汚染された思考

 初めて人を手に掛けたのは十八の時。
 そこから数えて五年。
 年齢のちょうど三倍の数の人間を殺めた日、リゾットは誕生日を迎えた。
 祝う習慣を失ってから既に九年。ただ自分の年齢を数えるだけの日。
 そんな日でも、仕事が入れば行かなければならない。
 いつも通り、開始から五分で停止した心臓を見下ろした後、メタリカによって姿を消し、リゾットはその場を立ち去った。
『仕事を終えたら、この場所へ』
 電話口で、リーダーが言っていた言葉を思い出す。
 リゾットに失敗は有り得ない。このチームに入って二年。一度も失敗したことはない。
 リーダーも、リゾットの能力には全幅の信頼を置いているらしく、リゾットがそこへ現れないなどとは思ってもいないらしかった。
 とは言え。
 仕事の処理能力は信頼されていても、リゾット個人は信用されていない。
 所属して二年にもなるというのに、リゾットはまだリーダーの顔を見たことがない。
 指示はいつも、支給された携帯電話から為される。報酬も口座に振り込まれる。
 いや、リーダーだけではない。
 このチームに、現在何名が所属しているのか、そんなことすらリゾットは知らない。自分以外の仕事仲間と顔を合わせたことすらないのだから。
 そんなリーダーが、珍しく自分を呼び出した。
 二年も掛けて、漸く顔を見せられる人間だと認められたのだろうか。
 だが、リゾットもそう甘い人間ではない。
 二年の間、リゾットと接触することをあれほど避けて来た人間が急に心変わりをするには、何か理由がある。
 楽天的に考えることもできたが、リゾットのプロとしての意識がそれを否定する。
「……何を企んでいる?」
 こちらも、安易に姿を晒すのは危険だ。最低限の用心はすべきだった。


 背景を周囲に描き、完全に姿を消してリゾットはその場へ近づいた。
 入り組んだ路地。
 身を隠せる場所だらけのこんな所を指定するとは、やはりリゾットの想像は外れていなかったようだ。
 そこに佇む一人の男の影を認め、リゾットは建物の陰から声を掛ける。
「待たせたか……?」
「リゾット・ネエロか?」
 嫌な声だ。
 そう思った。
 暗殺者を取り纏めているような人物なのだから当たり前か。
「貴様がリーダーか?」
「口の利き方に気をつけろ。……フン、姿は見せないってわけかい? 顔写真くらいはこっちだって持ってるんだ、何を用心してる?」
 自分の上司なのだから、顔を知られていてもおかしなことはない。
 だが、一方的に知られているというのはあまり好ましい状態とは言えなかった。
「……まずそっちから出て来るのが礼儀だろう? 本物のリーダーかどうか、オレにはわからないんだ。用心もする」
 積み上げられた建設資材が、丁度男に影を作る。
 深夜の路地は、遠くの街灯の明かりが僅かに差し込むものの、男の顔形を判別させるのは難しい。
「おいおい、仲間相手でも気を抜かないってのかい? 全く、面倒な男だよ、おまえさんは」
 肩を竦めるような動きがあった。
 しかし、男はその場から動こうとしない。
 顔を見せるつもりはないということだろう。
「何故オレに接触しようと?」
 互いに「出て来い」と言い合っていても埒があかない。リゾットは話を切り出した。
「なに……チームに入って二年。そろそろいいかと思ってな」
 何がそろそろなのか。
 建物の陰から、リゾットは慎重に相手の出方を窺う。
「二年もこの仕事してる割に……おまえは染まらないんで、気になってたんだ」
「染まる?」
「人を殺す商売に慣れてるはずなのに、どうも堅苦しい。普通はな、やけっぱちになっちまって、薬に走るんだよ。それがおまえさんときたら、聖職者みてぇな生活しやがって……薬も女も酒も、ギャンブルもしねぇ。どこで発散してるのかと思ったら、そもそもストレスすら感じてねぇ」
 その男の言い分が、リゾットには理解できない。  気を紛らわせる必要すら感じないほど、暗殺が日常事になっている。これが染まっていない人間だとでも言うのか。
「そういう奴は頭の中で何考えてるかわかったもんじゃねぇ。だから、そろそろオレの出番だ」
 言いたいことはそれで全てだったのか、男は更に明かりを避けるように一歩下がった。
「今決めろ。本物の仲間になるか、脱退するか」
「脱退? そんなことできるものか」
「できるさ。死んだ人間にまで、組織は忠誠を求めない」
 死、という言葉がリゾットの耳に届くより早く、男の姿は闇に溶け込んだ。
 見失うはずのない状況で、リゾットが相手を見失う。そんなことは初めてだった。
 思わず盾にしていた壁から出、リゾットは男がいた辺りまで進む。
 気配はまだ、消えていない。
 いるはずだった。
「……何処だ?」
 呟きは、闇の中へ溶け込む。
 そして誰かが息を呑んだ。リゾットの、すぐ真後ろで。
「へえ……これがリゾット・ネエロの能力か? オレと同じで、姿を見せない暗殺者ってわけか……だったら余計に、おまえを放っておけないな。適性があるとわかった以上は……こうするしかない」
 声。
 後ろではない。
「下、か……!」
 長く伸びた自身の影。声はそこから発せられた。
 だがそんなことよりも、リゾットはリーダーの言葉の方が気になっていた。
 何と言った? 『オレと同じ』そして『適性がある』。
 リゾットの姿が見えないことで、リーダーの息遣いが変わった。
 先程までは選べと言っていたが、今はもう、殺意しか感じられないその呼吸。
 リゾットの何が、そうさせたのか。
 余計なことを考えていたからかもしれない。
 油断したわけではなかったというのに。
 術中に落ちる寸前に、リゾットは自分の影が大きく迫り上がるのを見た。


 相変わらず男の顔は見えない。
 勘に障る声もしない。
 ただ、脳裏に直接流れ込む、嫌な思考。
 卑しい思想が流れに乗って入り込む。
 声が、一度だけ聞こえた。
「暗殺者を率いる人間は、幹部はおろか部下にも姿を見せてはならない。今までそれができたのは唯一人」
 リゾットは口を開き、声を出そうとした。
 息が詰まりそうだった。しかし、音を発さなければ、何も知ることはできない。
「……保身の為に、オレを切り捨てると……?」
 絞り出した声は、相手を驚かせたらしい。一瞬、間があった。
「リーダーを殺した人間が次のリーダーになる。リーダーを殺せる程の実力を持った人間にならば、その資格がある。だが、誰もオレを殺せない」
「……オレはリーダーの地位になど興味はない」
「おまえは欲の少ない人間だ。そういう奴の方が危ない。突然妙な正義感で何をしでかすかわからない」
 なるほど、その可能性は否定できない。
 自分の為に何かをしようという欲求のないリゾットは、余人の想像の及ばない論理で動くかもしれなかった。
「このチームはクズ野郎の集まりだ。クズはクズで、それぞれ飼っておけばいい。群れないように注意しながらだ」
「……他のメンバーも、オレと同様に、仲間に会ったことがないのか?」
「ない。オレに会ったこともない。だが、それでいいんだ」
 いい?
 果たして本当にそうなのか。
 こんな孤独な生き方を強いられた人間が、他にもいるというのに。本当に、それでいいのか。
 相変わらず、男の暗い思考が流れ込む。
 金と権力を第一に欲する男の、吐き気のするような意志。
 人間は、これほどまでに何かを欲しがるものだったのかと、改めて知った。
「……リーダーを殺した人間が、リーダーになる。そう言ったな」
「ああ。自動的に。オレの持つ特別製のバッヂを所有する男が、リーダーだ。全メンバーのデータが暗号化されている」
 リゾットはそこでしばし言葉を切り、ぽつりと呟いた。
「ずっと思っていたが……貴様は喋りすぎだ」
「そうかい? 何しろ、誰かと話すのは久しぶりなんでね」
「誰とも接触しないからか? ……つまらない弱点を作ったものだ」
「何だって……?」
 男に反論することはできない。
 なぜならば。
 リゾットに話しかけているその声。
 それは自らの位置を特定させるものでしかない。
 場所さえわかってしまえば、リゾットに打てる手は幾つでもあったのだから。


 地面に転がって息絶えた男を見下ろし、リゾットは数十分ぶりにメタリカを解除する。
 年齢不詳の、薄汚れた男の死体。
 その上着の内ポケットから、リゾットは組織の物でありながら多少形の違うバッヂを取り出す。
「……これは貰って行く。貴様を殺した人間に、所有権があるんだろう?」
 ここに、これまで名前も知らなかった仲間達の居場所が入っている。
 これまでの二年。
 リゾットはただ生きていた。
 人を殺せという命令だけを受け、ただ働き続けた。
 何も望むものがなかったから。
 だが。
「貴様のせいで……オレにもやりたいことができた」
 汚れ仕事にもがき続けるメンバーに、何か一つでもいい、拠り所を。
「暗殺チームは変わる」
 目を閉じれば、リゾットの内にある様々な欲求が首を擡げる。そう感じる。
 死体をそこに放置し、リゾットは再びメタリカによって姿を消す。
 暗殺チームのメンバーの情報は、組織内でも公開されていない。
 この死体が何者なのかも、誰にも分からない。
 いつか自分も、こうやって地に屍を晒す。それを知っているからこそ、リゾットは掌のデータを強く握りしめる。
 早く、早く、と。
 この命がある間に、早く。
 入り組んだ路地を進み、リゾットはまだ見ぬ仲間に思いを馳せる。


 リゾットが暗殺チームを手中にした日。
 二十三回目の誕生日。
 年齢の、ちょうど三倍の人数に一を足した数だけ人を殺した日。

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