もう、ひとりなんかじゃないよ。

 入院先に、男が一人訪ねて来たのは早朝。
 面会時間まで待てなかったのか、病室にそっと入り込んで来ていた。
「何の用?」
 怪我はそれほど深刻ではなかったにしろ、痛むものは痛む。ましてや、見たくもなかった顔とあっては、余計に不快になる。
 首だけ巡らせて男を睨みつけた。
 確か、この男も相手にならなくて病院送りにされたはず。こうやって歩いているところを見ると、どうやら軽傷だったらしい。か弱い自分がこんな目に遭っているのに、この男は平然と立っている。なんだか釈然としない。
 鍛え方が違う、と言われればそれまでなので、それについては何も言わずにおくが。
「DIOが死んだ」
「……そう」
 なんとなく、そんな気がしていた。
 そうなる予感はあったので、驚けない。
 だってそうではないか。
 これだけのスタンド使いを揃えていながら、次々と返り討ちにあった。
 誰一人、まともに勝利していない状況で、頭の片隅では連中には実力だけでなく運もある、天が味方しているのではないかと思いたくなることもあった。
 そして自分もまた、こうやって入院を余儀なくされた時、そのぼんやりとした想像は次第に確信へと近付いて行った。
「それで?」
 わざわざ知らせに来たということは、何か意図があってのこと。
 特にこの男は、DIOに忠誠を誓っていたとは言い難い。彼を偲んでいるとも思えない。
「これからの相談?」
 せいぜいそんなところだろうと思う。
 高飛びの資金でも欲しいのだろうか。
 生憎、自分もそんな余裕はない。第一、逃げるというのなら、自分だって逃げたい。今はここから動けない状態だったとしても。
「しばらく身を隠すことにした。おまえは、どうする?」
 やっぱりそうなのか。
「見てわからないわけ? 重傷なの。退院できると思う?」
「無理そうだな」
 わかっているなら聞かないでほしかった。
「……あれ、持ってる?」
「煙草か? いいのか、怪我人が?」
「病気じゃないんだから平気よ」
 付き添ってくれる家族も、見舞いに来てくれる知り合いもいない。
 欲しい物があっても、手に入れられない入院生活。
 それでもこの白い壁の中は恐ろしく平穏で。
 あんな殺し合いの現場から来たことなど、まるで白昼夢だったかのように、この体中から遠ざかって行く。
 だがそれも、この男の顔を見るまでだった。
 折角忘れかけていたのに、また戦闘の匂いを思い出す。


 貰った煙草に火を点けてもらい、煙を吐き出す。
 久しぶりの、この感覚。
「それで? 向こうは全員無傷?」
 興味はなかったが、高飛びするという男の言葉から、あの連中が生き残っていることが窺える。
「無傷とは言えないが、三人生き残った」
「そんなに?」
 半分、ではないか。
 出来うることなら、彼等とは二度と顔を合わせることなく一生を終えたいものだと思う。
「あたしも……逃げた方がいい?」
「多分な。他の連中は、もう昨日のうちに散ったぜ?」
「早いじゃない……」
「もともと寄せ集めだからな。DIOがいなくなれば、何の関係もない奴らだ」
 誰がどこに行ったのかなど、もう自分達では突き止められないだろう。探したいとも思わないが。
 もし仮にどこかで出会ってしまったら、また今年のことを思い出すだろうから。悪夢のような今年の出来事を、思い出してしまうだろう。たとえ何十年経っていたとしても。
「あんたは? 何処に行くの?」
「さあ? 空港で考える」
「……あたしのところに寄ったのは、なんで?」
 急いでいたのではなかったか?
 病室には、今は二人きり。
 まだ人が動き出すには、早すぎる時間のため、周りは静かだった。
「通り道だったからさ」
「フェミニストって、だから嫌い」
 格好つけることばかり考えて、本当のことは滅多に口にしない。
 この男のことも、だから嫌いだった。
「おまえ、あてはあるのか?」
「あるわけないでしょう。天涯孤独の身の上よ」
 そこで男は少しだけ何かを考えているようだった。
「なあ、マライア……一緒に来るか?」
「………」
 ちっとも友好的ではない自分達の間柄で、どうしてそんな発言が。
 それとも女なら誰にでもそう言うのだろうか。
「あんたと一緒にいたら、夢見が悪そうだから嫌」
 忘れようとしても、思い出させるような人間がそばにいては何もならない。
 これは、何もかも忘れて、新しくやり直すいい機会なのだから。
 スタンド使いには、そばにいてほしくない。
「一人で動けないんだろう? 途中までだったら付き合ってやるが?」
「どこか知らない土地まで、あたしを送ってくれるってこと?」
「ああ」
 その後は、別れて進む。
 そして会わない。
 そういうことならば、それでもいいかもしれない。
「じゃあ、連れて行って。見つからないうちに。今すぐに」
「わかった、しっかり掴まってろよ、お嬢さん」
 今日初めて、男が明るく笑った。
 けれどそんな笑顔に騙されるような自分ではなかったので、わざと嫌な顔をしてみせた。
 男はあっさりと自分の体を抱え上げ、堂々と病室を出る。


「どっちに向かう?」
「寒い国に行ってみたい。今までとは全然違う所の方が、やり直すって気分が出るでしょ?」
「極端な女だな、おまえは」
 もし。
 もしその寒い国で、自分の体が耐えられないほどの寒さを感じたなら。
 その時は、この男を誘ってみようか。
 もう少し一緒にいないか、と。
 どれくらい?
 一年か二年。
 一人ぼっちに戻ってもいいと思えるようになるまで。
 もしかしたら五年経っても十年経っても、一人になりたいなんて思えなくて、結局この男と一緒にいることになったとしても、それでも。
 誘ってみようか。
 不意に、あることを思い出し、マライアは男に呼びかけた。
「ねえ?」
「なんだ?」
「悪いんだけど……あんた、なんて名前だったかしら?」
 男は絶句したようだった。
 今更すぎる質問だったから、当然かもしれないが。
「ほら、あれだけスタンド使いがごろごろいたから、全員の名前なんか覚えられなくて」
「なるほどね……もう忘れるなよ、ホル・ホースだ」
「覚えるように努力するわ」
 それはそうと。
「ところで、よくあたしの名前を覚えてたわね?」
「ああ、足の綺麗な女は忘れないんだ」
「そう。あたしも、それが自慢なの」
 誰かの腕の中は、妙に居心地が悪いけれど。
 慣れないのだけれど。
 今は、一人でいるより少しはましだと思う。

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