瞬き

 風は殆ど無い。
 ゆっくりと進む船上で、ジョルノは傍らの男をそっと観察する。
 会うのは今日で三回目。
 たったの三回。
 それでも、少しずつわかって来たことがある。
 最初は単に、親切で良い人、くらいにしか思っていなかったが、そんなレベルじゃないということ。
 この人の包容力は底無しだ。
 チームの仲間と一緒にいる所を見れば、それは一目瞭然だ。
 一度懐に入れた人間は、けして見捨てたりしない人なんだ、彼は。
 初めて会った日、「おまえを助けない」と言ったが、あれも本当にその時になったらその通りに実行するかどうか怪しいものだと思う。
「どうした? ジョルノ」
 視線を感じたか、ブチャラティがこちらを振り返る。
「……貴方って人がわからなくなって」
 急に何だ、という顔で首を傾げる。ので、ジョルノは説明しなくてはならなくなった。
「初めて会った時は、怖い人だとしか思えなかったのに。今はまるで……虫一匹殺せない人に見えるんです」
「そりゃ状況が違うからだ」
 穏やかな微笑みは、波間を見つめたまま答える。
「敵として見るか、味方と見るか。それだけのことだ」
「そうでしょうか?」
「どうしてもオレが別人に見えるか? あの時はオレ一人の身を守ればいいだけだったからな。今とは違う」
 ブチャラティはそれ以上語らず、身を乗り出し、眼下の水面を楽しんでいるようだった。
「海、好きなんですか?」
「質問ばかりだな、おまえは」
 それでも「ああ好きだよ」と答えてくれる。
 この穏やかな表情の奥で、彼が何を考えているのか、ジョルノにはよくわからない。
 だが、明らかに先日会った時とは違う。
 今は彼の仲間になったから? だから別人のように見えるのか?
 違う、とジョルノは確信していた。
 印象の問題じゃないんだ。
 本当に、彼が変わったとしか思えない。何かが彼を変えた。
 そんな気がする。


「初日の感想は?」
 視線は海に注いだまま、ブチャラティが尋ねる。
「チームには馴染めそうか? 嫌だと言われても配置換えは出来ないんだが」
 馴染む馴染まないの問題だろうか。
 学校のサークルじゃないんだから。
 しかし彼は、本気でそんなことを気にしているらしい。
「ああそうか……おまえは馴染む必要なんか無かったんだったな。おまえにとってここは、ただの仮住まいだったな……」
 自分から聞いて来た癖に、勝手に納得する。
「だからって……今日明日出て行く訳じゃないんです。これから先、貴方と何年も一緒にいなきゃならないかもしれないんですよ?」
「オレと、か?」
 迷惑ならそう言えばいい。
 だがブチャラティは苦笑しただけで、それらしいことは何一つ口にしない。
「何年かかるんだろうな、その時まで」
「何年でも。貴方はその時まで付き合ってくれるんでしょう?」
「ああ、そのつもりだ」
 でも、そう長くは待たせません。
 そう言おうとしたが、やめた。
 今はまだ、ジョルノが先陣を切って行動する時ではなかったから。しばらくは、ブチャラティの後ろをついて行くしかない。
 彼の後ろにぴったりくっついて、彼と共に組織の中でのし上がって行かなくてはならない時期だったから。


 突然、それまで海ばかり見ていたブチャラティがこちらを振り返った。
「ところでおまえ、今日学校は?」
 ギャングになったのに、学校のことを気にされると何だかこそばゆい感じがする。
 きっとこの人、真剣なんだろうな。
 それとこれとは別だと、学校だけはちゃんと行けと、そう言いたいのだろう。
「休みですよ」
「おまえが勝手に休みってことにしたんだな?」
 平然とついた嘘を、あっさり見抜かれた。
 なぜバレたんだろう、と思ったのは一瞬だけ。
 そういえば彼は、人の顔を見れば嘘かどうかくらい簡単に分かるのだった。
「すみません」
 何について謝ったのか、自分でもわからなかったが、とりあえずジョルノは素直に頭を下げる。
 嘘をついたことか。
 それとも、学校をサボったことか。
 両方だったかもしれない。
「明日はちゃんと行くんだぞ?」
「はい」
 そう答えると、ブチャラティは笑った。
 今日初めて、彼の明るい笑顔を見た。
 こんな笑顔は、初めて会った日以来だと気づく。
 思い返してみると、なぜか再会した彼は、謎めいた微笑しか浮かべていなかったように思う。
 笑い顔は、年相応に見え、五歳年長の青年のそれらしかった。
 頼りがいのあるお兄さん、何でも話せるお兄さん、そういう感じだ。
 そんなジョルノの表情をどう読んだのか。
 ブチャラティは右手を伸ばし、ジョルノの頬を軽く引っ張る。
「……?」
「中学生らしく、もっとにこやかにしていろ。オレはまだ、おまえのその仏頂面しか見たことがないぞ」
「すみません……」
「本当に顔に出ない奴だ。時々瞬きの回数が増えるから、それで何とかわかるが」
「瞬き、ですか?」
 思いも寄らないことを言われ、ジョルノは目を瞬く。
 そんな自分に気づき、ああ本当だと感心した。
「あんまり可愛げがないと、アバッキオ辺りは可愛がってくれないぞ」
 これは冗談なのだろう。また、さっきの微笑だ。
 貴方だって、そうやってすぐに微笑んで誤魔化すじゃないか。
 どんな感情も、その微笑みで覆い隠してしまうじゃないか。
 長い付き合いになるのだろうと思うと、それも克服しなければならない問題の一つとして浮上して来た。
 これから先の何年かを、この人と秘密を共有したまま過ごす。
 だったらもう少し、打ち解けて欲しい。感情を隠すその癖はやめてもらわなければ。
 だがそれは、これからゆっくりと時間をかけて解決すればいいことだ。
 先は長いのだから。
 そのうちにきっと、この人とももっと自然に話せるようになるだろう。


 ブチャラティは沈黙し、また海を眺め始めた。
 その様子を見、ジョルノはそっと彼から離れる。
「おい、ブチャラティ!」
 ジョルノが離れたのとほぼ同時。偶然だろうが、それまで本を読んでいたミスタがブチャラティを呼ぶ。
「いいかげんよーっ、この船どこ向かってるのか教えてくんねーかよーっ」

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