今週分の仕事はひとまず片付いた。
 もっとも、今週分とは言っても、実質二週先の原稿だが。
 整頓された机の片隅に置かれた時計は、まだ一時を過ぎたばかりだった。時計を見て思い出したが、露伴はまだ昼食を摂っていなかった。キッチンはいつでも、それなりに何か用意できるようにはなっていたが、ここは外に出ることにした。
 来週からの仕事の為にも、外界の新しい空気は必要で、駅前まで行けば画材の補充も出来る。ついでに、気分転換にもなる。
 立ち上がった時、この日初めて窓の外を見た。二月の空はまだ陽気には遠かったが、先週よりも遙かに春に近い。
 引っ越し荷物は、この町に来て二日で片付けた。仕事に入る前に煩わしいことは済ませておきたかったからだ。おかげで、もう何ヶ月も前からこの家に住んでいるかのように馴染んでいる。
 と、インターホンが家中にピンポン音を響かせた。
 仕事部屋の窓から下を窺うと、女子高生らしい三人連れが立っている。しかも、ご丁寧に色紙とカメラを両手に握り締めて。
 ああいった連中は、何処で住所を調べるのだろう。十日も経たないうちにもう突き止めるとは。
 どうせまた、『若くてお金持ちの有名人に近付こう』というミーハー根性丸出しの小娘どもだ。
 相手をする価値もないので、露伴は身を翻し、窓から離れた。
 当然だったが、居留守を決め込む。


 小娘が諦めるまで、更に三十分は待たされてしまった。
 なんだってあの連中は、留守宅の前でああも遠慮無く振る舞うのか。
 わざわざ表札の横に並んで記念撮影をし、家の写真まで撮って行った。
 あれを持って行かれると、今後、その写真を自慢された人間がそれを頼りにここまで来てしまうではないか。
 面倒だと思ったが、考えてみればまた居留守を使うのだから、何人来ようと関係ないことではある。ここは放っておくことにした。
 不動産屋にもっと堅く口止めをすべきだったな。
 露伴はそう先日のことを振り返ったが、実際のところ、担当の不動産会社の社員は、あまりに居丈高なこの客を快く思っておらず、わざと「困らせてやろう」とさり気なく情報を流していたのだった。
 それにしても。
 小娘達のおかげで、すっかり出掛ける気を削がれてしまった。
 折角今、一仕事終えて良い気分だったというのに。
 何か、物に八つ当たりでもしたくなって来たが、綺麗に片付いたこの部屋に、壊してもいいようないい加減な物などない。
 家具は、引っ越しに合わせて新しく揃えたばかりだ。机の上は大事な商売道具。書籍棚にあるのはどれも必要な資料だ。
 何にも当たれない、となると余計に腹が立って来る。
 だいたい他人の家の前で騒ぎ立てるなど非常識にも程がある。顧客の個人情報を簡単に知られてしまうような不動産屋も問題だ。
 そんなことよりも、どうして今ここに、壊しても構わないようなどうでもいい物が一つもないのか。


 しばらく考えた後、露伴はコートを取り、外に出た。
 まだ越して来て間がないため、町のことがよくわかっていないが、とにかく駅前まで出れば、何か見つかるだろう。八つ当たりに手頃な、何かいい物が。
 そう、たとえばだ。
 素手で壊せるくらい弱いものがいい。
 できれば壊れる時に、大きな音が出るものだ。その方が壊した、という実感が湧く。
 一つや二つくらいでは気が収まらないだろうから、十個以上は欲しい。
 全く同じ物では途中で嫌気がさすかもしれない。何かそれなりの変化に富んでいるべきだ。形が多少違うとか、色が違うとか。
 とにかく、何でもいい。


 実はまだ、昼食を摂っていないのだが、そんなことは既にどうでもよくなっていた。
 これから見つけるその何かに、力一杯当たった後、まだ食べる気があれば何処か感じの良いカフェで軽く食べればいいだろう。
 足は真っ直ぐに、駅へと向かっていた。

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