妄想
フーゴが報告書を携えてブチャラティの所へ行こうとしていた時だった。
普段あまり入ったことのない店の、隅のテーブルに目が留まる。
三歩ほど進んだところで立ち止まり、もう一度よく見直す。
やはりミスタだ。
珍しいこともあると思い、フーゴは店内に入った。
「ミスタ? 何してるんです?」
あの陽気な男が、どういうわけか深刻な顔で溜め息ばかり。
悩みがあるなら、こんなところにいないで、さっさとブチャラティにでも言えばいいのに。
「フーゴ……」
救いの神でも見たような顔になる。
間が悪かったかな。
フーゴは不用意に声を掛けたことを少しだけ後悔した。
厄介なことには巻き込まれたくない。
「おまえだけが頼りだ!」
いきなり両手をがっちり掴まれ、隣に座らされる。
「……なんなんです?」
女の子にでも振られたのか?
どうせミスタの悩みなんてその程度だ。
「実はこいつらが……」
ミスタが指差したのは、ピストルズ。
いつもは落ち着きなく飛び交っている彼等も、今日はどういうわけか、ミスタの両肩に並んで座り、本体同様がっくりと気落ちしている。
「こいつらがブチャラティの髪を汚したんだ……」
「事情はわかりました。でもどうしてその場で謝らなかったんです?」
悪いことをしたと思ったなら、即謝ればよかったのに。
聞けばミスタは、あまりのことにどうしていいかわからず、逃げ出してしまったのだという。
その程度のことでここまで深刻に悩まなくてもいい。フーゴはそう思う。
「ブチャラティって、絶対あの髪に何かポリシーあるぜ? 毎日毎日編んでるし、いつも同じ長さキープしてるし。それをこいつらは……!」
また、両肩に留まるピストルズを睨む。
今更彼等を責めてもどうにもならないだろう。
フーゴは一番端にいたNo.5の頭を撫でてみる。声も上げずに泣いているのは珍しい。ミスタが暗くなってるからか?
「わからないな。貴方だったら、いつもは笑って適当に流すじゃないですか」
今回もそうすればいいだろうに。
「でもよー……目が合った途端に、捕まえられて無理矢理坊主にされるとか……モヒカンにされるとか……」
「……ブチャラティがそんな子供染みた仕返しするわけないでしょう」
何をくだらないことを考えているんだ。フーゴは溜め息を吐きたくなった。
「おまえは知らないだろうけどよ、あの時、壁の時計が二十分を指してたんだ!」
「……時計の長針は、一時間に一度は四の位置に来るんですよ」
脅える原因は、たまたまその時間が『四』がらみだったからか。
少しだけ納得できたので、フーゴはお茶のお代わりを頼む。
ここはミスタの奢りだから遠慮しない。
「それだけじゃない。……ナランチャがその時、九九を暗唱してたんだ!」
「……四の段をですか?」
「まだある!」
その後も、ミスタはその場で偶然目にした四に絡む幾つかの事象を語ったが、フーゴは聞き流した。
「僕も一緒に行きますから、謝りましょうよ」
いつまでも逃げ回っていられるわけがない。
フーゴはその方が余程早いと思う。
怒られるだろうが、それも一時のことだ。いつまでもこの男にうじうじされていてはたまらない。
どうせ他人事だ。
何かされるのはミスタなので、フーゴは平然とそう勧める。
「女装して縄張り一周とか……一週間帽子被らずに歩け、とか言われたら……」
「だから、そんなことブチャラティが言うわけないでしょう」
そんな下らないことを思いつくのは、ミスタくらいだ。
「……身体バラバラにされて、部屋に飾られたりとかしないか……?」
「そんな気持ち悪いことするわけないでしょう!」
ミスタの手足が吊された部屋、を想像してしまい、フーゴは途端にお茶の味がわからなくなる。
いや、手足だけじゃない。
首だけのミスタが、必死になって「ごめんなさいごめんなさい」と懇願する姿まで想像してしまった。
「……便器に顔突っ込まされて、その水を飲め、とかも?」
いい加減にしろ。
フーゴは耐え難い衝動を感じた。
抑える気はなかったので、すぐに行動に出た。
「うるせぇっ!」
手にしていたカップとソーサーを同時にミスタの顔面に投げつけた。
「そんなにされたいなら、オレがブチャラティにそう言ってやる! 女装もバラバラも便器の水も! ほら来い!」
油断していたためか、カップもソーサーも顔に当たっていた。
鼻を抑えて痛がるミスタの耳を掴み、フーゴは店の外へと連れ出す。
「嫌だ……行きたくない! 殺されるより怖い目に遭う!」
「男なら覚悟決めてついて来い!」
しかし。
ミスタが想像していたようなことを、ブチャラティがするとは到底思えなかった。
だったらいっそ、ここで自分がそれをやってやった方が、ミスタも案外すっきりするのではないかと思い直し、フーゴはまた店内へ引き返した。
「おい、便所はどこだ?」
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