刻まれた墓碑銘。
そして住職の何気ない言葉。
露伴は珍しく、常日頃から心掛けているはずの最優先事項を忘れていた。
全て漫画のため。どんな物事も、良い作品への足がかり。
何かの呪文のように頭にこびり付いている思考が、今は何故か働かなかった。それだけでなく、働いていないことにも未だ気づいていなかった。
十五年も経って知らされた自らの過去を、いつもの露伴ならば「この衝撃も参考になる」と考えていなくてはならなかったというのに。それができていないのだ。
もう一度振り返ってみる。
住職の姿はもう見えない。墓石群も、もう見えない。しかし。
霊園が近いためか、花屋が何軒か目に付いた。
だからといって、どうする?
花を買うのか? 花を買って墓前に供えて来るのか?
露伴の足は、店先で固まったままだ。
仏花を適当に作ってもらうのか?
彼女の好きだった花が一番いいに決まっている。残念ながら露伴はそれを知らない。いや、もしかしたら知っていたかもしれない。覚えていないだけで。
記憶は残酷だ。
本人が思い出せることなどたかが知れている。ヘブンズ・ドアーで何もかもを本にしない限り、全ての記憶を引き摺り出すことはできない。
ヘブンズ・ドアーはある。ただし、この露伴の中に。他人の心の奥深くまで見透かす力を持ちながら、自分の幼児期だけが読めない。
「役に立たない……」
今最も重要なことが、どうやっても読めない。読みたいものが読めない。
花を買うのか?
馬鹿げている。
彼女は今、あの墓にはいない。
身体は、あの墓にある。今現在の彼女の心は、オーソンの隣の小道にいる。
「花をやりたいなら、本人に手渡せばいいじゃないか……」
今の状態のままなら、墓前に花は無意味だ。
事実を知っても、彼女の所に行って礼を言う気にはならなかった。
命の恩人ではあっても、それは人から又聞きした事柄に過ぎず、本当に恩人だと思って口に乗せる言葉とは重みが違う。
そんな白々しい真似が、この露伴にできるものか。
第一、どんな顔をして彼女の前に立てというのか。
彼女は十六歳のままだが、自分はもう四歳ではない。
自分は二十歳になったが、彼女が三十を越えた女になることはない。
月日も、残酷だ。
知らない女だ。今の露伴にとって、彼女は知らない小娘だ。
子供の頃お世話になっていた、近所の優しいお姉さんと、時を隔てて再会する。そんな単純な事態ではない。
再会したお姉さんも、もう結構いい歳になっていて、お姉さんと自分、それぞれに年月は平等に降り掛かっている。それが自然だ。
ところがどうだ。
その優しいお姉さんには、自分と同じだけの年月が蓄積されていない。昔のまま、そのままで、ただ時間だけが過ぎてしまった。
そして自分は何も覚えていない。
最悪だ。
こんな酷い話、僕だってまだ作ったことがないぞ。
いつまでも店先にいたことで、花屋の店員には多少期待をさせてしまったようだが、露伴は結局買わずに立ち去った。
自宅方面のバスに乗り、とにかく落ち着くことが先決だと言い聞かせる。
悩むのは物語の主人公だけでいい。苦しむのは、露伴の描く登場人物だけでいい。現実世界に生きている露伴本人は、絶対に、個人的な理由で動揺などしてはならない。
……無理だ。
外は快晴。露伴は暗雲。
長い一本道を走り続けるバス。その道の傍らを、どこまでも続くガードレールの白い軌跡。
ぼんやり考える。
バスはけして、ガードレールを越えない。そこから向こう側は静止した世界。露伴の乗るバスは、こちら側を一直線に進む。途切れることのない白い帯と平行にひた走るバス。
形で表すなら、こういうことだ。
露伴は時の流れというバスの中にいて、彼女はあの白い帯の向こうで立ち止まっている。
バスの窓から見えるのは一瞬。通り過ぎた後でも、彼女の姿は小さく見える。
多分、こういう情景が、今の彼女と露伴。
ならば、このままいずれは、小さくなっていく彼女を見失ってしまう日が来るのだろうか。
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