誰でもない自分
拒否することができるはずもなかった。
組織に飼われている身は、ただそれを受け入れるしかなかった。
選択権を持つ者がいるとすれば、それは天だったと思う。
生か死かの選択は、運命に委ねられていた。
失敗すれば死、生き残ったとしても、以前と同じ生活はできない。
どちらにせよ、真の屍となるか、呼吸する屍となるかの違い。
それでもリゾットはその矢を身に受けねばならない。
飼い犬は、逆らうことができない。
日頃から、その長身は人目に付いた。
黒髪と深い色の瞳は、鮮やかな色彩のそれに比べれば遙かにましだったが、自分の外見的な特徴が、リゾットに気配を完全に殺す方法を身に付けさせた。
無口で、あまり表情を変えることのないリゾットは、組織内でも浮いた存在だった。
そのくせ与えられた仕事を完璧にこなす姿は、周囲の反感を余計に買った。
だからかもしれない。
理不尽な命令を下されてしまったのは。
「つまり、死ねと?」
「そうは言っていない。死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。死ななかった場合は、それ相応の仕事に就いてもらうことになる」
「……今のオレはいなくなる。そういうことなら、死ぬのと変わらない」
「嫌かね? だが君には拒否権はないんだ。受けてもらうしかない」
初めて見る男は、自己紹介もせずに、淡々と用件だけを話した。
特殊な矢に射抜かれろ、と。
二つに一つ。死ぬか、生きて特別な能力を得るか。
「それとも断って、フリーの殺し屋に戻るかい? その瞬間から、君は組織の刺客に命を狙われることになるが?」
生き残れば、今後も飼い殺しにできそうな男。死んだとしても困りはしない程度の小物。リゾットは自分が組織内でどういった立場にあるかは心得ている。今更失望などしない。
「能力を得た暁には、君に新設するチームを率いてもらうつもりだ。君の前に三人ほど候補者たちに試験を受けてもらったが、全員不合格。だが君なら、最初の一人になれると思うんだが」
分の悪い勝負だとわざわざ知らしめるのは、おそらくこの男の個人的な被虐趣味だろう。
そうやって挑戦者達の怯える姿を見たくて言っていることだ。リゾットは特別反応しなかった。
「他にもメンバー候補の殺し屋を数人選び出してある。合格すれば自動的に君の部下になるな」
鞭を与えた後は、飴。部下を持つ身分になれる、と。
「……やれやれ、何を言っても無反応か。君は面白みのない男だね。まあいいさ、試験は五分後。この隣の部屋だ」
男は壁の向こうを指差す。
考える時間も与えない。これがこの組織のやり方か。
「行きたまえ」
矢が貫いたのは、リゾットの右目だった。
これが他の部位ならば、多少鍛えているリゾットは顔色を変えずに済んだだろう。
だが、眼球はさすがにどうにもならない。
避ける間すらなかった。何故避けられなかったのかもわからない。
顔面を血が伝って行く感覚と同時に、疑問も浮かぶ。
確かに片目は失うが、死にはしないと。
致命傷にはなりえない。
そう思った直後だった。
何もされていないはずの心臓が締め付けられる。呼吸もままならなくなる。喉に、何処かから吹き出した血が溜まる。
「……馬鹿な……っ」
死ぬはずのない傷で、死にかけている。
人を殺し続けて来たリゾットには、それがわかる。死にかけている、と。
瞼が落ちる。闇に包まれる間際、あの男の言葉が脳裏を過ぎる。
特殊な矢、という言葉が。
三人死んだ、と。
生き残る確率の低い、特殊な矢。
不意に。もしかしたら、組織は最初から生かすつもりなどないのかもしれないという考えが浮かぶ。
生かしておくと邪魔な存在を体良く始末するために、あんな美味しい話をでっち上げただけなのかもしれない。
だとしたら。
抵抗は無意味か。
無事なもう片方の目を完全に閉じ、リゾットは痛みに耐える。
どれほどの苦痛を味わおうと、それを見せるのだけはプライドが許さなかった。
絶対に、そんな敗北だけは認めない。
それはある意味、吐き気を催す感触だった。
麻酔でもされているかのように、矢がずるりと抜けて行く。
胸の痛みは消え、呼吸も楽になっていた。
そして最もおぞましかったのが、潰されたはずの目の感覚。
何か小さな物が眼窩で蠢いているのがわかる。そして本来ならば理解できるはずがないというのに、それらが何をしているのかがリゾットにはわかる。目を修復している。
「……何故、オレにそんなことがわかる……?」
口の中にあった鉄錆の味も、消えていた。
喉元に迫り上がっていた血は、何処へ消えたのか。いや、そんなことよりも。
「……オレの、声……」
声が、変わっている。
自分の声ではない音で、自分は話している。
躊躇ったが、意を決して両目を見開いた。
同時に聞こえた感嘆の声。
「ほう……?」
隣の部屋にいたはずの男が、いつ入って来たのか、目の前に立っている。
「生き残ったか……しかも、外見が変わるとは……」
外見?
声がおかしいのはわかっていたが、それ以外にも何かあるのか。
照明の灯された部屋の窓に、内部の映像が反射する。
無意識にそれを求めて顔を上げたリゾットは、そこに自分を見つけて言葉を失う。
痩けた頬。鋭く吊り上がった瞳。射抜かれた右の目は血のそれへと色を変え、黒かった髪も完全に色が落ちていた。
十分前のリゾットではない男がそこにいる。
呆然とそれを眺めていた時、目の前の男が一歩近づいた。
「残念だな……スタンド使いは貴重な存在だが……」
まだそこに座り込んだままのリゾットを見下ろす位置まで近づく。
「おまえのような男は、完全に飼い殺しにできないだろうというのが上の意見だ。いつ噛みつくかもわからない狂犬に、凶器を持たせるわけにはいかない。……まさか本当に生き残るとは」
言葉の一つ一つが、リゾットを擦り抜けて行く。聞こえてはいるが、耳に入らない。
だが。
やはり組織は、リゾットを生かしておくつもりはなかったのだ。それが今、はっきりとわかった。
「おとなしく矢の力で死んでおけばいいものを!」
男の語尾が、少しだけ裏返った。
「死ね! リゾット!」
男の背後に、何か人外の姿を見た。
危険だ、と己の中の殺し屋の本能が囁いた。
無意識に、リゾットは立ち上がり、男との距離を取るように後退する。
だがそれは、最初に男を近づけてしまっていたがために、僅かに遅い行動となった。
「……っ……何だと……?」
何が起こったのか。避けきれずに、左の目に何かが突き刺さる。
だが、右目ではなかったのは幸いだった。
左側の目には、男の背後の像は映らなかったのだから。最初から、右の目だけが、その像を捉えていた。
おそらく、赤く変化した目だけが、特別。
つまり。
まだツキはこちらにあるということ。
そして。
体中で、血の流れに乗って、また何かが蠢くのを感じた。
それが何なのか、リゾットが頭で考える必要はなかった。右目を開いた瞬間から、リゾットはそれが何であるかを知っていたので。
「……メタリカ」
それを何と呼ぶのか、その名もまた、目を開いた時からずっと頭の中にある。知っていた。全て、知っていた。
後はただ。
名も知らぬその男が死体となるのを、少し離れた場所から見ているだけで良かった。
左目を抑えていた手を離す。
右側のそれの時と同じような感触を、再び感じていた。
そっと、瞼を開く。
見える。
きっと今は、左の目も赤く変化しているのだろう。
再び、ガラスに映る自分を見遣る。
「こんな姿にさせられて……」
もう既に、これは自分ではない。
誰が見ても、自分だとはわからない。
異様な外見と、特異な能力。もう、普通の人間ではなくなった。
そんな存在に成り果てても。
それでも自分は、組織から逃れられないだろう。
組織もまた、リゾットを始末したいと願いながら、リゾットを倒せる存在がいないがために、リゾットを飼い続けるだろう。
そんな状態が、おそらくは続いて行く。
組織が崩壊するか、リゾットが死ぬまで。終わることなく。
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