嘘をつくのは、もう慣れた。
ここでの暮らしも、慣れてしまえばひどく退屈で。
時々目が合うヤバイ犯罪者も、こちらがそいつを品定めし始めると途端に逃げ腰になる。ああいう連中は、どうも本能で何が危険かを察知できるらしく、つまらない。
ここに来たばかりの頃は、外見が外見のせいか、かなり軽く見られていたのだが、そんな扱いをされることもなくなって久しい。
もう誰も、自分に向かって「可愛い子ちゃん」と軽口を叩かない。
誰も、近付かない。
この変な男以外は。
本名は誰も知らないし、本人もわかっていないらしいので、アナスイもその通称で呼ぶことにしている。
「なんでオレの邪魔をするんだ、ウェザー?」
折角喧嘩に巻き込まれ、遊ぶチャンスだと思っていたのに、寸前でそれを止められた。
どさくさに紛れて、人間というパーツを組み替えて遊ぶ。ここでの唯一の楽しみ。
まともに喋らない男は、アナスイの腕を掴み、顔を引き寄せる。
至近距離でなければ話し出さないこの癖には慣らされているものの、顔と顔が近付くまでの数秒間、返事を待たされるのはやはり苛立つ。
「ここの人間を玩具にすれば必要以上に目立つ。自重するんだ」
アナスイがこういう質問をすると三回に一回はその台詞が返される。
その度に腕を振り払い、いつも同じ言葉の応酬。
「目立つ? 誰にわかる? オレがやったなんて?」
「解る者もいる」
「おまえの記憶泥棒か? そんなやつに何ができる」
「スタンドを見せるな。気づかれる」
言うことを聞く謂われはない。
そのはずなのに、何故か毎回説得されている。
それはこの男の能力に、何か不気味な物を感じるからかもしれない。能力の全てを知って尚、説明のつかない何かがこの男の中にある。
勿論、実際にやり合ったとしても、負ける気はしていないから、実力行使に出ても構わないはずだった。
それをしないのは、そうまでしてしたい遊びではないからだ。
所詮遊び。
人間を分解するのも、それを組み立てるのも、遊び。どんな形に分けるか、どのパーツで分けるか、それだけの遊び。
「こっちへ」
しぶしぶ承諾したアナスイの手を引き、ウェザーは誰もそばにいないことを確認してから、音楽室に入る。本物の部屋の方ではなく、エンポリオの部屋の方の。
部屋の主は本を読んでいて、入って来た二人を一瞥しただけで、特に興味も無さそうにまた本に目を落とす。
この二人の間の遣り取りが、いつも同じことの繰り返しだと知っているからだ。
今何をするためにここに来たのか、大凡の察しはついているのだろう。
ウェザーはアナスイを部屋の作りつけの本棚の前に立たせ、促す。
「またか……」
何をさせたいのか、聞かなくてもわかる。
「前にも言ったが、この本棚を分解してまた組み立てる作業はもう飽きた」
「それでも無いよりはましだろう。やれ」
それにこの部屋の中の物は、本物と同じ質感はあっても本物ではない。面白くも何ともない。
「なんでオレがこんなことをしなきゃならないんだ?」
「何かで遊ばなければ、おまえは満足しない。人間相手にそれをさせるわけにはいかない。おまえの欲求を少しでも抑えるには、何か代用品を与えるしかない」
こんな木と木を規則的に組み合わせただけの物で、何を抑えろと?
「別に。こんなものを使わなくても、我慢するさ……」
興味の無い対象の前に、いつまでも立っていられない。
アナスイはウェザーから離れ、ピアノの方へ近付こうとした。
「駄目だ。やれ」
そのアナスイの肩を掴み、動きを制限させる。
「なんで命令するんだ?」
悔しいことに、掴む腕の力はひどく強い。振り解けない。
「おまえは自分のことをわかっていない」
「なんだって?」
侮辱だ。
自分以上に自分のことを知る人間が、どこにいるというのか。
「おまえのあれは、遊びではない。おまえの手は、物を壊さなければいられないようにできている。我慢するとかしないとかのレベルじゃない。時々何かで欲求を逸らさなければ、いずれは際限なく破壊して回ることになる」
「人を異常者のように言うな」
自分の何がわかるというのだろう。こんな男に。
「おまえは今までそれを我慢して来たことがあるのか?」
「ない」
それが何だ?
興味を引かれれば、目につけば、全てに手を出して生きて来た。
本当は我慢などしたことがない。
けれど、多分、我慢できるはずだ。
アナスイはそう思う。
「だから、やるべきだ」
まただ。
またこのパターン。
結局、この男は引かない。
妥協するのはいつも自分。
ここで言い争っていても、絶対にウェザーはこの手を離さない。
アナスイが本棚に手を出すまで、絶対にだ。
「わかったよ。やればいいんだろ。だからその手を放せ」
しぶしぶ、アナスイはまた本棚に向き合う。
そして必要な道具を取り出し、本棚の解体作業を開始する。
それを見て、やっとウェザーの手が離される。
本当は、こんな手作業にはもう殆ど興味はない。
スタンドを使うことを覚えてしまった自分は、もうこんなことでは満足できない。
この手で、道具を使っての分解。
もうそんな程度では、何も満たされない。
このスタンドで、自在にどんな物でも好きなように扱えることを知った日から、自分はもうかつてのような生易しいやり方では納得できなくなってしまった。
しかし、それは誰にも言ったことがない。
口で説明してわかることではないので。
この感覚は、言葉では伝えられない。
この特殊な欲求と、特別な葛藤は。
誰にも理解できない。
「つまらないか?」
八割方、解体作業も終わりかけたところで、傍らに立って監視していたウェザーが身を寄せて囁いた。
「いや。十分だ」
振り返ることも、視線を合わせることもしない。
作業に没頭している振りをする。
「そうか」
「ああ、そうだ」
投げやりな答えは、実際は満足していないことをアピールするためではなく。
あくまでも、会話さえまともにできないほど集中していることを示すため。
こんな嘘でも、ウェザーには必要だ。
この男がどうして自分をここまで牽制するのか、それは未だにわからないが、したいようにさせてやることにしている。
ウェザーを騙しても、罪悪感など感じないのだから。
自分でも思う。
いつかきっと、この程度の作業では抑えられなくなって、自制の効かぬままに破壊し尽くす日が来る。
けれどそれは自分ではどうすることもできない。
本当は人間がいい。
人間を使いたい。
なのにそれを禁じられているこの身。
どうにもならない。
きっといつか、自分はしてしまうだろう。
欲望のままに、あらゆる物を壊してしまう。
わかっていても、それは誰にも教えない。
それを言ってしまったら、きっとウェザーは自分を殺すのではないだろうか。
遠からぬ日の危険を、早い段階で排除するに違いない。
揉めるのは面倒だから、ウェザーに真実は語らない。
同等の力を持つ人間と争う気はない。だから言わない。
バラバラになった本棚を前に、アナスイは満足し切った顔でウェザーを振り返る。
ウェザーは何も言わず、ただ頷いた。
それを見、アナスイは立ち上がる。
「もう行っていいか?」
「元通りにしてからだ」
これもいつものこと。
後始末をするのもアナスイ。
「嫌か?」
「別に。暇つぶしにはなる」
「そうか」
これも、嘘。
アナスイはまた座り込み、元通りに組み立てる作業を開始する。
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