メニューにざっと目を通し、この店のランチが既に二時で終わっていたことを知ると、露伴は溜め息を一つ吐き、それから徐にサンドイッチのセットを注文した。
 悪くない店だ。客を選ばないため、中には品の悪い連中もいるようだが、その開放的な空気は好ましい。どうして平日の昼間から学生服の連中がいるのかとか、幾つか気になる点はあるにしても、だ。だが、先程デパートでサインをくれてやった変な女までここにいるのだから、誰でも気軽に利用できる店だということがよくわかる。
 ついでに言うと、そのデパートの店員は露伴とは離れたテーブルに落ち着いたため、こちらには全く気づいていないようだった。
 時間が時間な為、カフェからは一人二人と客が姿を消し始める。
 料理が運ばれて来るまでの間、露伴は見るとはなしに街を見回した。確かに田舎だが、変に都会らしく気取ろうという見栄がない。街並みにも人々にも。


 やはり、帰って来て良かった。
 とは言っても、幼い頃の記憶など殆ど無いに等しい以上、この土地に対して“帰って来た”と表現するのは何だか妙な気がする。
 十五年経った、ということは、街の変化もそれに比例する。今見ている景色も、多分当時からは想像もつかないくらい劇的に変わってしまったものなのだろう。仮に覚えていたとしても、見知らぬ土地同然だったはずだ。
 それでもつい、家を建てる時に、かつての住所の近くの土地を選んでしまったのだから、これも郷愁と呼ぶべきか。
 それにしてもこの店、なかなかいい雰囲気を出しているな。少し描いておくか。
 露伴はスケッチブックを取り出し、組んだ膝に乗せると、世間の常識を凌駕するスピードでペンを走らせる。
 たまたまそれを見てしまった隣のテーブルのOLが、唖然とした表情でアイスクリームをテーブルに溢してしまった。
「むっ、いい表情だ。スプーンから滴っている感じも自然だ。参考になるな」
 画面の端に、呆けた女性も描き込む。
 一通り写し終わると、露伴はスケッチブックを閉じ、丁度運ばれて来たティーカップに手を伸ばす。紅茶の味も悪くない。
 傍らの椅子に乗せられたスケッチブックをちらりと見遣り、露伴はまた街を見渡す。
 そう、技術的には完璧だ。この岸辺露伴以上のマンガを描ける人間など、この世に一人もいない。こうやって日々、小さなネタを少しずつ集めてもいる。
 だがそれでも、満ち足りない気持ちが襲って来る。
 今日は描けた。明日も明後日も、きっと素晴らしい作品ができるだろう。しかしその後は?
 いつまでもこのまま続くわけがない。いつかは描けなくなる日が来るかもしれない。
 いや、描けなくなるより先に、読者が離れて行ってしまうはずだ。誰も読まなくなった露伴の作品は、やがて古本屋の棚からも消え、廃品回収の古雑誌と一緒に運ばれて行く……
 そうして露伴本人は抜け殻のようになるだろう。干涸らびた土地に風が吹き抜ける時のような、肌に砂利が突き刺さる程度の小さな痛みが常につきまとうだろう。
 そんな荒野でも、雨が降れば、一時は満たされるかもしれない。だが根本的に乾いてしまった土地はどうにもならない。突然地下水が湧き上がってでも来ない限り。
 なんということだろう。漫画のためならどんなことだってするというのに。人を殺したって構わないというのに、人間の能力には限界があるのだから。
「地下水、ね……」
「!」
 つい口に出してしまったのだろうか。
 すぐ横に、学生服の男が立っていた。そこいらの高校生にしては、妙に落ち着き払っている。ちゃらちゃらした小僧どもとはひと味違うとはっきりわかる。
「その地下水とは、才能だよ。素質のある者だけが得られる」
 なんだ、こいつは。この露伴に意見しようというのか?
 だが男は、それ以上何も言わずに店から出て行った。
 全く変な奴だ。まあ、駅前付近という場所には大勢の人間がいる。おかしな奴に会うのは当然と言えば当然だが。
 注文したサンドイッチが来る前に、男の姿は雑踏に紛れ、やがて見えなくなった。


 そして露伴は、それから三日も待たないうちに、その男と再び出逢う。その時男の手には、何百年も時を隔てたような古い弓矢が握られていた。
 以後、露伴が才能の枯渇について考えることは殆ど無くなったと言っていい。

メニューページへ
Topへ