深夜に露伴の家で深夜番組を観た康一は、美味しい紅茶とスコーンもご馳走になったことで、上機嫌で帰って行った。
その合間に自分の身に起こっていたことを何一つ覚えていない康一を送り出した後、露伴は仕事部屋のある二階へ上がった。今読んだ内容を、忘れないうちにメモにしておこうと思ったからだ。
その時になって、露伴はあることに気づく。
机に置かれた時計は、一時半で止まっていた。壁掛けの時計は、三時だったはずだ。知らぬ間に電池が切れていたらしい。
どこかに買い置きがあったはずだが、と露伴は引き出しを探る。
小さな捜し物というのは、こういう時に限って見つからないようにできている。そして全く関係の無い時になって、突然見つかったりする。
時計の一つくらい、止まったままでも不便はない。家中に時計は幾つもあるのだから。
しかし、露伴はこの机の上で、止まったままの時計を置いたまま仕事をするのは嫌だった。
既に三時を回ったとはいえ、コンビニは開いているし、置き時計に使う電池くらいはコンビニで買える。
露伴はドアに鍵を掛け、夜の杜王町へと踏み出した。
夜の町は、昼間とは違う顔を持つ。
昼に活気のある商店街は全て沈黙し、逆に、夜だけしか開けていない店が嫌という程目立つ。
そんな時間帯だからこそ、露伴その店に目を留めた。
今まで、こんな場所に店があっただろうか。普段何気なく通っている道を思い浮かべたが、この店を見ていた、という覚えは全くない。気づかなかっただけだろうか。
店の入り口には、『ファミリーショップ・電波屋』と書かれている。
何だ、それは。
胡散臭い名前だ。
何屋かさっぱりわからない。前からこんな怪しげな店があったのなら、絶対に気になっているはずだ。
普通の人間なら、怪しい店だと思うと敬遠するものだが、露伴は普通の感覚の持ち主ではない。怪しいからこそ興味を抱く。
近寄ってみると、どうもその店名はガラス窓に直接ペンキで描かれていて、潰れた何かの小さな商店をそのまま買い取って営業しているらしく、ガラスにはうっすらと、剥がされたカッティングシートの跡が残っていた。
その入り口には、『営業中』の札が下がっており、中から僅かだが明かりも漏れている。
ということは入ってもいいんだな。
どうせコンビニで電池を買うだけだ。急ぐ必要はない。
露伴は軋む古い扉を開けた。
こんな時間に、こんな外れで商売をしていて、客が来るわけがない。
想像通り、店内には他に誰もいなかった。
店の一番奥に、レジスターを置いた小さなカウンターがあり、そこに座っている小男が従業員らしかった。
見回した感じ、店中にビデオのパッケージが並べられ、それ以外の商品はないようだった。
カウンターの前に、吊り下げられた料金表がある。
レンタル、だ。
そうならそうと外に書いておけばいいだろうに。
正体が分かってしまうと、案外つまらないことだった。適当に狭い店内を歩いて並ぶタイトルに目をやった。
「……?」
流行りの映画が一つもない。それどころか、普通のジャンルが見当たらない。
どれも妙なタイトルを冠したビデオばかり。
「何だ? 『勾当台二丁目の住人』に『杜王駅二十四時』?」
ここいらでよく目にする地名ばかりが並ぶ。
しかもひっくり返して見ても、タイトルしか書かれていない。どんな内容なのかさっぱりわからないビデオだ。
仕方なく、適当に一本取ってカウンターへ向かう。
「これは、どういうビデオなんです?」
店員は読んでいた雑誌から目を離し、露伴からパッケージを受け取る。
「ああ、『小林家の前にて』ね。これ、三丁目の小林さんのお宅の前に固定カメラ置いて撮影したやつ。家に出入りするとこしか映ってないから、面白くないよ。どうせ観るなら、『小林家の居間』の方がいいよ。居間の中に仕掛けたカメラで撮ってあるから、家族の団欒とか奥さんの不倫とか、見応えあるよ」
「ちょっと待ってくれ。それは、すぐそこの小林って家のことか?」
個人の家を撮影したビデオ? そんなものを貸し出してどうするんだ?
「そうそう、そこの小林さん。隠しカメラはいいよね、演技とかしてないから」
それは、犯罪ではないのか。
そんなものを堂々と並べて商売などしていいものなのか。
ということは、あの『東方家の長男の朝』とか、『虹村家の秘密』とかも、本当にあの連中の家にカメラを仕込んで撮影したのか?
「いいでしょ。絶対病みつきになるよ。普段見かける人の私生活、興味あるでしょー?」
小男は嫌らしい笑みを浮かべて勧める。
「ビデオは所詮ビデオだ。その時誰が何を考えていたのかまではわからないよ。僕には、もっとリアルに感じられる方法がある。観なくてもいい」
小馬鹿にしたように小男を見下ろす露伴に、店員は尚も食い下がる。
「そうですかー? 全町民のことがわかるのにぃ。全員ですよ、全員」
確かに。
露伴には、不特定多数の人間を読むことはできない。この町の人間の何割を、露伴は簡単に本にできるだろう。
しかし。
露伴は踵を返し、一度だけ店員を振り返り告げる。
「断る。今は無理でも、いずれは町中、一人残らず読めるようになってやるさ」
目を開くと、そこは見慣れた仕事部屋だった。
机の上の時計は、やはり一時半のまま。
反射的に腕を持ち上げ、そこに巻かれた時計に目をやる。こちらは三時三十分。
いつの間にか、少し眠ってしまったらしい。
電池はまだ買っていない。外にも出ていない。
夢、だったのか。
変な夢を見てしまった。
町中を映した隠しカメラのビデオ屋とは。そんな物が現実にあるはずがない。
何の願望か。
いや、わかっている。
この露伴のヘブンズ・ドアーは、最初の頃に比べ、格段の成長を遂げている。
それでもまだ、足りない。
露伴の望み通りの能力には、まだ至っていない。
焦るな。きっと、できるようになる。必ず、そうなる。
露伴は一つ息を吐き、それから徐に立ち上がり、玄関へ向かう。
時計に入れる電池を買いに、コンビニまで行かなければ。
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