仕事の合間に、少し散歩に出た。
このペースで行くと、明日には再来週が締め切りになる予定の原稿まで仕上がってしまう。しかし露伴は、必要以上に原稿を描きためるのを嫌っているので、ここらで一息入れて間を取りたかった。
例の学生服の妙な男に奇妙な弓で射られて以来、非常に気分が良く、仕事も快調だったお陰だ。
昨日は訪問販売員の中年男を読んだし、一昨日はたまたま近くを散歩していた主婦を読ませてもらった。他人の秘密や私生活をこれほどリアルに知ることができるのは快感だった。
近いうちに書き下ろしの単行本を出そうという話が出ていたが、今なら三百ページでも五百ページでも、一週間で完成させられるような気がする。
駅の踏切を越えて十分程度歩くと、学校に出た。
なるほど、町のいたる所で見かける学生達はここに通っているわけか。なかなか瀟洒な校舎だ。
どうやら卒業式が近いらしく、その準備に追われる人々の姿が遠くに見える。
今日はたまたま通りかかっただけだが、次に来る時は少し中を取材させてもらおう。現代の中高生の実態を常に意識するのも重要な仕事だ。
と、踵を返しかけた露伴の腕を誰かががっしりと掴んだ。
「兄ちゃん、足どけろよ!」
足、だと?
足許に目をやると、右足の靴の下に、小さな紙製の小箱が潰れているのが見える。煙草だ。
「ああっ、俺の大事なショッポがぁぁ」
どう見てもこいつもここの学生だが。校門の前で煙草を吸うとは。
ただのアホか、そうでなければ自己顕示欲が強いだけで何の取り柄もない男か。
「兄ちゃん、弁償しろよ! スカした格好しやがって、ナメてんのか、おらっ」
年上の人間に対する敬意の表し方も知らないらしく、いきなり露伴の襟首を掴み上げる。
幾つか不愉快な事柄があるが、踏み潰してしまったことだけは露伴の過失だ。
「ほら、これで新しいのを買えよ。吸いすぎて、足りない頭がもっと働かなくなっても、僕にはどうでもいいことだからね」
いつも一言多いということを、露伴はあまり気にしていない。
出されたのが一万円札だったからか、不良高校生は大人しく引き下がった。
別に露伴も、金を多めにやろうと思って出したわけではない。千円札を切らしていたからそうなっただけだ。
それにしても、と思う。
煙草を吸う高校生の姿が増えたような気がする。昔はもっとこそこそ隠れて吸っていた。だから人目につかなかったのだが、近頃は制服姿のままくわえ煙草で歩く連中が多い。
露伴に喫煙の習慣はない。
始終頭に靄がかかった状態では仕事にならない。集中力だけの問題ではなく、指先の力加減も違って来る。
ああいうものは、慢性的にストレスを抱えている人間には必要だが、この露伴とは無縁の存在だ。
駅前まで戻ると、ロータリー付近ではまた高校生が煙草を吸っていた。
「……でよ。こう、火ィつけて、口ん中に入れんだよ。で、ジュース飲む、と」
「へえぇー」
隠し芸の談義のようだった。
「つまらん」
ぼそりと呟いて立ち去りかけた露伴だったが、ふと思いつく。
待てよ。今ここで、出来もしない芸を無理矢理やらせてみるってこともできるんだよな。
その気になれば、露伴にはそれだけのことができる力がある。
が、それはあくまで、相手が本になっていることが条件であり、どう考えても、目の前の頭の悪そうな高校生と相性が良いいとは思えない。そもそもそのための原稿も今は用意されていない。
考えてみると不便な能力だ。
誰彼構わず、ということができれば、もっと作品の幅を広げることも可能だろうに。
それに原稿も、一番最初に読む、という限られた範囲内では、一度使ってしまった原稿はさっさと編集部に送る以外に利用する術がない。
もっと効率の良い方法があればいいんだが。
そんなことを考えながら歩いていると、また足の下に、先程と同じような感触があった。
ちらりと下を見遣ると、今度は少し大きめの、赤い箱だった。
なんだかまた無駄な金を払うような気がする。
高校生の喫煙を見逃している連中が多いから、こういうことになるんだ。いっそこいつら全員に、“煙草を吸うと死ぬ程苦しむ”とでも書き込みたいくらいだ。
誰でも簡単に本にできれば……。
「ああっ、おっさんっ、俺のマルボロ!」
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