? 本当に!?」
「学校の帰りは、丁度何か欲しくなる頃だろう? 僕がいいと言ってるんだ、遠慮するもんじゃないぜ。それとも、この露伴の奢りじゃ嫌だってのか?」
ああ、それ以上言ったら、露伴先生引っ込みがつかなくなるよ。
そうは思っても、露伴のことだ。ここではっきり約束してしまえば、後から払う払わないで揉めたりしないはずだ。口にした以上、露伴は絶対に払う。間違いなく、払ってくれる。
どうせもう、仗助の頼んでしまった分は、露伴をあてにするしかない。
だったら。
ここは申し訳ないが、露伴の好意に全面的に甘えさせてもらわなければ。
……露伴先生、すみません。
「でもっ、僕一人だけって良くないですよねっ!? 友達と三人で来てるのにっ。でもっ、全員で奢ってもらうなんて、露伴先生が大変ですよねっ」
心臓がばくばくいっている音が、露伴に聞こえるのではないかと思うくらい、康一は緊張していた。
その言い方が気に障ったのは間違いない。露伴は眉を吊り上げて応じる。
「……この僕が、たった三人分くらいでどうにかなるほどしみったれて見えるのかい、康一くん? この露伴が、金もなしに人に奢るなどと言うものか!」
周囲に聞こえるくらい声を張り上げ、そしてついに露伴は言い切った。
「貴様ら全員、好きな物を頼め! 僕が全部払う!」
「いいんスか、露伴先生。なんか悪いなー」
本当に悪いと思っているのかどうか怪しいくらい、あっさりとそう言い、さりげなく追加注文をする。
露伴は守銭奴ではない。使う時は使う。だがそれは、使いたい時ということであって、使いたくもない金を惜しまず出すというのとは訳が違う。
言ってしまってから、なんでこんな奴らの食欲を満たすために身銭を切らなければならないのかと腹立たしくなったが、今更それを取り消すのは露伴のプライドが許さない。
康一にひもじい思いをさせるのは可哀想だ。友達想いの康一は一人だけ奢ってもらうのは気が引ける。そう、康一のためだ。康一のために、自分は金を払うのだ。
自分にそう言い聞かせ、露伴はこみ上げてくる怒りを抑えた。
そんな露伴の顔を見て、仗助はこっそり囁いた。
「おい……やっぱり、ただ奢ってもらうってのも気ぃ引けねぇか?」
「別に。奢ってもらえなくても俺は自分で払えるしよ。おめーだけだぜ、無理矢理払わせようとしてんのは」
明らかに露伴の顔には、不本意という文字が浮かんで見える。
「あ、あのー……露伴先生、お礼に何か、隠し芸でも……」
「結構だ。おまえらのつまらん芸など見たくないんでね」
その時、前の通りを小学生が通った。
その手元を見た億泰が、小学生を指差す。
「あっ俺、ハーモニカならちょっと吹けるぜ! ガキの頃学校で習ったから!」
「こんなところでピーヒャラ騒音を出す気か!? そんな物を僕に見せるな!」
「ピーヒャラって……ちゃんと音は出ると思うぜー」
「くだらん気を遣うな! 僕の本を読んだこともない人間が、こんな時だけへりくだるな!」
いい加減にしないと、今度は気が変わったからやっぱり奢らないと言い出すかもしれない。康一はそろそろ止めに入ろうと考える。
「でもよー、俺、本当に吹けるんだぜー」
「おっ億泰くんっ! 帰りに僕の家に寄ってってよ! 露伴先生の本貸すよ! ほらっ、昨日読んでみたいって言ってたよねっ!?」
本当は、家に露伴の漫画を全部揃えてなどいない。それに億泰が読みたいと言っていたというのも嘘だが、これ以上状況を悪くしたくはない。
「露伴先生っ、読んで気に入ったら億泰くんも単行本買うって言ってますっ。そうしたら、本にサイン入れてもらえますかっ!?」
「……まあ、それくらいは構わないが」
これ以上何か言わないように、億泰を牽制しながら、康一はとにかく話題を別の方へ持って行こうと、次々と話をし出した。
和やかに、とは言い難かったが、何事もなく食べ終えた三人は、そそくさと立ち去りかけた。
「どうも……ご馳走様でした……。じゃ、俺達はこれで……」
「待ちたまえ」
「え?」
テーブルに肘をついたまま、露伴は真っ直ぐに億泰を見ていた。
「奢ってやったお礼に、今度ぜひ、ハーモニカを披露してもらいたいね。約束だよ、億泰くん」
冗談を言っている目ではない。
「忘れるなよ。僕を満足させられるだけの腕前なんだろう? もしくだらん演奏だった時は……」
「先生の漫画、全巻揃えさせていただきます!」
露伴の言葉を遮り、仗助がそう割り込んだ。とんでもないことを言い出される前に、無難なところで手を打ちたかったのだろう。
「いいだろう。楽しみにしてるよ」
なんとも言えない迫力のある目で、露伴は三人を解放した。
実際、露伴がその気になれば、自分達にどんなことでも書き込めるのだと思うと、これほど不気味な存在もない。
ただし、本当に露伴がハーモニカの話をいつまでも忘れずにいるのか、この場限りの脅しなのかは誰にも判別できなかった。が、億泰がその日に備えてハーモニカの練習をするかといえば、絶対にしないということだけは、露伴を始め全員が同じ意見に達していた。
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