真夜中に外出する露伴を見ている人間。そんな奇特な者はそうそういないはずだ。
 が、ごく稀に、妙な時間に妙なことをしている人間もいる。


 時計の電池を買うため、コンビニに向かおうとしていた露伴の姿を、とある家の二階の窓からしっかりと捕らえていたのは、近所に住む大学生だ。
 彼は今年で二十二歳。
 来年の三月に卒業する時には、就職先が決定していなければならないという立場上、今から就職活動に余念がない。
 明日、上場企業の面接。とにかくぐっすり眠って気持ちよく目覚めなければならないはずなのだが、緊張のあまり、逆にすっかり目が冴えてしまい、とうとうこの時間になってしまった。気にし過ぎるからかもしれないと、彼は手近にあった双眼鏡を手に窓辺に寄り、特に面白くもない景色を眺めて気を紛らわせようとしていた。
 そんな時だ。
 数ヶ月前突然建った邸宅に一人で住む若い男が、外に出て来たのは。
 自分は一家四人でこの小ぢんまりとした家に慎ましく住んでいるというのに、一人であの大きさは一体何なのか。しかも自分と大して歳は変わらないときている。
 どこかいいとこのお坊ちゃんなのかもしれない、と彼は思っていた。
 それが三時半を過ぎた物騒な時間に、何処に行こうというのか。
「変な奴……毎日家にいるし……」
 彼はこの歳まで、比較的硬派な学生生活を送って来ていたので、男のくせにイヤリングをし、臍まで出して歩くような軟弱な奴が嫌いだった。
「だいたい何で、スケッチブックなんか持ち歩いてんだ?」
 彼の疑問ももっともで、深夜にコンビニに行く人間には、本来それは不必要な装備だ。
 こんな時間にどこに行くのか。
 本当に不気味な男だ。


 眠れない時、暇を持て余している時、ついつい訳の分からない行動に出てしまう人間がいる。
 彼が今すべきことは、とにかく何時間でもいいから睡眠を取って、翌朝に備えることだったはずだ。けして、近所に住む謎の多い男の跡を付けることなどではなかった。
 今までは面接のことで頭が一杯だったが、今度は露伴が気になって気になって、余計に眠れなくなってしまった。
 急いで着替え、家を飛び出し、露伴の後ろ姿を捕らえるまで走った。
 夜の町に、彼の靴音だけが響き渡り、やがて遠くに露伴の姿を認めた時、そこはまだ住宅街の外れだった。
 何もない空き地の前で、何か思慮深げに立ち止まっている。
 何をやってるんだ? こんな何もないとこで。なんか、気持ち悪いなあ、あいつ。
 露伴が自分の見た夢について考えている、などという事情が彼にわかるはずもない。
 夜はまだ少々肌寒いこの時期に、こんな寂しい場所で身動きもしない。もはや気持ち悪いとか気味が悪いとかを超越し始めていた。
 あいつ、怖いよ。絶対どっかおかしいよ。
 前に一度だけ、すれ違い様に目が合ったことがあったが、その瞬間総毛立ったのを覚えている。蛇に睨まれた時って、カエルはこういう気分なんだ、とどうでもいいことを考えながら急ぎ足で立ち去った。
 怖いよ。人の一人や二人殺してそうな顔だよ、あれ。やばいよ、あいつ。
 しかし、怖い物見たさというべきか、彼はそれでもまだ帰る気にはならない。


 とうとう彼は、露伴の後から、コンビニへと足を踏み入れた。
 なんだ、ただの買い物か。腹でも減って、なんか買いに来たんだろ。
 実は、思っていたより普通の人かもしれない。
 彼は露伴の平凡な一面にやっと触れたような気がして安堵する。
 が、それはすぐに裏切られる。
 化粧品、雑貨、ドリンク、スナック菓子。「新製品」とつけられた物全てを手に取り、しばらく観察を続けて、場合によってはその場でスケッチブックを開いて描き写している。
 うわぁ、訳分かんねぇー。コンビニで何やってんだ、こいつ。
 かと思えば、突然立ち上がり、今度はただの単三電池を一つ掴むと、迷わずレジへと向かう。
 なんで、電池!?
 なんで、電池!? わかんねーよ、本当に。
 もうどうにでもなれ、と彼はコーラを一本取り、その後ろに並んだ。
「領収書を書いてくれ。岸辺露伴だ」
 ……なんで電池一個で領収書? しかもフルネーム?
 やっぱり変な人だ。
「え、ろは……?」
 咄嗟にそれを漢字変換できなかった店員が目を見開いた直後、
「ペンを貸せ! 僕が書く!」
 腹立たしげに掌を突き付ける。
 なんだかすごく、気が短いぞ、こいつ。
 こんなことで苛々する人間など、あまりお目にかかったことがない。彼も呆気に取られて見ていることしかできなかった。


 結局その後も露伴の後ろをこっそりと付いて行ったが、コンビニで電池を買った後、信じられないことに真っ直ぐに家に帰ってしまった。
 家の中に入った後、二階の部屋に明かりが灯った。窓際に机かなにかが置かれているらしく、そこに乗せられた小さな何かを手に取るシルエットが見える。
 どうも電池交換をしているらしい。
 それが終わると、二度と露伴は窓辺には近寄らなかったようで、彼の姿を外から確認することはできなかった。
 それでも部屋の電灯は灯ったままで、彼も家の近くの木陰から動けず、ついに夜が明けきった。


 彼は思った。
 常識では推し量れない、ああいうタイプの人間の行動を理解するには、「頭の中がどうなっているか」程度の発想では絶対に無理だと。
 あれくらい変な奴は、それこそ神経細胞の一つ一つから分析でもしない限り、誰にも解き明かせないんだ、と。
 半分朦朧した頭と、目の下にくっきりと焼き付いた隈を抱いて、新品のスーツに身を包んだ彼は早朝、露伴の家の前を通りながら、どうして昨夜はあんな無駄なことに時間を費やしてしまったのだろうと激しく後悔し、大きな溜め息をついた。

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