誰よりも今、君を想うから
言葉で説明のできないほどの激痛を味わうと、意識は遠くなり、そして幸せな夢への逃避が始まる。
口中の想像を絶する痛みは薄れ、代わりに見知った人物の姿が目に浮かぶ。
夜に活動を開始する館で出会った人物の姿が。
初めて館に足を踏み入れた日。
彼はお茶を出した。上品な茶器をテーブルに並べ、慣れた手つきでカップに紅茶を注いだ。
「美味しい」
本当に飲み物は淹れ方次第なのだと、その時に実感した。
彼は口の端を吊り上げ、目を細めた。
「ありがとうございます」
ただ一つ、気になったのは。
「そこ、座ったら? 一緒に飲みましょ」
向かい側の空いている椅子を指差した。
彼はホスト役に徹し、ずっと傍らに立っていたので。
「一人で飲むよりも、誰かと一緒の方がもっと美味しいから」
その勧めにも、彼は同じ笑みで返した。
「では……次回からはご一緒させて頂きましょう」
細められた目が、紅茶の湯気に霞んで見えた。
次に館を訪れた夜。
やはり彼が接待してくれた。
「……美味しい」
前回とは違う葉。けれどその味も、すぐに気に入った。
「スコーンのお代わりはいかがですか?」
「ください」
誰が作ったのか知らないが、手作りのそれも美味しくて。
よくよく考えれば、あの館の全てを取り仕切っているのが彼なのだから、それも彼の手製なのだろう。彼以外の誰が、そんな手間暇をかけるのか。
けれど。
たった一つの不満は。
「今日は一緒に飲んでくれる約束でしょう?」
あれから随分間が空いてしまったから、彼は約束を忘れてしまったのかもしれない。
一瞬きょとんとし、それから目を大きく見開いた。
そのどちらの顔も初めて見るもので、いつものすまし顔よりもずっと良かった。
「申し訳ありません! そうでした!」
ああ、やはり忘れていたのか。
覚えていて貰えなかったのは残念だが、この館には、あの方を慕う多くの人間が常に出入りしている。その全員に、彼は同じようにお茶を用意する。だからミドラーの言ったことを覚えていなくても、それは仕方のないことなのかもしれない。そう納得させることにした。
あんなに動揺する彼を見たのはそれ一度きり。
彼は慌てたが、お茶はもう終わりに近かったし、スコーンももう無い。今からそこに座るには遅すぎた。
だから。
席を立つ時に、耳元で囁いた。
「次は忘れないでね」
自らの失態を、よほど恥じていたのだろう。
彼は顔を赤らめ、小さく頷いた。
「今後、貴女との約束事は、二度と忘れたりしません」
それから三度、あの館へ行った。
彼はいつも違うお茶を用意してくれた。
そして必ず、隣に座るようになった。
一緒にお茶を飲み、家族のことや自分のこと、生まれ故郷の話をした。
暗い話題はその場に相応しくないから、いつもいつも楽しいことばかり思い出して話した。
彼は黙って聞いてくれた。
時々微笑みながら相づちを打ってくれた。
話の合間、次の話題がなかなか思いつかない時は、彼の方から話をしてくれた。自分のこと、子供の頃のこと、家族のこと。
彼も、明るく優しい話だけしかしなかった。
折角の二人のお茶の時間を大切にしたいから、というミドラーの思いを汲んでくれたのか。
それとも、彼もまた同じ思いだったのか。
だがそんなことは、どちらでも良かった。
この温かな一時の中では、そんな小さなことも気にならなかったから。
温かいカップに指を這わせる時、いつも同じことを思った。
このお茶会を、これからもずっと続けられればいいのに、と。
最後に会ったのは、館の廊下。
「おや……もうお帰りですか? 今、お茶の準備が出来たところなのに」
ティーポットを指差す彼に、ミドラーは頭を下げた。
「ごめんなさい! でもDIO様からお言葉を頂いたから! 急いで行かないと!」
「ああ、なるほど。ならば仕方がありませんね……」
彼が本当に残念そうに呟くので、ミドラーの気持ちは揺れた。
「……でも一杯くらい、なら……」
「いいえ。DIO様のご命令は絶対。さあ、早く行ってらっしゃい」
一杯くらい飲む時間は、あったはずなのに。
初めて下された命令に舞い上がっていた自分は、彼の言葉に従った。
「終わったらすぐに帰って来るわ! DIO様にご報告して、それから……」
「ええ、お茶の用意をして待っていますよ」
彼の言葉すら満足に聞かずに、飛び出していた自分。
彼はきっと、その約束を忘れない。
二回目に会った日に、誓ってくれた。
二度と、忘れたりしない、と。
星空を見上げる。
横たわったまま、空を見上げる。
痛みは増すばかり。
涙が止まらない。
だが、泣いているのは、痛むからだけではない。
「……お茶、行けない……」
歯を全て折られた。
今口は血だらけ、そして腫れ上がった顔。
こんな姿を、彼の前に晒せるはずがない。
もう、今までの自分はいない。
誰もが振り返った美貌は、もうない。
こんな顔で、彼の前に立てるわけがない。
二度と行けない、二人きりの深夜のお茶会。
横たわったまま、ミドラーは空を見上げ続ける。
目を閉じていても、こうして空を見ていても、想うのはたった一人。
彼の淹れるお茶を飲む時間、それが愛おしい。
今一番飲みたいのは彼のお茶。
今誰よりも会いたいと願うのも、ただ一人。
あの廊下で、「一杯だけ飲んで行く」と言わなかったのは自分。
失われた自分の顔を嘆き。
彼の顔すらまともに見ずに出て来た自分を責め。
様々な想いが渦巻く中で、それでも想うのはただ一人。
温かな優しい一時を提供してくれる人のこと。
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